萬代亀鏡録

禁断謗施論-3終(仏性院日奥)

 一、彼の状にいわく、法華の行者は「諸天昼夜常為法故而衛護之」と説けり。
 我が宗の行者参詣せば伊勢熊野にも定んで実の善神ましまさんか。
 さりながら謗法雑乱の社へ参詣すること入らざる事か、相似の謗法なる故に。
 云云。
 已上他状

 難じていわく、法華の行者と号しながら伊勢熊野等の謗法の社に参詣する不覚の行者ならばいかでか彼の社へ実の神明降臨し給わんや。
 総じて善神は非礼をうけず、正直の頂に宿らんと誓い給えり。
 もし法華の持者と号して謗法の社に参詣せばこれ非礼の張本不正直の至極なり。
 これ甚だ神明のにくむ所、また深く冥道のきらい給う所なり。
 この人の前にいかでか神影を垂れ給わんや。
 これを相似の謗法と言うは無下に弱き義なり。
 真実の持者ならば仮初めにも謗法の社へ参詣すること有るべからず。
 これ開基よりこのかた深く誡むる所なり。
 当世日乾如き邪智の学者祖師代々の正義を背いて無尽の非計を構う。
 ただ口に邪義を言うのみに非ず紙面に呈わして普天の諸人を惑わす。
 これに因って無智の檀越ほしいままに謗法の社参物詣を致し飽くまで破法罪を犯し、無間の業を増長す。
 誠に悲しみても比い無く、嘆いても余りあり。

 涅槃経にいわく、悪象等に於いて心に惧怖することなかれ、悪知識に於いては怖畏の心を生ぜよ。
 云云。
 これ双林最後の遺誡なり。
 最も深く心腑に銘すべし。
 然らば即ち当世の道俗男女後世を思わん人虎狼毒蛇旃陀羅霹靂悪象悪龍よりも百千万倍恐るべきは豈に邪見の日乾法師に非ずや。

 追記
 問うていわく、当世信力の人々身延山へ参詣を止むる意趣如何。
 答えていわく、日乾法師を延山の代々に列ぬる故なり。
 不審していわく、延山は高祖九箇年行法の霊地、宗旨に於いては最も尊むべき名山なり。
 殊に御書にも在々所々に延山の徳を讃し給えり。
 日乾邪師なりといえども山に於いて何の咎か有らんや。
 答えていわく法華宗の名を得たる人はこの義審らかに暁むべき事なり。
 皆人経文の釈義の元意を知らず、御書の奥義を弁えず。
 故に猥しく疑いを成すなり。
 まず御書の意を言わば高祖讃し給う所の霊地は身延山に限らず不惜身命の人の住処をば何れの処にても寂光土と名付け給えるなり。

 問うていわく、その証文如何。
 答えていわく、証文甚だ多し。
 頼基鈔にいわく、日蓮過去に妻子所領眷属等の故に身命を捨てし処幾ばくか有りけん。
 然れども法華経の故題目の難に非ざれば捨てし身も、蒙る難も成仏の為ならず。
 成仏の為ならざれば捨てし海河も仏土に非ず。
 この度法華経の行者として流罪死罪に及ぶ。
 流罪は伊東、死罪は龍の口、相州龍の口は日蓮が命を捨てたる処なれば仏土に劣るべきや。
 その故は既に法華経の為なるが故なり。

 経に十方仏土の中には唯一乗の法のみ有りと言う。
 この意なるべきか。
 もししからば日蓮が難にあう処毎に仏土なるべきか。
 娑婆世界の中には日本国、日本国の中には相模の国、相模の国の中には片瀬、片瀬の中には龍の口に日蓮が命を留め置くことは法華経の御故なれば寂光土と言うべきか。
 神力品にいわく、もしは園中に於いても、もしは林中に於いても、もしは山谷曠野にても、この中乃至般涅槃し給うとはこれなり。
 已上御書。

