萬代亀鏡録

法華宗奏状 2(仏性院日奥)

法華宗奏状の内
安国論由来記
去る正嘉元年太歳丁巳八月二十三日戌亥の時、前代に越えたる大地震同二年戌午八月朔日の大風、正元元年己羊大飢饉大疫癘、文応元年庚申四季に亘りて大疫止まず、万民大半に越え死を招きおわりぬ。
しかる間国主これに驚き諸宗に仰せつけて種々のご祈祷有り。
しかりといえども一分の験無く、還って禍災を増長す。
内外典の学者皆その凶悪の根源を勘え知らず。
ここに吾が宗の高祖自ら経蔵に入り、一切経に引き向かって天地を浮かぶるに、災難の由来鏡に懸けて曇り無し。
諸家の祈精験を失い還って凶悪を倍増するの由、道理文証つぶさにこれを得おわってついに悲嘆に堪えず既に一論を造りて国主に奏せらる。
その名を立正安国論と号す。
この書の所詮は世皆邪道に帰し、人ことごとく正法に背く。
故に守護国土の諸天善神法味に飢えて、処を去る故悪鬼たよりを得て、国中に乱れ入って起こす所の夭災なり。
なかんずくこの謗法の咎に依って後には自界叛逆他国侵逼の二難必ず興起すべきよし兼ねてこれを勘え給う。
しかりといえども諸宗の讒言に依って敢えてこれを叙用せられず。
あまつさえ微忠還って不忠に処せられ、流死の二罪に行わせられ、しかして経文限り有り、故に幾程もなく鎌倉の一門友打ち起こり、国中の乱劇すべて言う計り無し。
その後九箇年を経て西戎大蒙古国よりこの国を襲うべき由の牒状これを渡す。
果たして文永十一年十月五日蒙古国寄せ来たり、日本国を責む。
この時に当たり日域の大将軍あるいは打たれ、あるいは生け捕りとなり、現身に修羅道を感ず。
安国論の勘文少しも違わず、皆以て符合する事を得たるなり。
これに依って宗祖一処の状にいわく、たとい日蓮冨樓那の辮を得て目連の通を現わすとも、勘うる所当たらずんば誰かこれを信ぜん。
去る文永五年蒙古国の牒状渡来する所、吾が朝賢人あらばこれを怪しむべし。
またこの書は白楽天が楽府にも越え、仏の未来記にも劣らず、末代の不思議何事かこれに過ぎん。
これひとえに日蓮の力にあらず、法華経真文の至す所の感応か云云。

問う、文禄五年の大天変地夭何に依って起こるか。
答う、瑞相甚大にして先代に超過す。
天台のいわく、雨の猛きを見て龍の大なるを知り、華の盛んなるを見て池の深きを知ると云云。
またいわく、蜘蛛掛かって喜事来たりかささぎ鳴いて客人至る。
小なおしるし有り大いづくんぞ瑞無けんと。
近きを以て遠きを表すと取意。

問う、釈の心如何。答う、瑞相の大小に依って吉凶の浅深有る心なり。
問う、今の瑞相は吉瑞凶瑞の中には何れぞや。
答う、この事、計り難しといえどもしばらく経文の●鏡に就いてこれを見るに大凶瑞の相なり。
問う、吉瑞凶瑞の差別何を以てこれを知るや。
答う、吉瑞の相は大地六種に動ずといえども国土を破らず、人民を損なわず、還って衆生の慶びを増す。
それ今の大地動は山岳崩れて家を埋め、土地大に破裂して万民多く亡ぶ。
知んぬこれ悪瑞の相なり。
問う、この悪瑞の相いかなる禍に依って起こるや。
答う、昔の凶瑞は大体国主の政の悪しきに依り、あるいは万民五常を破るに依って起こり、また仏法のあやまりに依ってしばらく悪瑞を現すといえどもこの夭災におよばず。
そもそも当今は世澆季に及び、時末代に属するといえども、君臣聖賢にして大宗魏徴の相値ふに勝れ、文王太公の治世にこゆ。
故に万民恩沢に潤い、異域徳風を仰ぐ。
これを以てこれを推すに今の災難は全く世間の政道の直否にあらず。
ただこれ謗法の咎によって起こる所の禍災なり。

