日講上人略伝 9

録内啓蒙の編集著作

 過ぎて延宝5年(1677)から、日蓮聖人の御書の講義が始められ、貞享4年までの10年のあいだ進められた。講義に、注釈の為の抜萃に、法華経の読誦に、悲田派や受派・日蓮教学批判への反論の著作にと、忙しい日々を過ごされている。 
 ところで、公には短篇といえども著作は禁じられていた。それが、領主たちの尽力で緩和されたものなのか、日蓮聖人の御遺文注釈書である録内啓蒙の著作にとりかかられている。
 録内啓蒙は、一種の辞典のようなものであり、その製作には大変な労力と時間、そしてたび重なるチェック、多くの優れた人材の用意が必要であったことは言うまでもない。この点は、今でも変わらないだろう。

 この録内啓蒙の出版を計画していた矢先の元禄4年(1691)、悲田派が壊滅するに及んで、京都の日相より「この度の出版は延期されたほうがよい」の忠告があり、これを受容れて出版を中止されている。しかし講師は、たとえ自分が生存中に出版できなくとも後の代に必ず刊行されることを望んで、校正の手を緩めなかった。
 そして、元禄9年(1696)には出版への歩みが運ばれ、京都の書店に依頼した書写が完成し、筆工の心鏡に銀粉の法華経を贈って喜ばれている。
〜つづく