 金章の如くんば龍の口を指して寂光土と名付け給えり。
 これ法華経の為に命を捨て給う処なる故なり。
 また佐渡に於いて最蓮房に賜る御書にいわく、劫初よりこのかた父母主君等の御勘気を蒙りて遠国の島に流罪せられたる人我等が如く悦び身に余りたる者は与も有らじ。
 然れば我等が居住して一乗を修行せん処は何れの所にても候え常寂光の都たるべし。
 已上御書。

 金章の如くんば佐州の配処を指して寂光土と名付け給えり。
 ここに知んぬ、霊地身延山に限らざることを。
 それ法華修行の眼の前には無間の熱鉄なお常寂の厳土なり。
 何に況やその外の土地に於いてをや。
 問うていわく、御書の現文最も分明なり。
 はた経文の本拠これ有りや。
 答えていわく、前の頼基鈔に引き給える所の神力品の文まさしくこれ金言の本拠なり。
 問うていわく、この経文の意くわしく示すべし。
 答えていわく、経文にいわく、如来の滅後に於いて当に一心に受持読誦解説書写し説の如く修行すべし。
 云云

 またいわく、所在の国土乃至説の如く修行す。
 云云
 已上御書

 心有らん人つぶさにこの経文を視たまえ、幾程も無く二行の間に如説修行の語両処に在り。
 この如説修行の人の住処を経に説き給う時、園中と林中と樹下と僧坊と白衣舎と殿堂と山谷と曠野とこれらの処を挙げおわって当に知るべし、この処は即ちこれ道場なりと。
 云云

 この文に道場とは即ちこれ寂光土なり。
 疏にいわく、道場はこれ果なりと。
 内証仏法血脈譜にいわく、即ちこれ道場とは常寂光土の宝処なり。
 末法今の時は法華経所坐の処道俗男女貴賤上下所住の処、しかしながら皆これ寂光なり。
 法妙なるが故に人貴し人貴きが故に処貴しとはこの意なりと。
 已上血脈譜

 当体義鈔にいわく、正直に方便を捨て但法華経を信じて南無妙法蓮華経と唱える人は煩悩業苦の三道法身般若解脱の三徳と転じて三観三諦即ち一心に顕れその人所住の処は常寂光土なり。
 已上御書

 所詮これらの諸文を出すことは、如説修行の人所住の処即ち寂光土なることを決定せんが為なり。
 経にもしは白衣の舎と言うが如きは仏閣僧坊は言うに及ばず在家の舎たりと雖もすべて謗法の意無く、説の如く信心清浄ならばその処即ち寂光土なり。
 況や出家精舎の処に於いてをや。
 ここに因ってまた明らかに知んぬ、如説の行人を怨みて悪行を起こす人の所住の処は必ず無間地獄なるべきことを。
 それ万法皆相対有り。
 忠者に賞有れば不忠者に罰有り、孝行に福有れば不孝に禍い有り善悪一双これ無始本有の理なり。

 疑っていわく、如説修行の人の住処即ち寂光土なるべきことは証文旁々分明なり。
 謗人悪人の住処即ち無間地獄なるべきことは未だかつてその義を聞かず。
 くわしくこれを示すべし。
 答えていわく、この義最も大事なり。
 深く道念に住しよく意地を静めて丁寧にこれを聞くべし。
 それ一乗妙法の玄旨は元より依正不二の極談なり。
 故に能居の人善なれば所居の土即ち寂光と為り、能居の人悪なれば所居の土即ち地獄と為る。
 譬えば帝王の住し給う所は何れの処にても都と名付け、或いは王城と号す。
 帝そこを去って野人ここに住めばこれを田舎と名付け、或いは辺土と号するが如し。

 昔長岡の京の時はこの愛宕の郡は辺土なり。
 今帝王ここに在せば即ち都と為り、また王城と号す。
 長岡の京は今また辺土と為る。
 地獄寂光もまた以てかくの如し。
 只人の果報に従って土は存する処無き故に疏にいわく、それ依報の国土は皆正報の所感なり。
 云云。

