萬代亀鏡録

門流清濁決疑集・前 (仏性院日奥)

門流清濁決疑集

 それ輪王出世の瑞華は時有ってまさに開き、海中一眼の盲亀は年有って希に浮かぶ。
 天地万物運を待って開発する事時なるかな時なるかな。
 ここに貧道去る文禄年中大仏の謗供に就いて彼の席を脱れんが為に寺を出でて丹州の小泉に山居せしむる処に、翌年七月十二日の夜亥の刻、大地震その外種々の大天変地妖前代に超過せるに驚いて経論を開拓し、災難の由来勘文一巻を撰んで、三伝奏に付け奉って叡覧に備う。
 その後両三度に及んで諫状を献ず。
 忠言耳に逆らうの謂、怨嫉の重障月を累ねてますます起こり、讒言の悪声歳を積んでいよいよ喧し。
 蚊虻雷を成し、衆口骨を消すの本文に違わず。
 ついに国主の御勘気を蒙って西海遠島の左遷深山の幽窟に籠められて日月の輝きに当たらず。

 そもそも配所のていたらく、青山峨々として飛鳥も翔り難く、海水涛々として眼精も究めず。
 海路遙かに隔って帝都を去る事三百余里、嶺に登れば頭に天を頂き、谷に降れば足に雲を踏む。
 糧乏しゅうして長日昏し難く、衣薄うして寒夜暁し難し。
 眼に遮る者は蒼海万里煙の波、耳に聞くものは連山千重松の嵐。
 敢えて罪無しと雖も身の浮み難き事海底の盤石の如し。
 古郷の望絶えたる事石田の焦種に似たり。
 上は一朝の威を恐れ、下万人の口を憚り、年来の檀那にも捨てられ、親類も訪わず、彼の蘇武が胡国の嘆き李陵が巌窟の憂い、殆ど身の上に積み知れり。

 その責めの重きを思えば国主の貴命、その義理を案ずればかたじけなくもまた法王の告勅なり。
 憂喜こもごも深く紅涙しばしば重し。
 誠に三宝の冥助を蒙らずんば何に由って露命を繋がん。
 善神の擁護に非ずんば何を以てか残命を保たん。
 書籍を友として日を瞑し、経論を誦して夜をあかす。
 星霜やや積んで十有三年仏神咎無きを憐れみ奉い、天運図らざるに到って去る慶長壬子の歳にわかに恩赦を蒙り本国に帰りぬ。
 その后宗義次第に昔に還り、法理一統の堅約、諸門一味の和睦快く入眼せしむ。

 あまつさえ公儀の高聞に達して一宗両條の制法先規の如く御許容の憲章最も明白なり。
 久しく絶えたる法命を継ぎ、遙かに廃れたる吾が道を興す。
 然らば則ち天下信力の貴賤大いに喜悦の眉を開き忻々たらずと言う事無し。
 ここに希代の妖怪有り。
 名を法華宗の沙門に仮り妄りに名山霊地を領してしかも宗義を破らんと欲す。
 邪見悪行日を追って倍増せり。
 頑愚の道俗真偽を弁えず、魔説に随順して正道に背く輩これ多し。

 心有らん人誰かこれを悲しまざらん。
 誰かこれを嘆かざらん。
 故に一分の慈悲に催されて法水の渭を分かち、門流の清濁を弁ず。
 迷徒の沈溺を救わんと欲すればこれ敢えて智人の前に進めず、只門下の童蒙を導かんとなり。
 故にその詞質にして美ならず。
 見る人識り易からん事を欲してなり。
 その言直にして偽らず。
 聞く人誡を深くせん事を欲してなり。
 もし我執を挿んでいたづらに雌雄を争わばこれ法中の残賊なり。
 甚だ冥の照覧を恥ず。
 これ志す所は法幢千代傾かず、一宗の妙義永く群生を利せん事。