問う、謗法とはその相貌如何。
答う、謗法に多種あり、所詮法華経に背くを以て謗法と言うなり。
問う、謗法の咎に依って起こる所の災難なりとは、法華経を信ずる者何ぞこの難にあうや。
答う、法華経にいわく、『横羅其殃』と云云。
この文を以てこれを思うに、たとい宿善有ってこの経を信ずるといえども、過去謗法の罪なおいまだ滅せざるは横難にあうべきなり。
例せば不軽菩薩の留難にあい給うが如く先謗に依るまた初心の行者信心薄短なるが故に口にこの経を読むといえども、いまだその義趣をわきまえず、あるいは一向名利のためにこれを誦す。
ゆえに外法華を行ずるに似て、内権教に執着の心有って、深く心に法華経を信ぜず。
ゆえにこの人はこの災難を免れがたし。
あるいはまた転重軽受の義等深くこれを識治すべき者なり。
疑っていわく、もししからば何んぞ法華経に違背する謗法者の中にこの難にあわざる者これ有りや。
答う、業感不定なり。
法華経にいわく、この人現世に白癩の病ないし諸の悪重病を得ん。
この文の如くんば、謗法の咎に依って現世にその報いを受く。
これを順現業と言うなり。
また経にいわく、もし人信ぜずしてこの経を毀謗せばその人命終して阿鼻獄に入らんと。
文の如くんば法華誹謗の者現世にその報いを得ずと言えども、第二の生に必ず無間に堕在するなりこれを順次業と言うなり。
順後業順不定業これを略す。
問う、如何して速やかにこの災難を留むべきや。
答う、早く災難を止めんと欲せば、速やかに謗法者を退治すべきなり。
もししからざれば無尽の祈精ありといえども、還って災難を増長すべきなり。
問う、如何してか謗法者を退治すべきや。
答う、涅槃経にいわく、仏ののたまわく唯一人を除いて余の一切の施乃至、そ悪の言を発して正法を誹謗す乃至ただかくの如き一闡提の輩を除いてその余に施す者一切讃歎すべしと已上。
この文の如くんば謗法の施を留めてこれを退治すべきなり。
このほかまた治方これ多し、繁きゆえにこれを略す。

問う、謗法者に於いて供養を停止し、ならびに治罰を加えば出家を悩乱するの科甚だ重かるべきなり。
この罪業いかんがせんや。
答えていわく、涅槃経にいわく、正法を毀る者王者大臣四部の衆まさに苦治すべし、なお罪有ることなしと。
文の如くんば謗法者を退治するは全く罪とならず、還って大善となるなり。
ここを以て昔仙予国王は多所の婆羅門の頸を切って、今の教主釈尊となり給う。
有徳大王は無量の謗法者を殺害してあしゅく仏の浄土に生ずる事を得たり。
いにしえを以て今を計るに、災難を止めて国土を治するの秘術は謗法者を禁じ正法を弘通するに過ぎたるは無きなり。

問う、汝沙門の形を以て出家のとがを顕す、大罪業にあらずや。
答う、謗法のとがを顕すこと悪口に似たりといえども、還って大忠言となる。
方を毀る者を見てこれを呵責せざる者、仏法の怨敵となる。
故に涅槃経にいわく、もし善比丘法をやぶる者を見ながら置いて呵責し駈遣し挙処せずんばまさに知るべしこの人は仏法の中の怨なり。
もしよく駈遣し呵責し挙処せば、これ我が弟子、真の声聞なりと云云。
予多年の間この戒文を見て深く心腑に銘ず。
故に仏法中怨の責を免んがために世間の嘲弄を顧みず、いささか経説の明文を出してあらまし謗法の趣を顕す。
請い願わくば有智の君子法の権実を知り、仏の付属に順じ、正法の流布を致して治国利民の素懐を遂げしめ給え。
文禄第五丙申暦九月十三日      本化沙門日奥記之

