萬代亀鏡録:編

被献 太閤秀吉公書(仏性院日奥)

 それ生を人界に受け、形を沙門にかりながら、いかでか国恩を忘れ、仏恩を報ぜざらんや。
 然るに仏恩を報ずる要枢、滅法を弘通するに過ぎたるはなく、国恩を謝する秘術、正法を伝持するにしかず。
 但し経文にいわく、『今以無上正法付属諸王大臣宰相及四部衆毀正法者大臣四部之衆応当苦治矣』。 誠に仏法の興滅は専ら明主暗君の時代により、世法の理乱は必ず正法邪法の得失にあり。
 故に大覚世尊無上の正法を以て、滅後末代の国王大臣に付属し給えり。
 そもそも仏法は八宗十宗にわかれ、その義まちまちなりと云えども源は釈尊一仏の説教なり。
 したがって釈尊一代五十年の説法事ひろしといえども、その所詮大に分ちて二なり。
 一に前の四十二年は権教、二に後の八箇年は実教なり。
 然るに権教の諸経を法華経に至って釈尊みづから正直捨方便ときらいすて、実教の法華をば要当説真実と説いて、この経ばかりを信ぜよと定め給いぬ。
 たとえば法華経は大塔の如く、余経は足しろの如し。
 大塔出来して後は足しろを用いる人なし。
 法華経あらわれて後余経を信ずる人は、大塔を捨てて足しろを拝む人々なり。
 ここを以て経にいわく、『雖示種々道其実為仏乗云云』この心は釈尊四十余年の間、種々の経々を説き給う事は、法華経をとかせ給わんが為の方便なりと申す文なり。
 塔をくむ足しろにあらずや。
 然るに余宗の人師は、皆釈尊の捨て給いたる四十余年の権教を以て宗旨を立て候あいだ、まず釈尊の敵対にまかりなり候。
 この釈尊は三界の衆生の為には主君なり、親なり、師匠なり。
 故に法華経の第二の巻譬喩品にいわく、『今此三界皆是我有』主君の文なり。
 『其中衆生悉是吾子』親の文なり。
 『而今此処多諸患難唯我一人能為救護』師匠の文なり。
 これ三徳有縁の明文なり。
 かくの如く主師親の三徳を備えて娑婆世界の衆生をたすけ給う仏は、一切の諸仏の中には釈尊一仏に限り候。
 もし弥陀薬師等の仏この界の衆生をたすけ給う事あらば、唯我一人とは説かせ給うべからず。
 しからばこの三徳を備え給う釈尊の仰せを背く人は、不忠不孝逆路伽耶陀の大罪人なり。
 しかるに釈尊の仰せを背くと云うはいかなる事ぞと申すに、唯法華経を信ぜぬ人を釈尊の仰せに背くとは説かれ候。
 しからば経文に、『若人不信毀謗此経則断一切世間仏種云云』この文のこころは、法華経を信ぜざる人は、三徳重恩の釈尊、ならびに一切三世の諸仏の御命をたつ者なりと申す事なり。
 そもそも一仏をころしたらん罪だにもおそろしく候に、法華経を一偈一句もそしる人は、十方世界の一切の仏をころし奉る咎になると説かれ候、然らばこの人の罪の報いを経に説き給う時、『其人命終入阿鼻獄云云』このこころは法華経を信ぜぬ人は、無間地獄におつべしと申す経文なり。
 又たとえ法華経をよむとも、余経に交えてよみ候人は釈尊の教えに背く、故にまた無間に墜つべしとみえて候。
 其の故は経文に、『乃至不受余経一偈云云』このこころは法華経を釈尊の教えのごとくよまん人は、余経を一偈一句も信ぜず皆ことごとく打ち捨て法華経ばかりを持てと申す文なり。
 たとえば薬の中へ毒をまじえぬれば、其の薬かえって人をころすがごとし。
 故に仏は法華経に余法を交える事をふかく嫌い給うなり。
 また法華経を説の如く持つ人の功徳を経に説いていわく、『聞我所説法乃至於一偈皆成仏無疑云云』又いわく、『若有聞法者無一不成仏云云』またいわく、『是人於仏道決定無有疑云云』これらの文のこころは、法華経を一偈一句も信ずる人は、仏になる事決定して疑いなしと説かれ候。
 また余経にては、一人も仏に成る事なし。
 其の故は経文に『終不以小乗済度於衆生矣』こころは余経にては、ついに衆生を一人もたすけ給わずと申す文なり。
 また重ねて説いていわく、『若以小乗化乃至於一人我則堕慳貪云云』この文のこころは、余経にてもし衆生を一人も仏になし給う事あらば、釈尊妄語の御咎によりて、餓鬼道におつべしと、御誓言を立て給い候。
 慳貪は餓鬼道の業と定むる事は仏法の通判なり。
 釈尊かくの如く御誓いを以て、余経に成仏なしと定めさせ給う。
 上多宝如来は宝浄世界より、はるばる釈尊の御前に来たり給いて、妙法華経皆是真実と証明を加え、一切の諸仏は十方より此の土に集まりて、広長舌を大梵天に付けて証誠と成し給う。
 かくの如く釈迦多宝十方の諸仏一処に集まりて、不妄語の御舌を以て定め置かせ給いたる法華経の金言をば、誰人かこれを背き奉るべき。
 然るに余宗の祖師は皆ことごとく大小権実に迷いて法華経を信ぜず、あまつさえ多くの書を作りて法華経を謗ず。