 伏して乞う、博覧の士ここに鴻慈を垂れてその闕略を補い、以て少量に添加せば豈にまた悦ばしからざらんや。
 およそ文に就き大いに分ちて十二と為す。
 一には仏の四処の道場を明かし、二には高祖の四処の道場を明かし、三には三国一師の義を明かし、四には本化の出世日本に限る事を明かし、五には叡山の義を明かし、六には身延山の義を明かし、七には如説の行者の住処即寂光土なる事を明かし、八には謗人の住処即無間地獄なる事を明かし、九には世間の悪業に依って現身堕獄せる先蹤を明かし、十には在世滅後の堕獄の不同を明かし、十一には霊地謗法に穢れて後参詣すべからざる事を明かし、十二には霊地の汚れを浄むる方法を明かす。
 但し別して章段を立てず。
 問いに依り答えを設けて漸次にその義を顕す。
 細科多しと雖も大抵かくの如きのみ。

 問うていわく、吾が宗の高祖諸国に旧跡これ多し。
 何の処か最勝の霊地なるや、くわしくこれを聞かんと欲す。
 答えていわく、これに就いては諸門の異執甚だ多し。
 然りと雖も全く偏執を捨てて正直にその大綱を示さばまず仏に於いて四処の道場有り。
 いわゆる生処と得道と転法輪と入涅槃とこれなり。

 初めに生処は中天竺伽毘羅衛国藍毘尼園なり。
 二に得道は中天竺摩訶陀国正覚山なり。
 三に転法輪は中印度摩竭提国霊鷲山なり。
 四に入涅槃は東天竺舎衛国抜提河の辺なり。
 この四処に於いて皆まさに塔を立てて供養すべし。
 云云。

 私いわく、転法輪の地惟れ多し権教方便は仏の本懐故に霊山八年を以て真実転法輪と為す。
 高祖に於いてまた四処の道場有り。
 いわゆる生処は房州長狭の郡小湊なり。
 得道は同国清澄山なり。
 転法輪は甲州身延山なり。
 或いは比企ヶ谷を以て転法輪の地と謂う、これ門流の意楽なり。
 入涅槃は武州池上なり。
 この外在々の御難処皆これ本化弘経の霊地なり。

 問うていわく、これらの霊地に於いて何の処か高祖御本意なるべきや。
 答えていわく、面々その門徒を執して執情の堅き事金石に超ゆ。
 正しくこの義を宣べば諸門の遺恨定めて出来せんか。

 難じていわく、人を憚って言わずんば無慈詐親なり。
 正直の行者に非ず。
 もしその旨有らば端直にこれを示すべし。

 答えていわく、所難まことに以有り。
 所詮当家の意は神力品の文に依って如説修行の人の住処をば何くも皆寂光土と名付け給えり。
 故に互いに強いて勝劣を論ずべからざるか。

 問うていわく。
 身延門流の人々のいわく、高祖御旧跡の中には身延山最も御本意の霊地なり。
 その故は録内録外に亘って称歎の文一に非ず。
 今略して聊か一処の文を出さん。
 波木井鈔にいわく、釈尊は霊鷲山に居して八箇年法華経を説き給う。
 日蓮は身延山に居して九箇年の読誦なり。
 伝教大師は比叡山に居して二十余年の間法華経の行者なり。
 然りと雖も彼の山は濁れる山なり。
 この山は天竺の霊山にも勝れ、漢土の天台山にも勝れ、京の比叡山にも勝れり。
 乃至未来際まで心は身延山に住すべし。
 已上御書

 この御文体の如くんば延山豈に最勝の霊地に非ずや。
 答えていわく、この御書に於いて敢えて諍い無し。
 かくの如く霊地なる故に昔の如くこれを浄めんと欲す。
 故に今参詣を止るなり。
 今もしいにしえの如く参詣を企つれば宗義の建立大いに破るる故に参詣を致す者還って大聖人の冥慮に背くなり。
 この義往いて顕るべし。

 問うていわく、比叡山を以て濁れる山と書き給う、これ何なる故ぞや。
 答えていわく、慈覚智証の両大師伝教義真の正義に背いて理同事勝の邪義を立つ。
 故に謗法の山と為る。
 故に濁れる山と書き給うなり。
 今なお正しき証文を出さば三大秘法鈔にいわく、延暦寺の戒壇は叡山の座主を初めて第三第四の慈覚智証存じの外本師伝教義真に背いて理同事勝の狂言を本として我が山の戒法を蔑り戯論と笑いし故に思いの外延暦寺の戒清浄無染の中道の妙戒なりしが、いたづらに土泥と成んぬる事言うても余り有り、歎いても何かせん。
 彼の摩黎山の瓦礫土と為り、栴檀林の荊棘と成りしにも過ぎたるなるべし。
 已上御書