 およそ諸々の依土は皆正報に順う。
 云云。

 この釈に依報とは所依の国土なり。
 正報とは能依の衆生なり。
 所詮能居の善悪に依って所居の土は地獄とも為り寂光とも為るなり。
 故に元より霊地たりと雖も謗法の人住せば豈に無間と成らざらんや。
 問うていわく、道理極成せり。
 なお証文を示すべし。
 答えていわく、金●論にいわく、阿鼻の依正は全く極聖の自身に処す。
 云云。

 釈の意は無間の熱鉄受苦の罪人は全く妙覚極果の仏の身中に在り。
 況や凡夫の身に於いてをや。
 これ十界互具の故なり。
 故に謗法悪人の住処は性具の無間を顕して依正共に無間地獄と為るなり。
 問うていわく、高祖御書判の中にもかくの如きの証文有りや。
 答えていわく、いよいよ分明の証文有り。
 秋元鈔にいわく、謗法の者住する国はその一国皆無間地獄と成るなり、大海へは一切の水集まる。
 その国には一切の禍い集まる。
 飢渇おこればその国餓鬼道と変じ、疫病興ればその国地獄道と成る。
 軍起こればその国修羅道と変ず。
 死して三悪道に堕つるのみに非ず、乃至この国変じて無間地獄と成るべし。
 云云。
 已上秋元鈔

 また録内にいわく、両火房と言える謗法の聖人は鎌倉中の上下の師なり。
 一火は身に留まって極楽寺焼けて地獄寺と成る。
 一火は後生に日本国の師弟子供に無間地獄に堕ちて阿鼻の焔に燃ゆべき先表なり。
 已上御書

 これらの明文誰か疑いを為さんや。
 問うていわく、証文誠に分明なり。
 道理また極成せり。
 もししからば謗法の大悪人日乾何ぞ提婆が如く大地破れて現身に無間地獄に堕ちざるや。
 答えていわく、凡識を以て疑いを為すべからず。
 所以如何となれば如説の行者の住処即ちこれ寂光なりと雖も、凡夫の見には只これ常の娑婆瓦礫荊棘の穢土なり。
 然りと雖も仏見に任せて疑いを為さずんば後必ず娑婆即寂光と開く。
 然らば則ち謗人の住処即ちこれ無間地獄なることも只これ聖者の見なり。
 何の疑滞有らんや。
 この上なお道理を示さばそれ無間に於いて因の無間有り、果の無間有り、因の無間とは五逆謗法の二罪なり。
 果の無間とは鉄城鉄網猛火熾然たる八万由旬の受苦無間なり。
 因の無間とは凡眼に未だ苦相を見ずと雖も聖者の見には因の処に於いて明らかに苦果の相を見る。
 況や五逆謗法の因業至極すれば現身に果の無間の極苦を受くる者これ多し。
 況や後世無間に於いてをや。

 日乾は因の無間を具足し成就せり。
 果の無間いかでか虚しからんや。
 それ世出万法は因として果に酬わざること無し。
 譬えば種を地に蒔くに芽を生ぜざること無きが如し。
 たとい劫数を送ると雖もその業因に於いては芥子ばかりも朽失すること無し。
 或いは現身に受け、或いは未来に償う。
 凡眼の見えざるを以て阿鼻の果無しと疑うべからず。
 もし現に無間に堕つるを見ざるを以て疑いを為さば、当家所立の念仏無間の法門を用ゆべからざるか。
 何となればこの無間の法門は偏に法然の謗法に由るなり。
 しかるに法然上人謗法の咎に依って現に無間地獄に堕ちたるを誰か見たる者これ有る。
 しかりと雖も経文に堕獄の道理明白なれば諸宗の学者も無間の義を諍わず。
 彼の宗にも実には口を閉ず。
 依法不依人の立義なれば宗旨すでに天下に流布せり。
 法然無間の義はただ当家よりこれを言うのみにあらず、山門より度々奏聞を経てその義を決定せり。
 然らば則ち念仏無間の法門は深く仏説にかない、最も金言に徹せり。
 今ここに横に入って法然無間の義を論ずることはいよいよ日乾無間の義を決定せんが為なり。

