萬代亀鏡録

御 難 記<賜京師信徒書>(仏性院日奥)

 新春慶賀自他めでたく申し納め候いおわんぬ。
 そもそも当年はそれがしが身に於いて別して慶悦つかまつり候。
 その故は此の島に流されて既に三箇年、寺をまかり出で候てよりは、八年にまかりなり候。
 その間の大難各々知しめし候ごとく丹州の小流罪、対馬の大流罪。
 擯出は八箇度に及び候。
 そのほかの小難は数を知らず。
 それがし五尺に足らざる身、日本六十六箇国の内に置く処なし。
 ここを追われ、かしこを防がれ、ついに一日片時も安堵の思いに住せず。
 最後にこの島まで流され候。
 四箇年以前大坂に於いて御勘気をこうむりし時直ちに流され候わば一向一思いにて少しは心易き辺も候わんに、またまた丹州へ押し帰され候。
 小泉へまかり帰って見候えば弟子同宿等も皆々散り失せ、いとさびたる山中に御勘気の身となりて召し使い候者一人も候わず。
 物哀れなる有様、殊に大雪降りて路を埋め候えば、問い来る人も候わず、今日流され、明日流さると申してやすらい候いし程に、年も明け候えば、また流罪御赦免の由方々より申し来たり候。
 実は過なき身にて候間、さもや候らわんと存じ候えば、また一方よりは流罪一定たるべしと申す。
 往もせず留まりもせず、中有に懸かりてなかなか心苦しく候いし事、心も言葉も及ばず候いき。
 本より流、死の二罪は覚悟の前に候いし間、一身の事はいか様になり候ともその段は驚かず候いしが、それがしに同心の僧衆並びに弟子等の行く末いかが成り行き候わんずらんとこれのみ心煩わしく候いき。
 その間敵方より夜討ちにせんと申す沙汰もあり。
 また人の通いを止めんが為に忍々に人を付け置きて窺い候ほどに邂逅見舞いの人々にも、参詣のかたがたにも見参申す事も叶い候わず。
 これに依って遠国よりはるばる来たり給える人々にも対面を遂げず、空しく帰し候いき。
 誠に剣の上を越え、薄氷を踏む心地して一日一日とまかり過ごし候ほどに五月の末つ方、有る方より公儀の御掟として明日必ず小泉の住処を破却せらるべき由、たしかの沙汰承り候とて立て文持って来たり候。
 しかる間内々その覚悟を致し待ち居り候いし処に、同晦日大坂より流罪の上使到来候。
 またやや有って新在家より清水紹務、松田よりの内状を持って走り来たりていわく、さても御流罪の儀、今まで相延び候間よもと存じ候いし処に昨夜大坂よりかくの如き折紙到来候と、言いも敢えず、はらはらと落涙せり。
 日奥申す様、年来願い申しつる事、この事に候わずや。
 これ程の大願成就の喜びを何とて嘆かれ候や。
 それがし懶惰懈怠の身たるに依って、父母、師匠等の大恩徳未だ一塵も報ぜず。
 今仏法の御為に遠流の身となり候大功徳を以て、自身の罪障消滅せしむるのみならず、父母、師匠、親類、檀那等の恩処一々にこれを報じ候わん事、大いなる幸いにあらずやと申して帰し候いき。
 則ち六月朔日、丹州をまかり出づべきに候いつるが、大雨降りて候故に朔日は逗留し、二日に小泉を立ちてその日大坂へまかり付き、同六日に大坂を立ちて三百八十余里の大海を凌ぎ、同二十六日対馬へまかり付き候。
 路次の間の難堪思し召し遣れ候へ。
 地体暑気に侵され、所労気に候いし上、わずかなる小船に大勢の者一つに乗り込み、六月土用炎天の最中に照る日と焼く火とに責められしかば、所労ますます重くなり、露命すでに危うき体になり候いき。
 余りに心苦しく候いし時は、ただ一思いに海へ飛び入らんと存じ候いしが、この年ごろ数度の大難を凌ぎ今となりて心短き事を致し候ては還って甲斐なき名を取り、仏法の名折れにや成り候わんずらんと思い返して留まり候いき。
 たまたま島に着いて候えば本より無仏世界の島にて候上、知りたる人は一人も候わず府中より七八町の奥、人倫離れたる山陰の荒れたる小屋にさし入って一日一日と年月を送り候ほどに、当年は三箇年の春秋を経て候。
 さらぬだに旅のすまいは物憂く候に、御勘気の身たる上、三百余里の山海を隔たりたる遠島にて候えば、尋ね来る人も候わず、昼夜音信る者は峯の嵐、目に見る者は険々たる高山、耳に聞く者は岸打つ波の音、心細き配所のすまい。
 彼の蘇武が胡国に留められて十九年嘆き候いし思い、大聖人の佐渡の島四箇年の御難堪、今それがしが身に積み知られてこそ候へ。
 但し何よりも嬉しき事の候。
 その故は大聖人伊豆の国御流罪の時の御書にいわく、そもそもこの流罪の身と成って候に付いて二の大事あり。
 一には大いなる悦びなり、その故はこの身に学問つかまつりし事ようやく二十四五年にまかり成り候。
 法華経を殊に信じまいらせし事はわずかにこの六七年より以降なり。
 また信じて候いしかども懈怠の身たる上、あるいは学問と言い、あるいは世間の事に妨げられて一日にわずかに一巻、一品、題目ばかりなり。