法華宗奏状 終

禁中奏聞由来 【付録】
一、右禁中奏聞の由来は文禄四年八月二十五日より前の太閤秀吉公施主として、大仏妙法院に於いて千僧供養あり。
当宗も出仕の数に入りぬ。
これ一宗の大事たるに依りて種々の談合ありといえども、ついに公儀を恐れ出仕を遂ぐげしと議定しぬ。
日奥宗義肝心の制法を破ることを恐れて、同九月二十五日の夜中丑の刻当寺を出て嵯峨の川端に至りぬ。
ここに二十日ばかり滞留する処に、公儀を背く曲者ありとののしり種々の災難を加う故にに嵯峨を出て栂尾寺に至りぬ。
ここをもまた擯出す。
栂尾の門前の民家を借り、二日滞留す。
夜中に地下より使いを付けて夜中にまた擯出す。
すなわちこの民家を出て鶏冠井に至りぬ。
かくも京近き処なれば、公儀に憚り有るとて丹波の小泉に至る。
この深山の中に一年を過ごす処に、すなわち翌年閏七月十二夜子の刻前代未聞の大地震起こりぬ。
このほか虚空より土をふらし、毛をふらし、天変地夭しきりに発動す。
ここに予経論釈疏を開き、災難の根源をかんがえ一巻を撰び徳善院僧正に付して秀吉公に献ず。
徳善院予に語っていわく、秀吉公は事繁し、かくの如きの事糺明を成し難かるべし。
幸いに天子御隙あり、殊に智徳明らかにして御糺明に堪えたり。
しかる間内裏奏聞しかるべき旨異見あり。
予この義についてすなわち小泉に帰りこの一巻を撰び、伏見に至り徳善院に会い、先度の御異見について禁中進覧の一巻を撰びたり。
伝奏へ折紙を付けられ天子へ披露これある様に頼み入る由再三強いてこれを請う。
徳善院すなわち三伝奏へ折紙を付けられ、その文にいわく、妙覚寺日奥上人巻物をもって禁中へ奏聞ありたき由披露あらせらる。
苦しからざる儀に於いて叡聞に達せらるべしと。右の折紙に依りて、三伝奏へ同十月十二日にこの一巻を渡す。
即日披露有りて叡覧に達し一長老いわく、天子の御前に於いてこれを読ませらる。
天子ののたまわく、この一巻に於いて誤り無きか。
三長老いわく、法華宗の法門いにしえよりかくの如く誤り無しと云云。
すなわち天子より三井山門そのほかの天下の諸宗へ仰せ下されてのたまわく、内々この一巻の返答を構うべし、法門の御糺明有るべしと云云。
しかりといえども諸寺より敢えて一言の返答無し。
しかして徳善院へ勅使を立てられ、法華宗奏聞の一巻に依りて、諸宗と法門の御糺明有るべしと云云。
徳善院勅使に申していわく、今天下静謐なりといえども太閤その機遣い未だ止まず。
この義御糺明に於いては天下の騒動にまかりなるべし。
まずしばらくこの沙汰差し置かせられ候てしかるべく存ずる旨申し上げらる。
これに依りて御糺明無くして相果てぬ。
その後三箇年を経て地震の災難未だ止まず。
故に重ねてまた諫状を奉る。
しかりといえどもなお御糺明なし。
四箇年に当たって天子病悩日を追って病急なり。
この時また延命表を捧げ以上三箇度の諫状を献ず。
この義重畳せしかば自宗他宗の怨嫉大いに蜂起して、讒奏讒言せしかば、ついに国主の御勘気をこうむり西海対馬の島に流罪せらる。
悦ばしいかな。
身遠島に処すといえども高祖の御諫暁に任せて、三箇度に及び、天下を諫め仏法中怨の責を免れおわんぬ。
所詮この勘文は一代説教の権実を明らかにし、執権謗実の咎を糺し、殊に専ら時刻相応の本尊を論ず。
かくの如きの事は東山の大仏建立は時刻不相応の本尊、亡家亡国の先表なりと言わんがためなり。
奇なるかな、妙なるかな、当家所立の本懐に任せて未来をかんがえるに全く符合することを得。
この大仏造りおわりて程なく大地震、ことごとく仏体を破損す。
これによりて信濃善光寺の本尊を移して大仏殿にすえぬ。
しかるにこの如来の住処は災難起こる由世間に申し触せしかば、にわかに信濃へ帰し給いぬ。
しかして金銅を以て大仏を鋳ぜられ、仏体ようやく成らんと欲せしかば、慶長七年十二月四日仏身より火出で仏体焼かるるのみならず、大殿ことごとく灰燼となる。
日奥対馬滞留の内なり。

