御縁起(仏性院日奥)
信心の行者専ら題目を唱うる人にこれを勧むべき事それ三世の諸仏世々番々に出世を興し化導を設け給う事その詮何物ぞや。 いわゆる南無妙法蓮華経これなり。 然らば則ち一代聖教の肝心は法華経、法華経の中の肝心はこれ題目なり。 故に諸菩薩の因位の万行これ多しといえども真実正覚の真因は只これ妙法の題目なり。 檀王の身を床と為して千歳給使を作せしも、楽法梵志の骨を折りて筆となし経を書せしも、輪王の身を削り油となして千灯をともせしも、熹見菩薩の身を焼き仏を供養せしもこれ皆妙法を求めんが為の故なり。 そもそもこの妙法に如何なる功徳あればかくの如く捨て難き身を捨て満界の珍宝にも替えざる命を軽んじ塵芥の如くするや。 つらつら事の意を案ずるに父母果縛の肉身はこれを惜しむといえども久しからずして必ず滅亡の期あり。 非想天八万劫の楽しみもなお春の夢に同じ。 いわんや閻浮不定の短寿ここに於いて何の楽しみあらんや。 故に経に「三界無安猶如火宅」と言う。 王宮なおこれ火宅の内なり。 常に生老病死の憂患あり。 いわんや大臣以下に於いてをや。 誰か智あらん者この苦界に於いて執着を留めんや。 しかるにこの身を捨てて妙法を習い内証の法身を顕わす。 この法身は即ち仏身なり。 仏身は常住不滅なり。 無量無辺の功徳あり。 十方の如来千万億劫に説き給うとも尽くすべからざる者はけだしこの謂なり。 譬えば如意宝珠の一切の宝をふらし、閻浮提の一切衆生にあまねく以てこれを施すに尽くる期有る事無きが如く、妙法の功徳の極りなき事もまたまたかくの如し。 要を以てこれを言わば諸仏如来の大慈大悲相好光明智慧神通一切の功徳皆悉くこの妙法蓮華経に在り。 そもそもこの不思議の妙法はその体何にこれ在りや。 全く遠く外にこれを求むべからず。 ただ吾等衆生の胸の間に在り。 しかりといえども法華経にあわざれば人これを知らず。 譬えば鏡に向かわざれば我が面を見ざるが如し。 法華経の鏡に向かう時始めて己心の仏性を見るなり。 この仏性を指して妙法蓮華経と名付く。 しかるに仏性独り顕われず。 題目を唱うる時自然に顕われ出るなり。 譬えば深く眠れる人は我が身を覚えず。 前後を知らず。 人有り声を高くしてその名を呼べば眼を覚まし本性に帰るが如し。 吾等が心中の仏性冥々として暗き事は眠れる人の如く、題目を唱うるはその名を呼ぶが如し。 題目の声に依って仏性自ずから顕わるること、名を呼び眠り覚めて即ち本心に帰るが如し。 かくの如く思い定めて朝夕怠らず唱うべし。 いかでか成仏せざらんや。 然らば則ち仏というも全く別事に非ず。 ただ吾等が心法を指して仏というなり。 然りといえども法華経にあわざる時は只もとの凡夫なり。 磨かざる玉の光なく、瓦礫に同じきが如し、凡夫の身に於いて仏性を磨き顕すこと偏に法華経の力用なり。 かくの如く甚深微妙の法なれば如意宝珠に譬えたり。 これを以てこれを思うに臭穢の身を捨てて妙法を習い得るは沙を以て金に替ゆるが如し。 誰かこの身を惜しまんや。 昔の檀王等勇んで身命を捨てしは深くこの意を知れる故なり。 しかるに妙法を行ずるに時節に依ってその行相同じからず。 天台大師この妙法の理を観じて十乗観法を凝らし給う。 一念三千の観道これなり。 これは迹化の立義像法の修行なり。 時刻すでに過ぎたり。 今に於いては去年の暦の如し。 末法相応本化の立義は理観を本とせず。 ただ口に南無妙法蓮華経と唱う、これ時刻相応の修行なり。 故に経に本化の菩薩の行相を説いていわく、是四菩薩その衆中に於いて最も為れ上首唱導の師なりと。 この文に唱導の二字まさしく題目を唱うる証文なり。 