 今去年五月十二日より今年正月十五六日に至るまで二百五十余日の程、昼夜十二時に法華経を修行し奉ると存じ候。
 その故は法華経の故にかかる身と成りて候えば行住坐臥に法華経を読み行ずるにて候。
 人間に生を受けてこれ程の悦び何事か候うべき。
 さればこの讒言の人、国主こそ我が身には恩深き人には御座し候へと云云。
 以上御書
 今それがしが御勘気の身に当たってこの御文体を拝見申し候えば三千年に一度華開く優曇華を見るよりも珍しく、赤栴檀の浮木にあえる亀よりも喜ばしく候。
 誠にわれら程の無智、無行の者、仏法の御故に流罪の身と成りて早や三箇年の程、昼夜十二時、法華修行の身と成って候事、生々世々の喜び何事かこれに如かん。
 そもそも日本開闢以来朝敵、宿敵、謀叛の族、公家、武家、僧俗等に至るまで流罪されたる人々の事、ことごとく伝記に載せて候えば、その国々、島々の事隠れなく候。
 しかるに昔よりいかなる重罪の者もこの島まで流されたるためし無し。
 また島の古老の人々に尋ね候にも、ついにその儀承り及ばずと申す。
 しかる処にそれがし一分の罪無く、ただ宗旨の法理を立て候咎めに依って、去る文禄四年九月二十五日の夜中に寺をまかり出で、まず最初に嵯峨の片陰に身を隠し候いしが、そこをも追われ候間、同十月十五日、嵯峨を出でて栂尾へまかり越し候。
 空坊の有りしを借し候わん由、内々堅く約束申し候いつるが、何くより悪く申し成し候やらん、はるばるまかりて候えども、たちまちに変改して、腰をも懸けさせず、そのまま追い出し候。
 しかる間なにとも詮方なく、栂尾の門前の小家を借りて、中一日逗留せしめ候えば、その夜の丑の刻ばかりに門を叩き候。
 何なる事ぞと耳をそばだて候えば、地下より使を立て候。
 使の申す様は、この家に宿を借り給える御僧は公儀を背かれたる人にて一段むずかしき身の上の由、余処より告げ知らせ候。
 暫時も抱え置き申しては、地下の大事たるべし。
 夜の明けざる内にとくとく出し申さるべし。
 少しも抑留あらば先は所の大事、別しては宿の大事たるべしと申して帰りぬ。
 すなわち宿の亭主来たりて申す様、ただ今地下よりかくの如きの使を付けて候。
 この一両日の御有様を見まいらせ候えば痛ましく存じ候間、今しばらく留め申したく候えどもそれがしが心に任せざる義是非に及ばず候。
 夜の明けざる内にとくとく御出で候えと申し候間、またまたそこにも留まらずまかり出で候いき。
 かくの如く候いしかば何くにも身の置く処無く、ここに佇みかしこにさまよいて一夜の宿を借す人もなし。
 この時心に存する様、高祖両度の御流罪、あるいは御頸の座、種々の大難言うばかり無かりしかども、かように処を防ぎ奉る事は未だ聞かず、一向流罪にも定められて有らば心易き辺も有るべしと存じ候いぬ。
 さてしばらくも身の置き処いかが有るべきと申し候いしかば、ある人申し候は、鶏冠井の寺は御末寺なる間、よも追い出し申す程の事は候わじと申す。
 予心に存じ候はこれ程の体にては鶏冠井とても頼みには成らずと申せしかば、忠清と申す同宿申し候は、まず鶏冠井の方へ御越し候へ、それがし先にまかりてしばらくの御逗留も成るべきか、叶うまじきかを聞き候て、即ち路へまかり向かい申すべし。
 もし鶏冠井も叶うまじきと申し候わば紀伊の国の方へお供つかまつるべく候と申す。
 さらばとて鶏冠井の方へまかり越し候えば忠清路へまかり向かい申し候は、鶏冠井の住持しばしの程なりともまず御腰を懸けられ候えと申され候。
 早々御乗り物急がれ候えと申す。
 これによって鶏冠井へまかり越し、二十日ばかり滞留す。
 しかるにここも京近くにて公儀憚り有りとて霜月十五日に鶏冠井を出で丹波の山中に押し籠められて六年、その間法敵の責め候事猟師の鹿を籠めたるが如し。
 あるいは通う人を防ぎ、あるいは弟子檀那を悩まし、親類を煩わしなんどせし事は、言うもおろかに候。
 何よりも痛みたる大難は末寺、末山より日奥に通用を致す事奇怪なりとて由なき末寺等を彼の謗法供養に駆り出し候。
 そのほかの事心言葉も及ばず、しかして年月を送り候ほどに六箇年の星霜を過ごす。
 この間天下を諫暁せしむる事三箇度に及ぶ。
 身に於いては既に仏法中怨の責めをまぬがれぬ。
 この上は先聖の例に任せて何の浦にも跡を隠すべき内存に依って、まず佐渡島へ参詣を企つ。
 この内に信力のかたがた馳走を以て嵯峨に新地を申し請け、一宇建立の催し有りしかば、またまた大なる讒奏起こりて結句はこの島まで流され候。
 そもそも日奥意地悪く人を損ぜんと思う心も無く候えば、指して人に憎まるべき事も候わず、いわんや法理を立て候事はひとえに自他得道の為ばかりに候しかる処に朝敵、宿敵、謀叛、殺害の者よりも痛ましく憎み、強く責め候事、何なる宿意に候や。