 これらの祖師先徳いかに知恵才覚はいみじく候とも、釈尊の金言を破り、法華経誹謗の咎眼前に候あいだ、大道理のおす所は、堕獄疑いなく候。
 その流れをくむ今の末弟等、この罪を脱るべからず。
 其の師の堕つる処に弟子堕つと申す仏法の定判これあり。故にいかなる貴僧高僧にてましまし候とも、未来の悪道をばまぬがれ給うべからず。
 故に謗法の僧侶をば、悪象毒蛇よりもふかくおそろしく思いて、少しもちかづくべからず。たとえ五逆罪の者をば供養すとも、謗法の僧侶をば供養すべからずと、仏慇懃に法華経の流通たる涅槃経等に深く禁め給い候。
 これに依って、法華宗は釈尊の御掟を守り申すゆえ、心ならず余宗を隔て申す事、いささか自宗建立の為にもあらず。
 また我慢偏執の儀にもあらず。
 ただ経説の掟に任せ奉るまでに候。
 所詮大仏御建立等の御善根、前代にも勝れ後代にもためし有るまじき御事に候あいだ、諸宗の立行を今よく聞こし召し分けられ、何れの宗にても、仏説に相叶いたる宗旨をえらび給うべき御事に候か。
 その故は大覚世尊滅後末代をいましめ給う御ことばに、『依法不依人云云』こころは現世安穏をいのり、後生善処をねがい給わん人は、仏説を用いて人のことばをば用ゆべからずと定められ候。
 然るに法華経は八万法蔵の肝心十二部経の骨髄なり。
 三世の諸仏はこの経を師として正覚を成じ、十方の仏陀は一乗を眼目として衆生を引導し給う。
 故に一代の諸経に『永不成仏』と嫌いすてられし二乗も、法華経に来りて皆ことごとく成仏し、三逆罪を造っていきながら奈落の底に沈みし提婆達多も、今の経において天王如来の尊号をこうむり、畜生蛇体の八歳の龍女も、わずかにこの経を聴聞して即身成仏し、南方無垢世界の主と成る。
 誠にかくの如き不思議の力用は余経にすべてなし。
 故に法華経の第四法師品にいわく、『我所説諸経而於此経中法華最第一云云』第五の巻安楽行品にいわく、『於諸経中歳在其上云云』第七の巻薬王品にいわく、『諸経中王云云』天台のいわく、今経はすなわち諸経の法王と成り最もこれ第一なり云云、妙楽のいわく、法華のほか勝法無し、故に法華を無上の法王と云うなり云云、伝教のいわく、釈尊の立宗たるや法華を極となす云云、経釈顕然の上は私に料簡を加え奉らず。
 また法華経を持つ人は、一切衆生の中に貴き事第一なりとみえ候。
 故に経文に、『有能受持是経典者亦復如是於一切衆生中亦為第一云云』文句にいわく、法妙なるが故に人貴し云云、秀句にいわく、法華宗諸宗に勝るるは所依の経に依るが故に自賛毀他に非ず云云、これらの経釈のこころ法華の行者は、諸宗の頂上に居すべしと、釈尊は分明に定め置かせ給い候。
 然るに余宗の行者として法華宗を軽賤し、嘲弄する事おおいに仏説に背けり。
 これしかしながら野干が獅子王をあなづり、烏鵲が鸞鳳を笑うに異ならず。
 かくの如きの人は釈迦諸仏の大怨敵、一切衆生の悪知識にあらずや。
 されば西天に於いては大乗の僧と、小乗の僧とは同座をゆるさず。
 道を分かちて同路をゆかず。
 河を隔てて同流をくむ事なし。
 大唐においては南三北七の十師仏法をさまざま判ぜしかども、天台大師出世ありて南北の邪義をことごとく難破し給う。
 然るに天台大師は唯一人、天下の余宗は皆一同に敵対なれば、実に天台の正義立つべしともみえざりしに、陳隋二代の帝王我と聞こし召し分け給いて、たちどころに南三北七の十宗を捨て、天台大師一人を仏法の棟梁となし給う。
 其れよりこのかた震旦一国、智者大師に帰伏せずと云う事なし。
 日本においては、桓武天皇の御宇に、南都の六宗と伝教大師と仏法の争論あり、桓武皇帝高雄寺に行幸あって、六宗と伝教と召合わせて宗論ありしに、六宗皆まけ一言に舌を巻きしかば、帝王たちまちに六宗を捨て、伝教大師一人を国師と定め給えり。
 それよりこのかた、扶桑一州皆ことごとく根本大師の門人と成る。
 かくの如き先例を以て存じ奉り候に、今も法門の道理をよくよく聞こし召し分けられ、何れにても勝れたる仏法を天下に崇め置かせ給うべき御事に候。
 およそ一天率土の中には、唯一人の主有って、二もなくまた三もなし。
 その余は皆これ臣なり民なり。
 もし国に二人の主有る時は、国乱れ民労れてついに刑罰にあたるべし。
 十方仏土の中には、唯一乗の法のみ有って、二もなくまた三もなし。
 その余は皆権なり小なり。
 然るに権を捨てて実に入り、小を嫌いて大を願うは、釈迦諸仏の御本懐、天台伝教の御所判なり。
 余経は無得道今経は皆成仏とは如来の誠言、祖師の定判なり。
 しかるを権教執着の輩、ほしいままに教門を判じ、小乗下劣の法をもてあそんで、諸経中王の妙典をなげうつ、いかでか謗法罪をまぬがれんや。