翌年正月元日対州の柳川豊州予が前に来たりていわく、このごろ、仰せ聞けられ候事にわかに符合せしめ候。
予がいわく、何事ぞや。
豊州のいわく、京の大仏ことごとく炎上しむるる由昨日たしかに申し来たると。
京の人奥村道接その座に在り、いわく、先年京都に於いても、大仏時刻不相応の本尊なる條、国のため悪しかるべき由仰せ聞かせられ候し事たしかに覚え候。
かくの如きの不思議は有るべからず云云。
予がいわく、この義日奥が奇特にあらず。
経文に任せてこれを宣しかば、符合せしむ計りなり。
ただ仏説と高祖の御勘文との奇特なりと云云。
その後また秀頼公願主となり大仏を建立し給う。
ついに造りおわり堂供養の段に至りて天下の大乱起こり、大阪の城没落して秀頼ならびに一門ことごとく亡家亡国となる。

禁中奏聞由来 終

除悩延命表
被献 後陽成天皇書
それ病起こるの根源に二あり。
一には寒熱膚を侵しあるいは喜怒哀楽に依る等なり。
この病たとい仏法にあらざれどもこれを治す。
いわゆる持水流水耆婆扁鵲の方薬を以てこれを治す。
往として癒えざること無し。
二には仏法の謬乱に依る。
この病は二天三仙等なお治し難し、いわんや神農黄帝の方薬およぶべけんや。
例せば、欽明 敏達 用明の三帝御悩の時の如し。
祈りを神明に懸ぐるといえどもついに叶わず空しく崩御し給う。
これ勝仏を捨てて劣神を敬う故なり。
ここに上宮太子守屋の逆を誅し仏を崇め法を重んず。
世間の夭災自ずから止む。
およそ薬を授くる、時に法りこれを与う。
もし時に違う薬は還って病を増さん。
仏法もまたかくの如し。
時を以て本となす。
一代の教主釈迦善逝滅後の衆生を憐れみ、三時を分かちてしかして三品の法薬を留む。
いわく正法千年の機の為には小乗権大乗の浅薬を施し、像法千年の機の為には法華迹門の良薬を与え、末法万年の機の為には法華本門の大良薬を授くるなり。
これを三時弘経の次第と言う。
この次第に違えば仏法還って邪道に同じ、禍を招くの根本となる。
例せば夏の薬冬の病に応ぜざるが如し。
ほととぎすの春を過ぎ鶏鳥の暁を待つ、畜類なお時を知るいわんや人倫をや。
春は花咲き秋は菓成る。
非情なお時を違わずいわんや仏法を学ぶ人時を糺さざらんや。
それ正法千年の間は迦葉阿難馬鳴龍樹等仏の付属をうけ、小乗権大乗の浅薬を以て衆生の軽病を治す。
像法千年の間は観音薬王文殊弥勒等仏の告勅をこうむり、南岳天台と誕生し、上宮伝教等と示現し、法華迹門の良薬を以て衆生の中病を治す。
末法一万年は五濁強惑にしてしかして衆生の病はなはだ重し。
故に広略二門の良薬なおその病に当たらず。
いかにいわんや法華已前の小乗権大乗の浅薬むしろ末法極悪の沈痾を対治せんや。
ここを以て久遠寿量の大医王三世了達の御眼を以て末代濁世の衆生の重病を鑑知し、大慈大悲を以て大良薬を留め給う。
いわゆる法華経の中に広を撰びて略を取り略を撰びて要を取る。
上行所伝の南無妙法蓮華経これなり。
この大良薬に於いて仏なお文殊薬王等の大薩捶にこれを付属ぜずいかにいわんやその以下をや。
ただ地涌千界を召して八品を説いてこれを付属したまう。
その付属の儀式常ならず、五百由旬の宝塔大虚に涌現し、釈迦多宝の二仏は宝塔の中に於いて師子座を並べあたかも日月の晴天に並び出づるが如し。
十方の諸仏樹下に来集し五由旬の宝座に坐す、なお闇夜に衆星の出現せるが如し。