 供に法華の行者と号し、同じ法水を汲む人々なれば、もろともに法理を立てらるべき事こそ本義には候え、たといその儀こそ無くとも悪口怨嫉までは余りなり。
 その上公儀より仰せつけられもせぬ、末寺、末山まで謗法供養に責め出す事は、何なる天魔の狂いしに候や。
 前代未聞の事どもに候。また国主も他事に於いては筋目に仰せ付けらる由に候か。
 それがしが事と成っては紛れざる理を曲げられ候。
 そもそもこの謗法供養の事は天下の自他宗諍なき事に候上、先年関東池上日惺聖人前大相国へこの謗法供養の御詫言の為に上洛有りし時委細の事聞し召され候。
 その上先代の御下知所司代の折紙等かたがた分明たる間、彼の邪人どもいか様の事を巧みて申すとも御許容有るべき事にあらず。
 しかる処に思いのほか邪人の讒言を聞し召し入れ候、去る慶長四年霜月二十日、大坂の城へ召し下され、種々無尽の難題を仰せ懸けられ、是非とも一度かの謗法供養を受けさせんと巧み給う処に、日奥かつて同心せしめず候いしかば、奉行衆を以て最も結句に仰せ出さるる様、この度ただ一度の出仕は公儀に対して一往の仕付けまでなれば強いて宗旨の疵に成るべからず。
 しかれども後日の人口をいかがと思うに於いては宗旨の瑕瑾と成らざる様に国主の御一行を出さるべし。
 文言をばいか様にも好みのままに成さるべし。
 その上諸寺の僧と同座を嫌うならば各別に、手人数ばかりを以て法事を勤むべし。
 なお一飯を受くる事迷惑ならば、ただ膳に向かって箸を取るばかりにてただ一度の出仕を勤むべし。
 この上に於いてなお同心せしめずば天下御政道の手初め、万人見せしめの為に厳重の御成敗あるべし。
 その身の事は言うに及ばず、親類、檀那等に至るまでことごとく厳科に行わるべき由仰せ出さる。
 その時日奥存ずる様、これ程まで恐ろしき御巧みはよも国主御一人の御計らいにはあらじ、ひっきょうこれは邪僧の内に居て謀って国主を動かし奉ると覚ゆ、もし仰せの儀を違背せしめばただ今身命に及ばん事必定なり。
 もしまた一旦の身命を惜しみ檀那、親類等の大難に遭わんことを痛んで出仕を肯い申すならば謗法の罪科まぬがれ難し。
 二途ともに安からざる大事なり。
 また兼ねてこれ程まで恐ろしき御巧み有るべしとは夢にも存じ候わず。
 ただ先代の御下知並びに所司代の折紙等を以て事の子細を申し開くならば別に何事の御咎か有るべき。
 還って彼の讒人を召し禁ぜらるべくと存じ候いし処に、案のほかなる御掟共なりしかば時に当たってしばしは案じ煩い候いき。
 しかりといえどもまた案じ返して存ずる様、千丈の堤も蟻穴より頽るると申し伝えたり。
 世間、仏法大事は小事より興るなり。
 今この御一行を一の規模とすと言うとも一度も出仕を遂ぐるならば、必ず後代の瑕瑾と成るべし。
 さるにてはこの年ごろ大難を凌ぎし事も、湯をわかして水に入れたるが如くなるべし。
 この度身命を惜しみて上意に随うならば今生一旦は安穏なりとも後世は永く悪道に堕つべし。
 舎利弗、目連等の三千塵點の間苦界に輪廻せしもかようの難堪を忍ばざる故なり。
 現世しばしの苦しみと、後生の永き苦しみとを校量するに、現世一旦の苦しみはもののかずならず。
 ただ一思いに思い切ってこの度無始の輪廻を止めんと存じ定め、即ち奉行衆に申していわく、いかようの御一行を下され候とも一度出仕を致し候ては宗旨に立義に相背き候。
 いにしえより国土の謗法をのがれんが為に将軍家御代々の御教書を申し受け堅くこの制法を守り候。
 ここを以て法華の一宗先代より御供養を受けたるためしついにこれなく候。
 幸いに今天下の御政道を糺さる時刻に候間、法度を破りたる者をこそ曲事に召し行わるべき処に還って法度を立て候者に於いて、かくの如き難題を仰せ懸けられ候は所詮それがしが身命の果つべき時刻にこそ候わめ。
 また親類、檀那等もそれがしに生まれ合い候こそ時の不運にては候へ、但し憂世に交わる不祥としては謀叛、殺害偸盗等の余残に懸けて科なき部類、眷属相果つる事もこれ有る習いに候。
 これはまた左様の外聞悪しき事にても候わず。
 ただ仏法の理を立て候御咎に依って、故なき親類、檀那等まで相果たされ候わば幸いの事にこそ候へ。
 とても一度はいたずらに死せん身を心ならずも仏法の故に相果てて候わば自ら後世の種とも成り候べし。
 これまた嘆くべき事にあらず。
 何と候とも出仕の儀に於いては一偏に存じ切り候。
 重ねては兎角の義御掟に及ぶべからずと、したたかに申し放ち候いしかばその座に並び居給える大名小名も皆ことごとく気色を替えて候。
 おのおの日奥が傍らへ指し寄せ給いて、これは余りの強義なり。
