法華経の世界 5

特殊な表記方4

 「地図は見るものではない。
 読むものだ。
 地図を読むと言え」
と、ある地理の先生が言っていた話がありました。
 生徒たちが、うっかり「ヒマラヤ山脈はインドの上にあります」と言おうものなら、その先生は教室の天井を見上げて、
 「そうか、ヒマラヤ山脈はインドの空にブラ下がっているのか。
 地図を見るからそんなバカなこたえ方をするのだ。
 地図を読んだら、北方に位置します、と正しく答えられる筈だ」と。
 法華経の比喩も、単なる作り話として読むか、あるいは、経典の語る様々な比喩の話の奥底に潜む真実が読み取れるか───その差は雲泥であろう。
 比喩の話に潜む真実・真理を読み取れるようになるには、やはり、それなりの読経眼・看経の眼を養う必要があります。
 文字の底にある真理・文字でない文字を読み取れる眼を養うには、豊かで素直な心が不可欠です。
 「ポエムが分かるようになると、仏教思想も理解できるようになる」
との言は、大きな助言となるでしょう。
 大乗仏教を批判した先人は、その落し穴に落ちたのです。
 しかし、彼らの批判のオカゲで、近代仏教も発達し、大乗経典の成立過程の研究も進んできました。
 中国の天台大師智ギの教学は、仏教経典はすべて釈尊の説法の記録である立場に立脚したものです。
 近代の研究で、大乗経典は釈尊が亡くなって後に、仏教の一般信者によって創作編集されたものであることも明らかにしました。
 こういう点から言えば、智 が行った経典のランク付けは間違いであったかもしれません。
 しかし、日本人が法華経をどう読み続けてきたかという観点も非常に重要であり、現代にあっても、智ギの見解を尊重しつつ法華経の思想を読み取ることが大切だと思うわけです。
 近代の研究は目覚ましいものがありますが、ますます法華経が諸経の王である事を改めて思い知らされるのです。
 その法華経に出会えた喜びを本物とする為にも、皆さんと一緒に勉強していきたいと思います。