 そもそも法華経の第七薬王品を拝見つかまつり候えば、『此経則為閻浮提人病之良薬若人有病得聞是経病即消滅不老不死云云』この文のこころは、法華経は一切衆生を助くる良薬なり。
 故にこの経を持つ人は病もことごとく消滅して、寿命長久なるべしと申す経文なり。
 これに依って過去の不軽菩薩は法華経を持って二百万億那由佗歳の寿命をのべ、在世の阿闍世王は悪瘡いゆるのみならず現に定業を転じ、滅後のちんしんは十五年の齢をのぶ。
 かくの如き類章疏伝記にその数際限なし。
 然らば現世安穏の御祈祷にも法華経第一なり。
 後生善処の御とぶらいにも此の妙典にしくはなし。
 それ天台伝教は顕密二道の明師両朝無双の大師なり。
 然りといえども迹化の衆なるが故に、像法千年の御使いとして、いまだ末法相応の本尊たる本門久成の釈尊ならびに本化の四大菩薩をば造り出し給わず。
 三朝の間に数万の寺々を建立せし人々も、本門の教主脇士を造るべき事を知らず、上宮太子仏法最初の寺と号し、四天王寺を建立ありしかども、西方の仏を本尊として、脇士には観音等四天王を造り副したり。
 伝教大師延暦寺を立て、中堂には東方の如来を本尊として、久成の教主脇士をば建立し給わず。
 南京七大寺の中にもいまだこの事聞こえず田舎の寺以てしかなり。
 かたがた不審なりし間委細に経文をかんがえ奉るに、末法に入らざればこの本尊脇士を造るべからざる旨分明なり。
 正法像法に出世ありし論師人師の造り書かざる事は仏の御いましめを重んずる故なり。
 もし正法像法の間に、久成の教主釈尊ならびに脇士を造り奉らば、夜中に日輪出で、日中に月輪の出でたるが如くなるべし。
 末法に入って本化の大士御出世有って、始めてあらわし給うべき本尊なるが故なり。
 龍樹天親は知らせ給いたりしかども、いまだ時至らず、付属なきが故に口より外へ出させ給う事なし。
 経文の如くんば、最も今は釈尊の脇士に本化の四大菩薩を造るべき時なり。
 経文赫々たり、明々たり。
 繁なるが故にこれを略す。
 ここに吾宗の高祖日蓮大士本化六万恒沙の上首、上行菩薩の後身として、末法後五百歳の付属を受け、人皇八十五代後堀川院の御宇貞応元年壬午倭国に誕生し、釈尊の付属に任せて、七字の要法を弘めならびに本門久成の教主脇士を顕し給う。
 故に建長五年癸丑三月二十八日午の刻生年三十二歳にして安州清澄山諸仏坊の南面にして、一山の大衆を集め、念仏は無間地獄の業、禅宗は天魔の所為、真言は亡国の悪法、戒律は虚妄の国賊、天台宗は過時古暦と。
 この五ヶ条の法門を仰せ立てられ候。
 金言耳に逆らう道理、ある時は流罪、ある時は頭に疵をこうむり、ある時は左の手を打ち折られ、ある時は弟子をころし、結句最後には相州龍口において死罪に行わせられ候。
 然りといえども仏神のおはからいを以て、前代未聞の物怪出来によりて死罪をばのがれ給い候。
 誠に一生の大難小難その数をしらず、仏の九横の大難にも勝れ、不軽の杖木の責にも越えたり。
 もし日蓮大士出世なくんば、恐らくは釈尊の誠言は虚妄と成り、多宝仏の証明は泡沫に同じ。
 諸仏の舌相は芭蕉の如くなるべし。
 この功徳は龍樹、天親、天台、伝教もいかでか及び給うべき。
 これ皆仏勅を重んじ給う故に、身命を的にかけ法華経を弘め給い候。
 それ君の志をば臣のべ、親の志をば子のべ、師の志をば弟子のぶると申すは常のならいなり。
 よって不肖の身たりといえども、無上の妙展を受持し、かたじけなくも釈迦法王に仕え奉る。
 ここを以て、ひそかに天長地久の御願を祈り奉り、しずかに四海太平の懇祈をいたす。
 法を知り国を思う志最も尊聴に達し奉るべき処に、邪法邪教の輩讒奏讒言の間、久しく大志をいだいて、いまだ微望を達せず。
 これしかしながら明月狂雲に覆われ、白沙汚泥にあかづかされたる謂われか。
 一宗年来の鬱訴衆僧多歳の胸襟なり。
 然るに今天下の御政道清廉にして、前代にも越え、後代にあるべしとも覚えず。
 宗義の素懐この時に開かずんんば何れの時をか待たんや。
 そもそも法華経にいわく、『後五百歳中広宣流布於閻浮提無令断絶云云』伝教大師のいわく、法華一乗の機今まさしくこれその時なり云云、またいわく、地を尋ぬれば唐の東羯の西、人をたづぬればすなわち五濁の生闘争の時なり云云、時すでに法華の代なり。
 国また法華の機なり。
 然ればすなわち天下を守る仏法は、ひとり法華宗に限るべし。
 仏法を助くる国主は専ら法華経を崇め給うべし。
 所以に仏法世法相応ぜば、聖代速に唐堯処舜の栄に越え、正法正義を弘通せば、尊体久しく不老不死の齢を保ち給わんか。
 誠惶誠恐頓首頓首。
文禄四年乙未九月二十五日
日 奥 在判
進上民部卿法印