 何なる国大名も今内府へ対しまいらせては一言も異義を申す人なし。
 その上何れの大名にも内府のこれ程までに言葉を尽くし給える事なし。
 少しは思い直していささか和らぎの御返事しかるべしとて色々異見せさせ給う。
 それがし申す様、世間儀の事にて候わばいか様にも御掟に応じ奉るべく候えども、これは仏祖以来堅固の制法にて候間、いささか上意を軽んじ奉るにあらず候。
 その上沙門の身として国恩を報ずる義別にはこれ無く候。
 ただ仏祖の掟を守るを以て報謝とつかまつり候。
 当座今上意に随い奉るは公儀を重んずるに似て候えども実義を以て申す時は大不知恩の者とまかり成り候。
 多年の程骨肉を砕き学問つかまつり候もかようの義理を存ずべき為に候。
 敢えて以て曲意にあらずと申す。
 この時嵯峨の僧正の門弟、感松房と言う人それがしが前に来たって涙をはらはらと流して申さるる様、さりとては国主の御一行を出し給わんと仰せ候事は比類なき御面目に候。
 この上は出仕を御肯い候ても何か苦しく候うべき。
 僧正も大名衆、強いて御異見に付けて出仕の義、先肯の分に候。是非とも御同心候てしかるべく候。
 かように申し候とてそれがしが命を惜しみ、頸を恐れて弱異見申すにあらず本尊法華経も御知見あれ、臆病にて申すにはあらず。
 と誠に思い入りたる気色なり。
 日奥申す様、真に御一行の義は一廉色の付きたる御掟にて候間、僧正の御肯は誘引の立つ辺も候べし。
 日奥事は最前諸寺の聖人と会合の時より申し置きたる筋目候。
 その上退寺以来、公家武家に対し奉り、度々諫状を捧げ、宗旨の立破既に事を究め候。
 かくの如く候て今更御一行を規模にして出仕を肯い申す事は成らず候。
 貴房御心中の程は深く感じ入り候。
 しかれどもそれがしが義はいかにも叶い難き條目に候と申し切りしかば、本意なげにて立ちのかれ候。
 そのほかつぎつぎの僧俗ども、それがしが手を取り、肩をつき、袖を引き、これは余りの御荒義と申して、あるいは諫め、あるいは悲しみなんどせし有様、心、言葉も及ばず。
 国主は日奥があらく申し放ちたりし事を聞こし召してますます奇怪に思し召し、深く憤らせ給う事限りなし。
 さて夜に入りてしばらく程経て候えば、座敷の内外人の騒ぐ音ひしひしとして物すさまじく候いしかば、ただ今死罪に行わるる体と、人々の気色も見え、それがしも左様に心得候て、既に臨終の心を澄まし居て候えば、しばし有って奉行衆そのほか、大名、小名あまたそれがしが前へ来たり給いてのたまう様は、事既に大事に極まって候。
 哀れ今少し御和らぎ候えかし。
 御前の事は何とも申し延ぶべく候。
 とありし間、日奥申す様、各々終日の御口入れ誠に畏れ入って候。
 しかりといえども最前より申しつる筋目のほかには別に新しく思案の替わる事は候まじ。
 只とくとくいかようにも召し行わされ候え。
 と申せしかば、奉行衆即ち日奥を引っ立て奥の座へ召し行かれ候。
 これ何なる所為ともしらず候いき。
 日奥に付かんとする僧衆をば皆ことごとく引き放ってただ一人国主の御前へ召し出されぬ。
 しかして座敷の体を見候えば案の如く彼の邪人共御前に並び居たり。
 またそれに指し番いて芸州の安国寺並びに学校三要なども列座あり。
 国主は念仏者にて御座す故、地体当宗を嫌わせ給う上、それがし重々の御掟を一も御請け申さず、一々返し候しかば以ての外に憤らせ給う御気色、申すばかりなし。
 上に随う下なれば御前に有りし大名、小名皆以て一同の怨嫉なり。
 彼の邪僧は当座吾が謗法の恥を隠さんが為によき味方を設けたりとや思いけん。
 内々心を合わせたる事なれば居長高くなり、大音声を上げて無尽の僻見を申し狂う。
 その有様、誠に興醒むる事共なり。
 あるいは妙の重は善悪不二にして、謗施も苦しからざる由を申し、あるいは取捨得宜不可一向の釈、あるいは若深識世法即是仏法の文を引き曲げて後日の難非をも顧みず散々に申し散らす。
 余りの物狂わしさに祖師の立義も一往の方便にして実義にはあらずと申し、あまつさえ安国論の亀鏡をもただ一言に申し破りぬ。
 高祖大士は安国論を以て白楽天が楽府にも越え、仏の未来記にも劣らず。
 と書き給えども日紹が口にあいぬれば虚妄の書となりぬ。
 この事は御前に有りし大名、小名皆ことごとく聞き給える事なれば諍い有るべからず。
 悲しいかな悪比丘一旦の名利の為に三寸の舌を振って諸仏の命根を断つ。
 嘆かわしいかな、暫時の恥辱を補わんが為に大妄語を構えて無間地獄の道を開きぬ。
 仏法の苗を食み失う大蝗虫、人天の眼を抜き取る抜目鳥、この国に出現せり。
 恐るべし、悲しむべし。
 日奥これらの大僻見を聞くに余りの邪義なれば返答に立ち入るべき義にもあらず。