今この義を弁えざる人観法に非ざれば無益の行なりと言う。 これ恐らくは経文を知らず時刻相応の修行に暗き者なり。 末世の凡夫その意を知らざれども口に任せてこれを唱うれば自然に罪を滅して功徳を生長す。 耆婆が妙薬その味を知らざれどもこれを服すれば自然に病を滅す。 愚痴の衆生妙法の理を知らざれどもこれを唱えんにいかでか煩悩の病を滅せざらんや。 但し題目を唱うといえども謗法有ればその罪消え難し。 譬えば大海は広くして一切の物を収むといえども屍骸を留めざるが如く法華経もまたまたかくの如し。 題目の功力は一切の女人悪人三悪四趣を嫌わずといえども謗法の者を救わず。 また雪山の良薬よく病を治すといえども毒をまじえばその薬かえって人を殺す。 妙法の良薬もまたまたかくの如し。 故に深く謗法を禁ずべし。 如何なる悪人愚人といえども謗法を無くして題目を唱うれば罪を滅して成仏する事疑いなし。 一念もこれを疑わば必ず悪道に堕つべし。 故に経に「生疑不信者即当堕悪道」と言う。 妙法の題目は大船の如くよく生死の大海を渡す。 故に経に「如渡得船」と言う。 妙法の題目は宝蔵の如くよく衆生の貧苦を救う。 故に経に「如貧得宝」と言う。 妙法の題目は日輪の如くよく煩悩の黒暗を照らす。 故に経に「又如日天子能除諸闇」と言う。 妙法の題目は利剣の如くよく元品の無明を断ず。 故に経に「能解一切生死之縛」と言う。 妙法の題目は大車の如くよく寂光の宝土に至る。 故に経に「乗此宝乗直至道場」と言う。 頼もしいかな。 吾等宿福深厚にして末法流布に生を受け本化の末流を汲んで鎮えに題目を唱う。 未来の得道もっとも近きに在り。 ただ恨むらくは法界の衆生に広くこれを勧めざる事を。 故に密かに誓願を発してあまねく天下にこれを広めんと欲す。 これに依って妙経百万部の立願を起こす。 それ妙法には円融互具の功徳有り。 もししかればこの願に与して題目を唱えん人々はその功徳互いに融通して各々百万部の功徳を得べき事疑いなし。 譬えば百千の河大海に入れば小水大水供に一味と成って互いに諸河の水を具し広大無辺なるが如し。 豈大善に非ずや。 然れば則ちもしは百返もしは千返もしは万返力の多少に任せてこれを唱えん信者行者は男女貴賤に依らず、今生には互いに善友となって水魚の思いをなし、後生にはまた同じく寂光の浄土に生じ供に釈迦如来を見たてまつって微妙の大快楽を受けん。 豈に大なる慶びに非ずや。 勧むべし、勧むべし。 南無妙法蓮華経。 慶長十四年己酉 日奥 行年四十五歳 夏の比対馬宮谷草庵に於いて此を記す 先年対馬の島滞留の刻み天下広宣流布の祈念の為に妙経百万部の立願申し候処思の外諸国の真俗助力の衆数多候て、その方勧めの分三百十三万九千六百七十三部の注文。 この度披見に及び大望成就満足この事に候。 そもそも題目一返を勧むる功徳なお莫大なり。 いわんや三百十三万部の上に於いてをや。 誠に以て加様の功力当宗制法の趣板倉伊賀守殿公方様御耳に立てられ候処によくよく聞し召し分けられ即ち御下知を成し下され当宗不受不施謗法供養両重の法度前前の如く立つべきの旨仰せ出さる。 信力の旁大慶これに過ぎず候。 蓮種坊に申し付け候かと覚え候。 この勧めいささか一紙半銭勧物の儀に非ず。 ただ偏に天下の諸人に妙法の首題を勧めて自他共に一仏浄土の縁を結ばんが為ばかりに候。 畢命を期となしいよいよこれを勧めらるべき事専一に候。 謹言。 二月二十一日 日奥 在御判 宥啓老 参 なおなお他国遠国は公方様御下知の事知らざる方多く候間この写し遣わし候條諸国の真俗中へこの通り懇ろに申し触れられ候て信力堅固の勧め肝心に候。 |