末法相応本化所立の法華宗法門の條々
一、仏家大綱の掟の事
 それ仏法の家には、すべて人のことばを用いず。
 ただ仏説に依りて互いに是非を決す。
 故に大覚世尊定めていわく『依法不依人云云』『又依了義経不依不了義経云云』誠に法に権実あり、人に邪正あり、専ら実経の文を先とせざれば殆ど紕繆出来せんか。
 たとい等覚深位の大士たりといえども、仏説に相違せばこれを用ゆべからず。
 いわんや其れ已下の論師人師をや。
 但し人師の言だりといえども、実経の文と合わばこれを信用すべし。
 故に天台のいわく、修多羅と合せば録してこれを用いよと云云

一、仏に於て有縁無縁の事
 教主釈尊は、この界の衆生の為に三徳を備え給う。
 故に有縁の仏なり。
 弥陀等の余仏は一徳をも備えず、
 故に無縁の仏なり。
 諸経に弥陀を讃する所多く在りと云うといえども、これ皆随他一往の方便にして、全く如来出世の本懐に非ず。
 本迹両門の阿弥陀等は法華信受の仏なり。
 これまた権教執着の仏陀に非ず。
 まず一に釈尊は三界衆生の為に主君なり。
 経にいわく、『今此三界皆是我有云云』この文の如くんば、娑婆世界は教主釈尊の本領なり。
 全く阿弥陀仏の領分に非ず。
 殊に扶桑一州は大乗有縁の地、妙法流布の国なり。
 三朝の典籍にその義分明なり。
 故に上一人より下万民に至るまで、一乗相応の機にして、教主釈尊の所従にあらざること無し。
 二に釈尊は衆生の為に親なり。
 経にいわく、『其中衆生悉是吾子云云』 三に釈尊は衆生の為に師匠なり。
 経にいわく、『唯我一人能為救護云云』 かくの如く釈尊は主師親の三徳を備え給いて、この界の衆生に重恩深き仏なり。
 しかるに浄土の祖師教主釈尊を嫌うて礼拝雑行と立つ、これあに不忠不孝逆路の人に非ずや。