 その上兼ねて如意論師の遺誡を聞きし事なれば強いて諍いに及ばず、則ち国主に申していわく、そもそも当宗として謗法供養を受けざる事は祖師以来の制法天下諍なき義に候。
 しかる処に彼の邪僧共仏祖の掟を破って謗施を受け候故に身の恥を隠さんが為に無尽の僻見を申す。
 かようの大邪義をば取り上げ給いて御沙汰に及ばるべき事にもあらず。
 その上前代の御教書、折紙等を披露せしめ候上は、彼の邪人等に召し合わさるるにも及ばざる事なり。
 しかれども宗義の道理なお有り体に聞し召さんと思し召さば判者を立てられ候え。
 経文釈義正しく紙面に載せて申し上ぐべく候。
 今口に任せて烏を鷺と申しても判者なければ、理非分かつべき様なし。
 と申しければ、国主怒らせ給いて紙面も用なし。
 ただ妙の重に於いて他宗の供養を受けざる事あらばただ今この座にて申すべしと仰せらる。
 日奥押し返して申す様、妙の重に於いて謗施を嫌う事勿論に候。
 但し昔より対論の法として判者、記録者を立てられ、双方の証文を書き載せて勝負を決せられ候。
 しかる間今も有り体に邪正を糺さんと思し召さば対論の法の如く、判者、記録者を立てられ候へ。
 双方の義を紙面に載せて理非を決すべしと申しければ、国主仰せにいわく、年来の学問はかようの時の為なり。
 ただ直ちに申すべし。
 何ぞ紙面というや。
 ここに邪僧大いに力を得て申す様、御掟の如く紙面は入らざる事に候。
 ただ直ちに問答致すべしと申す。
 日奥いわく、汝等道理なし、故に紙面を嫌うは大誑惑なり。
 当座の辮口を以て理を言い紛らかさんとするは卑怯至極にあらずや。
 すなわち国主に申していわく、今邪僧道理を申し掠め、文釈を引けども本文の心に背いて沙汰の限りなる邪義を申す。
 しかりといえども記録に載せず、判者なければ邪正分かたず候。
 所詮紙面の勝負は互いに理非紛れなき道理憲法なる者に候。
 これまた先例なきにあらず、昔南都北嶺の法論も紙面を以て致さるる証拠歴然なり。
 その上ただ今の御尋ねは、妙の重の御不審なり。
 しかるに妙の重は仏法の極談甚深の理にて天台妙楽の釈義を以てのほか広博に候えば、卒而に申しのべ難く候。
 しかるを邪人等道理に詰まり候故、大いに邪義を巧み出して妙の重の義理を申し曲げ、当座に勝負を決せんと申すは大誑惑の心顕わに候。
 ひっきょう妙の重をくわしく聞し召さんと思し召さば記録に如く事は有るべからず候。
 御前に於いて高声の諍論かつは慮外、かつは尾籠の至りに候か。
 ただ神妙に紙面を以て聞し召さるべしと申す。
 国主仰せにいわく、大仏の出仕を嫌うは只一人なり。
 衆僧は苦しからずと言う。
 汝若輩として衆義に違するは法華宗の魔王なり。
 日奥申していわく、仏法の邪正は全く人の多きには依らず、ただ経文に叶うを以て本とせしめ候。
 その上末法に正法の者少しと申す事はすでに仏陀の金言に候。
 故に涅槃経に、正法の者は爪上の土謗法の者は十方の土の如し。
 と説かれて候。
 自讃に似ては候えども経文の正義に任せばそれがし一人こそ正法の者とは見えて候え。
 ここに国主道理に泥まれ深く憤らせ給いて、かように強義を言う者は天下の大事を起すべし。
 ただ流罪に行うべし。
 と仰せらる。
 日奥押し返して申す様、五年以前寺をまかり出でし時より身命をばすでに仏法に奉り候。
 流罪、死罪の義、今更驚かざる事に候。
 と申して座を立ち候いき。
 日奥一言の錯りあらば断頭にも及ぶべかりしが、さすが道理極成せし故に死罪をばまぬがれぬ。
 また親類、檀那も大難に及ぶ事なくただ予一人流罪に定められぬ。
 ここに邪人ども国主の強く憎み給う者なれば、いか様の僻事を致したりとも御咎も有るべからずと存ずるに依って、大勢の中に取り籠め悪僧ども立ち懸かって予が袈裟、衣を奪い候。
 その時予心に存ずる様、吾朝に仏法始めて渡りしころ守屋等の大悪人仏法を嫌い、僧を憎み、豊国法師等の三衣を剥ぎ取って策を加えたり。
 高祖大聖人は数百人の謗法者に取り籠められ給いて岩瀬の少輔房に懐中の法華経を奪われ、第五の巻を以て面を三度打たれ給う。
 昔と今は替われども仏法に付いて大難にあい、悪人に責めらるる事は少しも替わる事なし。
 それがし下賤の身として末代に生を受くといえども、祖師の絶えたる跡を継いでかかる大難にあう事生々世々の悦び何事かこれに如かん。
 余りに嬉しく候いし間、諸人に向かって宏言を放ちし事ども繁ければ註さず。
 そもそも当御代の御政道を承るに理非分明にして聖代に異ならず。
 いかなればそれがし一人が事に於いてはかくの如く理を曲げられ候や。
 眼前に謀叛を企て野心を挿む者もこれ程までは憎まれず。