 しかるに罪の軽重を校量するに法然は猶軽く、日乾は甚だ重し。
 所以何んとなれば、世間の罪も本来の敵者凶害を企つはその罪これ軽し。
 重代の所従が謀反を起こすはその罪最も重し。
 仏法もまたかくの如し。
 法然が謗法は本来の敵者凶害を企つが如し。
 故にその罪なお浅し。
 日乾悪行は譜代相伝の被官謀反を起こし主君を殺害するが如く、その罪科至って重くその凶害至って深し。
 いかでか阿鼻の極底に沈まざらんや。
 つらつら事の意を案ずるに、在世に於いて直ちに仏に対して怨害を加うる者は多分現身の堕獄なり。
 いわゆる提婆達多善星瞿伽離戦遮女玻瑠璃王等の悪人これなり。
 滅後の弘経者に向かって怨嫉を致す者は現身の堕獄これ希なり。
 唯無間の先相に身に悪瘡を顕し、死して後阿鼻獄に堕在せり。
 また乃往のいにしえを訪うに不軽軽毀の四衆も現身の堕獄に非ず。
 後世に於いて千劫阿鼻の苦患を受けたり。
 普事比丘をにくみし苦岸等の悪人、喜根菩薩を怨みし勝意比丘等、覚徳比丘をせめし大悪人等皆次生の堕獄なり。

 また大聖人を怨みし良観道驩~智等も現身の堕獄に非ず。
 然りと雖も誹謗の罪科顕然なれば入阿鼻獄の厳誡をのがれず。
 乾公またかくの如し。
 現身に無間に堕ちずと雖も次生の堕獄何を以てかこれを疑わん。
 なお疑っていわく、道理文証明白なる上現身後身堕獄の人証甚だ歴然なり。
 何をか疑うべきや。
 然りと雖も身延山は高祖已来代々の明哲跡を継いで住持し給えり。
 しかるに日乾一人の罪科に依って歴代の行功を空しゅうし、天下の霊地にわかに謗法不浄の土と成って参詣の人皆功徳を失い、結句は堕獄の種因と成らんこと愚人の疑う所なり。

 答えていわく、文証人証重々これを示すになお疑慮をのこすは愚痴の至り、迷惑の甚だしきなり。
 これ未だ宗義の法理を聞き究めず、未だよく乾公罪過の深重なることを知らざる故なり。
 それ宝山には曲林をきらい、大海には死骸を留めず。
 天月影を惜しまざれども濁水には宿らず。
 仏神もまたかくの如し。
 利益深大なりと雖も謗法の土には栖み給わず。
 延山の法水清浄なる時は高祖の神霊彼の山に栖み給うべし。
 日乾法師貫首と成りしより後は既に謗法の土と成りぬ。
 いかでか神霊を留め給うべき。
 即ち誠証を出さん。

 御書にいわく、謗法の土は守護の善神法味に飢えて社を捨てて天に上り給えば、社には悪鬼入り替わりて多くの人を悪道に導く。
 仏陀は化を止めて寂光に帰り給えば堂塔寺社は徒に魔縁の栖と成りぬ。
 已上御書

 金章の如くんば謗法の土をば仏神これを嫌って霊光を留め給わず、高祖いかでか仏神に背いて謗地に栖み給うべき。
 一切の聖衆謗法の土をにくみ給うこと人の糞聚の地を厭うが如し。
 一切の不浄の中に謗法の不浄第一なる故なり。
 汝なお疑網啓けずんば今また近喩を挙げてつぶさにこれを示すべし。
 自今他に問う、ここに久しき清涼の池有らん。
 天下万人甚だこれを愛楽す。
 これに因って身手を浄めこれに因って渇乏を止む。