一、仏法に権教実教の差別ある事
 それ釈尊一代五十年の説法、その所詮を尋ぬるに大に分かちて二なり。
 一には前の四十二年は権教、二には後の八箇年は実教なり。
 しかして四十二年の権教を、この経の序文無量義経に未顕真実と説いて一言にこれを破し、正宗八箇年の法華経に要当説真実と定めて、これを信受せしむ。
 しかのみならず或いは正直捨方便と説き、或いは乃至不受余経一偈とのべて、法華已前の諸経をば皆ことごとくこれを棄捨しおわんぬ。
 この経説の掟を以て、諸宗無得道と云い、法華独成仏と立つるなり。

一、宗号の事
 今法華宗は諸経中王の文に依りてこれを建立す。
 経にいわく、『如仏為諸法王此経亦復如是諸経中王云云』 此の宗はすでに法王の勅許をこうむりて、独り諸宗に秀でたり。
 また人王の勅許もこれあり。
 然るに諸宗は仏の自立の宗に非ず。
 論師人師ひそかに宗号を立つる事甚だ仏説に背く。
 最も依用となすに足らず。
 故に秀句にいわく、論師の立宗は自見を極となす云云。

一、当宗相承の事
 それ此の宗に於いて経巻相承知識相承あり。
 宗祖の法理を立つる事もっぱら経巻の説文に依るなり。
 日蓮大士弘通の法門は釈尊の内証に均し。
 是れあに経巻相承に非ずや。
 次に知識相承とは、一往天台伝教に依るこころこれあり。
 例せば師子尊者の時付法断絶すといえども恵文禅師龍樹菩薩を以て高祖となすが如きなり。
 再往の実義は直授日蓮の内証相承を以て宗旨の本意となす、故に諸宗超過なり。

万代亀鏡録
一、法華宗諸宗の頂上に居す可き事
所持の法貴き故に能持の人もまた貴し。
 たとえば世王の太子の如し。
 故に経にいわく、『読持此経是真仏子云云』経文の如くんば、法華の持者は釈迦法王の太子なり。
 これを軽毀し蔑如する人あに阿鼻の苦しみを免れんや。
 また経にいわく、『於一切衆生中亦為第一云云』 文句にいわく、『法妙なるが故に人貴しと云云』 秀句にいわく、『法華を持つ者はまた衆生の中の第一なり。
 すでに仏説によるあに自歎ならんや云云』 それ経釈顕然なり。
 誰か疑網をいだかん。
 請い願わくば有智の君子、実経の文に依って宗旨の位階を定め給うべし。

一、法華宗は謗法者に親近せざる事
 それ謗法とは、法華不信の事なり。
 法華経を捨つる人は釈迦諸仏の大怨敵、一切衆生の悪知識なり。
 故にこれに親近せず。
 たとえば主君のあだ父母の敵に近づかざるが如し。
 故に経にいわく、『捨悪知識親近善友云云』 大経にいわく、『於悪象等心無恐怖於悪知識生怖畏心云云』 法性論にいわく、『智者、怨家、大毒蛇、旋陀羅、霹靂、刀杖、諸の悪獣、虎狼、獅子等を畏るべからず。
 彼はただよく命を断じ、人をして阿鼻獄に入らしむるあたわず。
 かくの如き文証その数弘博なり。
 つぶさにこれを記することあたわず。
 所詮経論の掟、専ら謗法罪を禁ず。
 然るに浄土宗の祖師おおいに法華経を謗ず、撰択集等その文顕然なり。
 ここを以て吾が宗の高祖如来誠諦の金言に任せて、彼の宗の邪義を破り、この宗の正義を立つなり。
 そもそも仏法は自他宗異なりといえども、これをもてあそぶ本意は道俗貴賤ともにただ離苦得楽現当二世を祈るためなり。
 たとい身の行に苦しむといえども、正法の理にかなわずばいたずらに虚仮の行と成る。
 今生は身心を労し、来世は阿鼻に墜ちんこと文明かに、理つまびらかなり。
 乞い願わくば賢哲の君子、一時の世事を止め仏法の邪正を明にして寸陰の善種を植えて丈夫の妙果を証し給え。
文禄四年乙未霜月十三日
釈 日 奥  記之

法華宗諫状 終