 いかなれば日奥一分の咎なくしてかくの如く責められ候や。
 末世のしるしか、先業の所感か、はなはだ不審なり。
 ただしこれも今始めて驚くべきにはあらず。
 昔如意論師国王の御前にして外道と対論ありしに大王外道の方人をし給いて理不尽に如意論師を恥辱にあわしめ給う。
 如意論師余りに口惜しく思し召して御弟子を召し寄せ、自ら舌を食い切って血を出し一言の遺言を書き給えり。
 その語にいわく、群迷の中に於いて正義を論ずることなかれ。
 と言いおわって死し給いき。
 また最明寺殿はさばかりの賢人にて末代の今に至るまで理非の鏡とする程の人にて候いしが、高祖上人の御事に於いては一円に理を曲げられ候。
 これに依って謗法の諸人力を得て国主の憎み給う人なればいか様の事を致したりとも苦しかるべからずと申して、鎌倉松葉が谷の御住処に押し寄せて害し奉らんとし候いしが不思議として御命ばかりはまぬがれさせ給う。
 しかりといえども数百人の者御庵室に押し入って仏像経巻を取って糞泥に踏み込み、坊を壊ち破り散々に狼藉を致して候。
 少輔房が第五巻を以て高祖を三度打ち奉りしもこの時の事なり。
 しかれども最明寺殿より御咎めもなく相果て候いき。
 今もまた是の如し。
 国主讒言を実と思し召して日奥を憎み給う故にいか様の僻事を致しても咎め給う事も有るまじきと存ずるに依って、余りなる事共致して候なり。
 勿論末代とは申しながら沙門の身と成って法華の行者と号し年来高座にしては謗法の過を誡め、檀那の少しも謗法がましき事ある時は強くこれを防ぎ、熱鉄丸の譬えなんどを引いて事々しく誡めながら、今の身の上に成っては恥をも顧みず、人目をも憚らず、謗法供養を受け、あまつさえ身の謗法を紛らかさんが為に懸け構えざる末寺、末山まで引き出し、結句は法理を立つる者の袈裟衣を剥ぎ取り候は昔にも未だ聞かざる処の悪行なり。
 日月等の諸天は未だ地に落ち給わず、たしかに御照覧あるべし。
 これ程の悪義を御咎めの無きこそ不思議なるに、日奥還って御勘気をこうむりこの島まで流され候事天下第一の奇事なり。
 昔より無智の国主法華経に敵対を成し給うは不審もなき事に候が、内典外典に闇からざる慈悲深く、賢人の名を取り給える国主の、法華の行者を怨み給うは不思議の事に候。
 当宗信心の人々はこの段に案を尽くさるべき事に候か。
 これに付いては当家に入って大事の習い事あり。
 近年は当家の学者自立廃忘の故にすべて思い寄する人も候わず。
 法華経の法門は身に当たり行って見候時経文の虚しからざる事も、大聖人の御文体の奇妙に候事も、自然に知られて貴く、信心も深く発り候。本は他宗より当宗を破らんとし候いしが、今は他宗よりの構えはこれ無く一宗の内より散々に法理を破り候。
 これ昔に替わりたる当代の不思議に候。
 これに付いて大聖人弘安年中に御未来記を残され候が今の世に寸分も違わず候。
 当家の法門は霊山浄土に於いて教主釈尊より金口の直伝なれば一字一點の誤りなし。
 しかる間天台、真言等の余宗より破る事はあるべからず。
 ただ高祖の御門弟の内より法理を破るべき由たしかに御書き置かせられ候。
 この未来記に当世を引き向かえて見候えば、明かなる鏡に物の形を浮かべて見るよりも明らかに候。
 誠に不思議なる御未来記と時に当たって心神を感動せしめ候。
 近年当宗の学者、学問の覚えを承り候えば誠に事々しく候。
 あるいは本末六十巻を講釈せられ、あるいは経蔵に入って一切経を繰らるる方も候。
 これに因って昔の学匠を欺き、中々古今無双の学匠と我も我もと面々に自讃候。
 本より当宗の行者、学問を心掛け候。
 所詮は宗旨の本意を開くべき用意に候。
 宗旨の本意と申すは、経は諸経中王三説超過の妙典、行者はまた、於一切衆生中亦為第一の尊人、誠に人法ともに諸宗の頂上にして自余の宗旨の肩をくらぶべき事にあらず。
 妙経八軸の心、本末六十巻の所詮、この義趣を出ず候か。
 この義を一天四海に弘め、一切衆生にあまねく成仏の種子を下さんが為なり。
 しかるに先年諸宗御供養の始め、八宗の次第を置かせられ候時、当宗を第五番に置かれ候。
 この義前代未聞の乱階、浅ましき次第と存じ候いし間、本圀寺に於いて諸寺の聖人会合有りて詮議まちまちに候いし時それがしが申す様、一宗年来の鬱訴この時なり。
 たとい諸宗の頂上に置かれ候とも宗義の制法なれば御供養を受くべきにはあらず。
 しかりといえども当宗を第五番に置かれ候事は余りの御僻事なり。
 これを幸いの次でとして宗旨の法理を天下に披露あるべし。
 一宗の本意誠にこの時にあらずんば何の時をか期せられ候うべき。
 各々一同に思し召し切って仰せ達せられ候えと指し切って申せしかども同心の方これ無く、一言の愁訴を申し入るる人も候わず。