 もし人有ってこの清涼の池の中に或いは鳥獣の糞を入れ、或いは臭りたる死人を入れ、或いは悪瘡の膿血種々の不浄を入れば人この水を用ゆべきや否や。
 他答えていわく、元より清涼の池なりと雖もかくの如き不浄を入れば誰人かこれを用ゆべき。
 もしこの水を以て渇を止めんと欲せば、臭気鼻に入り胸を突き、にわかに嘔吐すべし。
 人なおこの池のほとりに近づくべからず。
 いわんやこれを用いこれを飲むこと有らんや。

 自いわく、この喩えの意を以て自ら得解すべし。
 不浄の至極謗法に過ぎたるは無し。
 前にくわしく証文を引けるが如し。
 それ当宗の法理は清涼の水の如く、よく悪業の垢穢を洗い、よく煩悩の渇愛を止む。
 しかるに身延山高祖已来の法水は喩えば彼の清涼の池の如し。
 この砌に臨まん輩豈に煩悩悪業の垢穢を浄めざらんや。
 しかりと雖も日乾法師瞋濁●曲謗法の不浄は彼の糞穢の如く、また臭りたる死人の如し。
 かくの如き不浄の人を以て延山清浄の法水の中に置く、豈にこの法水穢れざらんや。
 ここに歩みを運ばん人いかでか現当の損亡を取らざらんや。

 一宗の真俗深くこの義を弁うべし。
 しからざれば一世の万行しかしながら泡沫に同ぜん者なり。
 問うていわく、今つぶさに譬喩を聞くに疑氷とみに釈然たり。
 まことに遠く難堪を凌いで歩を延山に運ぶこと偏に滅罪生善の為なり。
 しかるに乾公住山に依って法水不浄に成らば労しく歩を運んで何か為ん。
 ここになお疑い有り、今延山に参詣して少しも功徳を得ず、無益の苦行と成らんことは道理最も明かなり。
 但し堕獄の種因と為らんこと未だその義を弁えず。
 如何。
 答えていわく、さきに妙判を引いて言わずや。
 謗法の堂塔等には仏神栖み給わざる故に悪鬼魔王入り替わりて多くの人を悪道に導くと言えり。
 この悪道豈に地獄に非ずや。
 魔鬼正法を障うるは人をして皆三悪道に堕さしめんが為なり。

 三悪道の中地獄道に堕すこと天魔の本意なり。
 所以何となれば魔の心念は但人をして久しく生死に留めしめんと欲す。
 しかして生死の苦永く出離し難きは地獄界なり。
 例せば身子尊者六十劫菩薩の行を修せし時、乞眼婆羅門が責めに遭うてにわかに菩薩の行を退し、三千塵点劫の間生死に流転し多分は地獄に在るが如し。
 魔障悪知識甚だ以て怖るべし。
 故に魔の人を悪道に導くこと地獄を以て本と為す。
 余道は魔の素意に非ず。

 問うていわく、天魔人をして地獄に堕さしむるを本意と為る証文如何。
 答えていわく、録内にいわく、第六天の魔王一切衆生の仏性の本心を誑かして但悪を勧め、三悪道大地獄の中に堕さんと欲す。
 已上御書極略

 この文豈に明証に非ずや。
 然らば即ち如何なる霊地と雖も謗法の人住すれば仏神その処に栖み給わず仏神栖み給わざる故に魔王来たって住す。
 魔王住するが故に人の善法を妨げて地獄に堕さしむるなり。
 故に謗師日乾を以て延山の代々に列ぬれば衆聖霊神全くこの山に住し給うべからず。
 衆聖霊神住み給わざれば豈に邪魔悪鬼乱入して住せざらんや。
 邪魔悪鬼住せば参詣の人を誑かして豈に地獄に堕さざらんや。
 これ聊か私の料簡を加えず、偏に仏祖の遺誡に任す。
 汝疑うことなかれ、汝怪しむことなかれ。