一切の菩薩は稲麻竹葦の如く四百万億那由侘の世界に列座ししかして後涌出品に至って未見今見の四大菩薩を召し出す。
いわゆる上行菩薩無辺行菩薩浄行菩薩安立行菩薩なり。
この四大菩薩等身皆金色にして三十二相を具し各六万恒沙の眷属を具足す。
形貌威儀ことばを以て宣べ難く心を以て測り難し。
華厳の時法恵、功徳林、金剛幢、金剛蔵等の四菩薩、大集経の時大宝坊に来臨せる十方の諸大菩薩乃至大日経の八葉中の四菩薩等この上行無辺行等の四大菩薩に比校するになお帝釈と猿猴と蛍火と日月との如し。
 弥勒菩薩衆の疑いを挙げて『乃し不識一人云云』。
 天台のいわく『寂場より已降今座已往十方の大士来会絶えず限るべからずといえども我補処の知力を以てことごとく見ことごとく知る。
 しかもこの衆においては一人をも識らず云云』。
 この四大菩薩法華の会に出現して教主釈尊に仕え奉る。
 商山の四賢恵帝の左右に侍し世を治むるに異ならず。
 巍巍堂堂として尊高なり。
 故に邪人の慢幢を倒すこと大風の小樹の枝を吹くが如く、衆会の敬心を生ずること諸臣の皇帝を拝するが如し。
 その時に大覚世尊弥勒菩薩等の重請に赴いて寿量品を演説し。
 まさしく良薬の法体を顕し、しかる後にこの大良薬を付属せんが為に神力品に至って十種の大神通を現じ、まず釈尊自ら広長舌を出して大梵天に付し一切の毛孔より無量無数色の光を放ってあまねく十方世界を照らし給う。
 来集の諸仏もまたまたかくの如し。
 かくの如き不思議の十神力を現じて法華の真実を証成し、十方の諸仏を証人となして上行菩薩にこれを付属し給う。
 これまさしく末法万年の衆生にこの良薬を授与せしめんが為なり。
 しかる後属累品に至って正像二千年の衆生の為に釈尊宝塔より出て虚空に住立し右の手を以て文殊観音等の迹化他方の諸大菩薩の頂をなで、法華経の要よりほか広略二門を以てこれらの大士に付属し給えり。
 ここを以て滅後に於いて経を弘むる仏の付属に随ってみだりに経法を演説せず。
 しからばすなわち迦葉阿難等は一向小乗経を弘通して大乗経を弘めず、龍樹無著等は権大乗経を弘めて実大乗経を弘通せず。
 たとえこれを申すもわずかに以てこれを指示し、あるいは迹門の一分これを宣ぶるも久遠実成一念三千等簡要の法門は分明ならず。
 天台大師像法のなかばに相当たって震旦国に託生し、南三北七の十流を破責し法華経を以て所依となして一念三千一心三観の法門を建立す。
 そのうえ已今当の三説を立てて一代超過の旨を判ず。
 天竺の諸論にすぐれ漢土の衆釈に過ぐ。
 故に章安大師天台の徳を歎じていわく、天竺の大論なおその類にあらず、震旦の人師何ぞわずらわしく語るに及ばん云云。
 しかりと言えども広略を以て本となす未だ肝心の要にあたわず、内証これを存すといえども敢えて他伝に及ばず。
 これひとえに仏の付属を受けざるが故なり。
 伝教大師像法一千八百年に相当たって倭国に誕生し、小乗大乗一乗の諸戒いちいちこれを分別し梵網瓔珞の別授戒を以て小乗の二百五十戒を破失し、また法華普賢圓頓大王の戒を以て諸大乗経臣民の戒を責下し、これに霊山八箇年を除いて一閻浮提のうち未だ有らざる所の大戒壇を叡山に建立し給う。
 しかる間諸宗その慢幢を倒し一国挙げて弟子となる。
 しかりと言えども時像法に属するが故に後五百歳中広宣流布の正時刻にあらず。
 ゆえに伝教大師末法の始めをこいていわく、正像やや過ぎおわって末法はなはだ近きに有り云云。