 おめおめと謗法供養を受けられ候。
 しかれば浄土宗より当宗の法理を破り、甲斐なき有様を見て難状を以て公儀へ訴え、当宗を第六番に下すべき由を申す。
 この時公儀より浄土宗の難状を当宗へ指し渡され返答有るべき旨仰せられ候。
 これに因って彼の碩学皆寄り合わせられ返答せられ候が、いかが書き成され候やらん。
 その時より当宗は第六番に下され浄土宗の下に置かれ候。
 さてさて口惜しき次第、誠に天下の嘲弄、宗旨の恥辱、言亡慮絶に候。
 浄土宗なんどに対しては異の俗人なんども法門には勝つ事に候。
 いかに歴々の智者聖人集まってかくの如くしなされ候ぞ。
 獅子王が狗に踏まれ、鳳凰が烏に蹴られたるよりも浅ましく候。
 釈尊出世の本懐もとみに破れ、大聖人御難行の功も一時に空しく成り候いぬ。
 さても各々年来学問の利口、不惜身命の荒言は何事の為にせられ候や。
 天下第一の不思議に候。
 ひっきょう皆々我慢勝他の心のみにて名聞、学問を致され自立廃忘の故肝心の時に成って本心を失い、倒惑せられ候か。
 例せば修羅の誇って大身を現じ候が、天の責めをこうむりて小身と成って蓮の糸の中に隠れたるが如くに候。
 これに依って前々信力の檀方も彼の学匠達の作法に惑わされ、年来聴聞の法理をも、ことごとく打ち忘れ信心も散々に弱り果て、今は当宗とも他宗とも見分けられざる体と相見え候。
 宗旨の立義かくの如く成り果て候事、日奥余りに無念に存じ、この上は一人なりとも宗旨の法理を上聞に達せしめんと存じ、まず最初に前大相国へ進覧の為に一巻の目安を書いて徳善院へ渡しまいらせ、次に浄土宗の難状の返答七箇條にこれを書いて彼の宗の邪難一々にこれを破る。
 その後慶長元年の大天変地夭に付いて禁中へ三箇度の奏聞、勧修寺殿、久我殿、中山殿三伝奏に付き奉って、安国論並びに自作の勘文合わせて六巻、叡覧に備え奉る。
 その中に他宗を難破せしめしこと強言中々申すは愚かに候。
 しかれば諸宗へ返答を構うべき旨内々勅定に依って諸寺、諸山、日奥が奏聞の目安を書き写さるる由承り及び候が、ついに諸宗より一言の返答これ無く、これに因って自他宗内々の怨嫉重畳せしめ、諸方よりしきりに讒言起こり候いし故、この七八年が間、度々の大難に会い候。
 順魔逆魔に強く責められ退転の心起こり候時は、不軽菩薩の杖木の責め、大聖人の及加刀杖の御難を存じ出して心と心を諫め、歯がみして今までかくの如くに候。
 かくの如く御勘気の身と成ってあまねく万人に憎まれ、檀那にも捨てられ、親類に疎まれ寄る方もなく危うき身には成りて候えども、今いささか退屈の心候わぬは、法敵に向かって道理を折られず、法華経に疵を付け奉らざる故に候。
 結句この島は日本と朝鮮の塩堺にて候えば、高麗大唐までも仏法の名称を伝え候。
 大なる禍は大なる幸いの基と申すもこの事に候か。
 法華経の高き御徳に懸かりまいらせて現当二世の大願成就せしめ候事、譬えば蒼蝿の麒驥の尾に付いて万里を飛び、蔦の松に懸かって千尋を延るが如し。
 誠に仏法の御恩徳にあらずんばいかでかかかるめでたき事候べき、後生はいよいよ頼もしく存じ候。
 佐渡よりの御書にいわく、無始よりこの方法華経の御故に実にても虚事にても過に当たるならば、いかでかかかる賎しき凡夫とは生まれ候べき。
 一端はわびしき様なれども法華経の御為なれば嬉しと思い候と、云云。
 また御書にいわく、我等は流人なれども身心共に嬉しく候なり。
 大事の法門を昼夜に沙汰し、成仏の理を時々刻々に味わう。
 かくの如く過ぎ行き候えば年月を送れども久しからず。
 過る時刻も程あらず。
 例せば釈迦、多宝二仏塔中に並座して法華の妙理をうなずき合い給いし時、五十小劫仏神力故令諸大衆謂如半日、と言わんが如し。
 劫初よりこの方父母主君等の御勘気をこうむり遠国の島に流罪せられたる人、我等の如く悦び身に余りたる者はよもあらじ。
 されば我等が居住して一乗を修行せんの処は何の処にても候え、常寂光の都たるべし。
 これらの御文体を拝見つかまつり候えば、かかる遠流の身と成って誠にわびしき有様にて候えども喜び身に余りて日月の過ぎ行くをも覚えず候。
 されば情けなく怨みし人々の事、今は還って恩深く存じ候。
 ただし自業自得の道理は断惑の聖者もまぬがれ難く候えば、彼の人々の後生こそ痛ましく候え。
 善星比丘と、瞿伽梨尊者は仏の昔の御子なれども悪業究まって生きながら無間地獄に落ちぬ。
 極楽寺の良観上人が虚言を構えて大聖人を怨み奉りし報はその身白癩と成るのみならず、影の木像まで白癩と成って恥を末代の今にさらし候。
 今の世の御房達、謗法供養を受くるのみならず対決に勝ちたるなんど申し触れ結句は軽忽なる記録を作って世上に廻し、大妄語を構えて人を誑惑せられ候。