 問うていわく、今つぶさに宗義の淵底を承り疑網すべて晴れぬ。
 雲霧を開いて天の三光を見るが如し。
 誰か猶予を生ぜんや。
 悲しいかな、今世間の人邪師を知らずして妄りに恭敬を加う。
 今生は色心を苦しめ、来世は阿鼻に堕在せんこと文朗かに理審らかなり。
 誰か嘆かざらんや、誰か悲しまざらんや。
 喟然なるかな、高祖已来代々の明哲法理清潔なること雪の如く玉の如し。
 しかるに乾公が代に至りて謗法の土と為って魔縁の栖と成ること心有らん人誰か傷嗟せざらんや。
 今また問う、如何がしてか身延山の法水を浄め、天下の人をしていにしえの如く参詣せしめんや。

 答えていわく、身心の罪垢を浄むること改悔に過ぎたるは無し。
 然れば昔の嘉祥大師の如く日乾深く改悔有らば延山また清浄の地と為るべし。
 もしまた邪見改まらず、改悔の心無くんば延山貫主の名を削って日乾を代々に列ぬべからず。
 しからざれば延山を浄むる義別にこれ有るべからず。
 不審していわく、日乾も先年すでに改悔有りしこと天下その隠れ無し。
 何ぞ重ねて改悔に及ばんや。

 答えていわく、一旦改悔せりと雖も大悪義未だ止まず、専ら宗旨の法命を断たんと欲す。
 これ前代未聞の悪行、諸人耳目を驚かす所なり。
 この義天下皆知る事なればくわしく記するに及ばざる者なり。

 追記
 問うていわく、大仏供養を受くるは諸寺一同の義なり、何ぞ日乾を取り詰めて強ちにこれを破するや。
 答えていわく、重々の故有り。
 まず一には日乾謗罪の身を以て延山によじ登りて貫首と為り、清浄無染の霊地を汚して不浄の謗地と成す。
 これ大段の罪科なり。
 そもそも真実道念の人はもし謬って謗法罪を犯せば即ちその身を卑下してかつて人の礼をうけず、敢えて高位に登らず、その身を非人に同じて深く罪障を悲しむ。
 これ道心者の所行なり。

 例せば嘉祥大師天台智者に帰伏し改悔懺悔の為に身を肉橋と成せしが如し。
 しかるに日乾は宗旨の法義に於いて度々臆病不覚を致せり。
 何の面目あって高席に於いて説法しあまつさえ延山の貫主に登るや。
 無慚第一なり。
 是一

 次に余師は謗施を受くと雖も邪義を紙面に載せず。
 日乾はただ謗施をうくるのみにあらず、強いて非義を興して多く筆墨に呈わす。
 それ一旦の謬りは凡僧の習い是非に及ばざる所、日乾は謬りをかざり非を遂げてしかも大悪義を紙面に著す。
 重罪の中の大重罪に非ずや。
 是二