 それ天台伝教は顕密二道の明師、両朝無双の大師なり、何れの宗か相対を論ぜん。
 誰人か敵対を成さん。
 しかりと言えども迹化の故に時至らざるが故に、本門の大良薬を以て衆生に授与せしめず。
 ここに本化弘通の法華宗は幸いに後五百歳の時を得て、輪王出世の優曇華にあうが如し。
 しかのみならず上行菩薩の流をくみ独り諸宗の頂上に居すること一眼の亀浮木の孔に遇うに似たり。
 これ全く誇耀にあらず、すでに金口の直説なり。
 喜ぶべく貴むべし。
 請い願わくば有智の聖賢明らかに仏説を鑑み人の語を信ずることなかれ。
 故に金言には『於一切衆生中亦為第一』と説き、釈家は法妙なるが故に人貴しと宣ぶ。
 しかるに当世のていたらく謗法の輩国中に充満し小を以て大を破し、権に執して実を失い公家武家に向かって欲しいままに破法破国の因縁を説き、たまたま一乗を行ずる者も権威を恐れて敢えて一言をも出さず、故に法華最第一の行者を賎しみて第五第六に下し権小下劣の僧徒を貴むこと天帝を敬うが如し。
 既に如来誠諦の金言を破し多宝証明の舌根を断ず。
 故に供仏施僧の善根を営むと言えどもことごとく仏陀の遺誡に違す。
 なお白田に種を下ろして稲米を求めるが如し。伽藍を建立し仏像を造ると言えども時刻相応の本尊にあらず。
 悪鬼を家内に敬うて災禍を招くが如し。
 国家の費えこれより甚だしきは無し。
 故に天神地祇いかりを成し憤りを含み前代未聞の大凶瑞を現ず。
 去る文禄の大地震に驚き既に勘文一通これを進覧す。
 この大瑞に於いては国主に大事有るべき先相なり。
 吾朝に仏法渡って一千余年の間未だ出現せざる所の大転変なり。
 月氏漢土に未だ聞かず諸家の勘文定めてこれ有るか。
 しかりと言えども諸寺諸山の御祈祷未だその霊験を聞かず。
 これ災難の起こりを勘知せざるが故なり。
 貧道不才たりと言えども仏眼を借りてこれを勘うるに災禍の由来鏡に懸けて曇りなし。
 よって国恩を報じ仏恩を謝せんがため再三諫暁に及ぶと言えども未だ御用の厳旨をこうむらず、空しく胸鬱を押さえいたずらに日月を送る。
 これらしばらくこれを置き今、玉体御悩の由これを承る。
 それ命は一身第一の宝なり。
 一日これを延ぶる、三千界の宝に勝る。
 凡人なお命を惜しむいわんや一天の君に於いてをや。
 弟子一仏の子と生まれ忝なくも諸経の王に侍す、あにその国土に孕まれて其の君を思わざらんや。
 故に世間の嘲弄を顧みず事の子細を言上す。
 しからば則ち早く諸臣に課せ速やかに一乗効験の貴僧を尋ねて御祈祷を仰せつけらるべきか。
 そもそも今、時を論ずれば妙法流布の最中、国を尋ねれば一乗純円の境、師を論ずれば良薬付属の大薩捶、三事すでに相応しぬ。
 もし法華御帰依の龍光これ新たなれば感応いずくんぞ唐捐ならん。
 ここを以て寿量品にいわく、『是好良薬今留在此汝可取服勿憂不差云云』。
 しからば則ち末法当時上行菩薩の下流を汲みしばらくもこの良薬を持つ人いかでか身心の重病を治せざらんや。
 故に薬王品にいわく、『此経則為閻浮提人病之良薬若人有病得聞是経病即消滅不老不死云云』。
 正直捨権の真文赫赫明明たり。
 誰か疑網を残さんや。
 乞い願わくば太平の明主寿量の大医王に帰依し玉体を万歳に祈り、甘露の妙薬を嘗めて聖寿を億兆に保ち給わんことを。

誠惶誠懼頓首頓首謹言
慶長三年十月十三日
釈氏日奥上表

除悩延命表 終