 罪科はいかが候べき。
 清澄山の円智房が五十年の間昼夜法華経を読み、三年の間一字三礼の法華経を書きしかども正法の行者を謗じ奉りし咎に依って現に白癩病を得て臨終に無間の先相を顕し候。
 いかに法華経を読み、書き候えども心向け悪しく候えば悪道に堕つる事疑いなし。
 これに依って報恩鈔にいわく、法華経を読み、讃歎する人々の中に無間地獄は多く候なり。
 云云。
 近き現証には日b聖人の没後の有様を承るこそ恐ろしく候へ。
 若実若不実此人現世得白癩病はまさしく仏陀の金言なり。
 いかでか空しくは候べき。
 今の世の智者聖人の御中にも眼を付けて見る人候なり。
 また強き道理ある者は一旦人に申し掠められ候えども、天の憐れみをこうむると見えて候。
 庶女と言いし者無実の咎を受け、自ら言い晴らし難かりしかば、天に向かってこれを訴う。
 天これが為に雷電を下して景公の台を撃っておとす。
 鄒衍と言いし者、罪なくして讒をこうむり、燕の恵王の為に禁められたり。
 鄒衍しかたなくして天を仰いで悲泣せしかば天これを憐れみて夏の天に霜を降らせり。
 世間なお罪なくして讒をこうむれば天これを憐れみ給う。
 いわんや仏法の御故に讒言せられたる者を天いかでか捨てさせ給うべき。
 天もし捨て給うならば、それがしが僻事にてこそ候わめ。
 さるにてもたとい各々帰洛の事を御肝煎り候とも叶うべしとも存じ候わず。
 万に一もそれがしが義道理に叶うて候わば各々捨て置き給うとも再び古郷を見る辺も候べし。
 ただしなお先業は計り難く菅丞相は御身に咎はなかりしかども先業の所感なれば讒言に依って鎮西へ流され給いて、ついに旧都に帰り給わず。
 しかれども御身に咎無きしるしには天満大自在天神と顕れて鬱念を散ぜられ候。
 それがしが身も理は天下に隠れなく候えども、先業の所感ならばこの島にて果つる事も候べし。
 それとても嘆くべき事には候わず。
 かえすがえす人は一代、名は末代にて候えば世間の賢人すら名を惜しめば命を軽んず。
 いわんや仏法に入って後世を心に懸け、法華経に身を寄せたる者、今生一旦の嘆きに依って義を失い候わんは無下に甲斐なき事に候。
 いかに惜しむとても惜しみ果つべき身にても候わず。
 郊原の土に埋もれ、山野の煙と登らん事誰人かこれをまぬがれ候べき。
 とてもいたずらに朽ち果つべき身を同じくは仏法の為に投げて仏果を菩提の種にもと願い申す事に候。
 開目鈔にいわく、当世日本国に第一に富める者は日蓮なるべし。
 命は法華経に奉る、名は後代に留むべし。
 日蓮が流罪は今生の小苦なれば嘆かわしからず、後生には大楽を受くべければ大いに悦ばしと、云云。
 今それがしが流罪の身に当たってこの御文体を拝見申し候えば、感涙押さえ難く候。
 そもそも人界に生を受けたる輩、古郷を悲しまぬ人は候わず、断惑の聖者と思しき人々なお古郷をば捨て難く思し召す習いなり。
 唐朝の玄奘三蔵、吾朝の明慧上人、月氏国を深く慕いしは前生天竺の人なりし故なり。
 生を隔ててもなお懐かしきは古郷なり。
 いわんや一毫未断の我等の如き類、しかも生を隔てざるは申すに及ばざる事なり。
 越鳥南枝に巣い、胡馬北風に嘶く、畜類なお古郷を思うことかくの如し。
 いわんや人倫においておや。
 しかりといえども命は義に依って軽しと申して候えば、何に旧里恋しくとも所為なくしてはまかり帰るべき道にあらず。
 国の為法の為、忠勤を存する志国主としては御感有るべき処に、邪人の讒言を聞し召し入れ、科なき者を悪僧に引っ張らせ、結句はこの島まで追われ候事、何とも心得難く候。
 それがしが曲事、何事に候や。
 ただ仏祖の掟を守り候御咎に依ってかく重罪に沈められ候上は是非を申すに及ばず。
 ただ偏えに天命に任せまいらせて仏の金言の実否をもいよいよ身に当たって試み奉るべし。
 とても長命候わぬ世の中にこれ程まで大難を凌ぎ越し今幾ばくもなき残命を送らんが為に意地汚く見えて相果て候わんは今生の名折れ冥途の恥辱なるべし。
 龍逢、比干は君を諫めて頭を刎ねられしかども、名をば万代に留めて候。
 録内にいわく、百二十年持ちて名を下して死せんより生きて一日なりとも名を上げん事こそ大切なれ、云云。平の宗盛がわずかの命を惜しんで頼朝の御使に膝を直され候をば、末代の今に至るまで人皆これを笑う。
 今井四郎兼平が最後をば聞く人今に涙を流す。
 これにて思し召し候へ、身はたといこの島に朽ち果て候とも名は永く朽ちまじく候えば、仏法は死して後にも弘まり候べし。
 しかればこの功徳に依って各々後生をも導き奉るべく候えば、たとい帰洛を遂げず候とも御嘆き有るべからず。
恐々謹言
慶長七年壬寅三月八日
対馬流人日奥三十八歳