 次に余師は公儀を恐る故制法を破ると雖も高席に於いて邪義を言わず、日乾は謗施を受くる上に度々高席に登りて妄りに邪義を宣ぶ。
 是三

 これらの重科余師に超過せるに由って取り分け乾公を破するなり。
 問うていわく、日重は大仏出仕も無く別に悪義を興すことを聞かず。
 何ぞ強ちにこれを破せんや。
 答えていわく、日重顕露の事少なしと雖も近代宗旨滅亡せること偏にこの仁の無覚悟に由る。
 然る所以は世間の人日重大学匠と想えり。
 故に大仏供養を受けんや否の事天下の諸人偏にこの人の口を守る。
 しかるに諸聖人本圀寺に集合あって僉議せられし時、日重心中倒惑の体、臆病の有様言語道断驚き入る所なり。
 日奥強いて諫めしかども敢えて叶わざりき。
 日乾初めはこの出仕を迷惑したとい一命を没すと雖も堅く出仕すべからざる由檀那等に向かいて荒言を放たれき。
 しかりと雖も日重の分別として六條の談所へ日乾を呼び寄せ、強いて異見を加えられ大仏出仕を遂げしむ。
 日乾一度謗施を受けしよりにわかに悪鬼その身に入って大粗念を起こし、即ち妙顕寺に往いて頻りに彼の出仕を日紹に勧む。
 予はこの謗供を免れんが為に寺を出て処々にさまよい、
 暫時鶏冠井に滞留す。
 この刻み日紹より本乗院明伝を使いとして予にたしかなる契約有り。
 その趣はこの謗供を脱れんが為に日奥寺を出づること最も有り難き儀なり。
 日紹も即ち今寺を出づべしと雖も聊か存ずる旨これ有る間しばらくためらい妙顕寺出仕の番に当たる時必ず寺を出でらるべき由堅固に約束有り。

 然りと雖も公儀は日を追って重く、日乾の勧めはいよいよ強し。
 種々に遁れられしかどもついに叶わず出仕せり。
 かくの如く次第に悪義興盛せしかば初め善心有る人々もこれらの作法を見、漸々皆落ち往きて宗義悉く滅却せり。
 去る文禄年中より宗旨乱亡の梯橙この次第なり。
 悲しいかな、一盲衆盲を導いて深坑に墜堕す。
 然らば則ち宗旨を頽けたるその張本は日重一人その根源なり。

 儒教にいわく、罪は首悪に止まる。
 云云。

 本文の如くんば近代宗旨破滅して天下の道俗ほしいままに謗人謗法の大逆を犯せるその罪豈に日重の一身に帰せざらんや。
 故にこれを破すること最も重し。
 問うていわく、大坂城に於いて法難の時専ら法敵となりし人は妙顕寺日紹なり。
 何ぞこれを強く呵責せざるや。

 答えていわく、前に述ぶるが如く日紹は地体敵対の意有らず。
 しかも大坂の城に於いて不慮に無覚悟の事は日乾等深き謀計を以て強いて日紹を勧むる故に不意に当座の敵対と成れり。
 故に予も日紹改悔無き間はこれを呵責すること間断無かりき。
 その旨多く書の中にこれを記す。
 しかるに日奥赦免を蒙って帰洛せしむる後一宗の法理根本に立ち帰り、天下一同に快く和睦有りしはしかしながら日紹一人の功なり。
 この大功有る故に強いて日紹を破せざるなり。
 世人皆いわく、日紹一旦仏法の大敵と為られしは提婆が大逆を造ってしかも仏の威光を挙げしが如し。
 云云。

 問うていわく、一宗和睦の扱い誰人の才覚なりや。
 答えていわく、この扱いは度々大儀に及べり。
 初め関東池上の日惺聖人わざと上洛有って、種々才覚し給えども諸僧の邪義強盛にして敢えて調わず。
 日惺不覚これを思い煩いたまう。
 帰関の路より朦気頻りに重なりて翌年ついに遷化なりき。
 その後関白殿下の母后瑞龍院殿また手を尽くして扱いたまえども調わず。
 この外歴々の衆数度調法有りしかどもついに入眼せざりき。
 世間出世の時刻来たらざれば労多くして功無し。
 時節到来すれば労少なくして功多し。
 ここに筑紫の博多より一人の出家上洛せり。
 その名を唯心院日忠と号す。
 本来備前の生まれなり。
 俗姓はまた齋藤累代武勇の家なり。
 十九歳の時父の敵を討たんが為に関東に下向して兵法を稽古せり。
 法光院日吏これを教化していわく、兵法を習い父の敵を討たんと欲するは定んで孝養の為なるべし。
 然りと雖もこれ真実の孝養に非ず。
 還って生生怨憎会苦の憂いを増し、輪廻の苦患尽くる期有るべからず。
 如かじその怨念を止めて出家学道して親の菩提を弔わんには。

