日講上人略伝 7

法華経の講義許可

 寛文9年は、前述のごとく和融派との関係や芸州夫人との訣別で、講師は憂鬱な年を過ごされた。この後も、講師は漢籍や禅関係の仏書を、願い出に応じて講議されている。またその間には、俳句や詩・演劇などに気をまぎらされている。
 しかし講師の意図するところは、漢籍や一般仏書の講議でも、俳句や演劇を楽しむことでもなかった。それは、世間の煩わしさから離れて日蓮聖人の御遺文を註釈することであった。

 既に、配流されてからそれら参考文献の抜萃を行い、生涯禁酒の願を立てて、宴会から身を遠ざけようとされている。禁止されている法華経の講義についても、頻繁に奉行を通じて懇請されていたが、許可が出る筈もなかった。しかし、寛文13年の11月に奉行を通して正式に法華経講義の許可が下りたのである。ここに城内出歩きの許可以来、郊外への外出が許されて、講師は相当に自由な身であったが、今また法華経の講議が許可されて、今までの苦労も忘れる思いであった。
〜つづく