 これ真実の孝養なるべし。
 この教誡を聞くに深く肝胆に銘して即時に髻を断り、妻子を棄捨して出家遁世せり。
 しかのみならず道を学し、弘通を成就せんが為に誓って手の一指を燃やせり。
 この誓願に酬いて学業ようやく成って国々を弘通せり。
 筑紫の博多に至って吉利支丹と問答す。
 即ち彼の張本の以流満を只一言にとりひしぎ言句を継がず。
 これに因って彼の徒党幾千万の者悉く勢いを失い、垣をくぐり屏を越えて八方に逃げ走る。
 国主これを聞いて大いに感悦し悉く国中の吉利支丹を追い払い、彼等が寺一一に破却せられおわんぬ。
 唯心院には褒美として大なる敷地を賜う。
 諸檀那大いに悦んで力をあわせ大寺を建立せり。

 日奥対馬より還住の時、船を博多に寄せて彼の寺に宿すること両三日なり。
 博多に元より当宗の寺多し。
 その中にこの寺第一なり。
 予つくづくこれを見て甚だ唯心院道力の冥加を感ず。
 総じて筑前の国は長崎に近き故に吉利支丹はなはだ繁昌の処なり。
 その国に於いて問答の勝利を得ること最も難し。
 いわんや国主の親父恕水居士は吉利支丹の大檀那なり。
 故に国中の貴賤大体これに付す。
 その中に於いて勝利を得ることまたいよいよ難し。
 いにしえより当宗の問答必ず法門には勝つと雖も横に権家を仮り理不尽に押すときは則ち文殊の智慧、富楼那の弁も叶い難し。

 安土の宗論、尾張の問答皆これなり。
 しかるに唯心院は国主分明に理非を分けられ、厳重に彼の外道を破却せらる。
 あまつさえ日忠には広博の屋敷を賜いて新寺を建立せしめ宗旨甚だ繁昌せり。
 これらの次第を思うに日忠勇猛の発心道力の薫ずる所か。
 大いに一宗の眉目を開けり。
 しかして後五箇年を経て上洛せり。

 しかるに妙顕寺日紹元備前蓮昌寺に住持たりし時、日忠童形にして随逐す。
 その因みに依って在京中節節妙顕寺に出入し、時々法理の筋目違却せることを嘆き、連連日紹を諫暁せり。
 日紹もまた彼の出仕已来の儀地体悔やみ深き故に早く日忠の諫暁を納められ委細に諸寺へ談合有って諸寺にもその義尤も然るべしとて諸寺の名代として日紹改悔の為に当寺へ来臨有り。
 時に元和二年六月二十一日未の刻なり。
 この義を以て一宗の仏法一時に和睦し、天下当宗の真俗上下万人一同に歓喜の笑みを含む。
 向きに言えるが如く、時刻到来すれば労少なくして功多しとはこれなり。

 池上日惺聖人はるばる上洛有って心力を尽くし給えども功成ぜず。
 その外歴々軽からざる衆精を尽くして扱い給うと雖も事成ぜざるは時未だ来たらざるが故なり。
 時刻純熟の節、日忠筑紫より上り合わせ、大切の和睦即時に入眼するは誠にこれ大宿善の開発、現生の大冥加に非ずや。
 日惺聖人遠路を凌ぎ京都に上り給うは功成ぜずと雖もその護惜正法の心情に於いてまた深く感嘆すべし。
 仏なお出世して本懐を遂げ給わざること有り。
 況や人間に於いてをや。

 然りと雖も低頭挙手福虚しく捨てず。
 惺師心情の労功いかでか虚しく相朽ちんや。
 貴むべし、貴むべし。

禁断謗施論 終