 これ慈覚已来叡山の法水濁れるに非ずや。
 問うていわく、慈覚智証の謗法に依って仏神捨離して比叡山に栖み給わざるや如何。
 答えていわく、謗法の土に仏神栖み給わざる事は経論の掟なり。
 故に慈覚已来は叡山に仏神栖み給わざるなり。
 問うていわく、その証妙判にこれ有りや。
 答えていわく、分明の証文有り。
 録内にいわく、小乗権大乗よりも実大乗の人々が還って法華経を失わんが大事なるべし。
 仏法の滅不滅は叡山にあるべし。
 叡山の仏法滅する故に異国より吾朝を亡ぼさんとす。
 叡山の正法滅せる故に大天魔日本に出来して御祈祷に験し無し。
 御祈祷に験し無くんば三千の大衆等は檀那に捨て果てられぬ。
 仏菩薩並びに諸天善神等に帰し奉らん事は別の術無し。
 禅宗念仏宗の寺々を一も無く失い、その僧を禁じて叡山に講堂を造って霊山の釈迦牟尼仏の御魂を請じ入れ奉らずんば諸神も還り給うべからず。
 諸仏もこの国を扶け給わん事難し。
 已上御書

 金章の如くんば覚証両師の謗法已来仏菩薩諸天善神叡山に栖み給わざる事何の疑い有らんや。
 問うていわく、慈覚智証の両大師本師伝教義真に背きし謗法罪は後世に何なる苦果を得んや。
 答えていわく、およそ無間地獄に堕つるに二の業因あり。
 一には五逆、二には謗法罪なり。
 しかるに覚証二師は謗法罪顕然なり。
 経釈の掟の如くんば無間地獄は疑い無き者なり。

 問うていわく、高祖の御書にその義これ有りや。
 答えていわく、謗法罪を無間の業と定むる事はすでに仏説の金言なり。
 妙判を引くに及ぶべからず。
 然りと雖もなおこれを聞かんと欲せば分明の証文を出すべし。
 御書にいわく、慈覚大師智証大師は已今当の経文を破り給う人なり。
 已今当の経文を破り給わば豈に釈迦多宝十方の諸仏の大怨敵に非ずや。
 云云。

 またいわく、慈覚智証に於いては世間の科はしばらくこれを置く、仏法に入っては謗法第一の人々なり。
 大乗を誹謗する者は箭を射るより早く地獄に堕つとは如来の金言なり。
 人語はしばらくこれを置く、釈迦多宝二仏の金言虚妄ならずんば慈覚智証に於いては定めて無間地獄に入らん。
 未顕真実の説を以て三世仏陀の本懐の説を破るのみに非ず、あまつさえ一切衆生成仏の道を失う。
 深重の罪過現未来の諸仏いかでかこれを窮め給うべきや。
 いかでかこれを救い給うべきや。
 已上御書

 金章の如くんば覚証両師誹謗の後報甚だ以て怖るべし。
 甚だ以て怖るべし。
 問うていわく、覚証二師を破する事は当宗に於いては尤も蓮祖の義を用ゆべし。
 他宗に於いてはその義信用し難からんか。
 如何。
 答えていわく、この難甚だ非なり。
 所詮覚証二師の謗法を糺す事は釈尊の金言に違する処を責むるなり。
 この義よく仏説に契わば誰人の釈なりと雖も背き難き者なり。
 もし人を簡んで正義を捨てば依法不依人の禁誡を破る者に非ずや。
 いわんや蓮祖は本化の再誕なり。
 その義経に在って明白なり。
 迹化天台の釈なお諸宗判経の依憑と為す。
 いわんや本化の判釈経文を本とせば誰人かこれを忽緒せんや。

 これに背くは偏執の至り、邪慢の致す所なり。
 もし強いて用いずと言わば正しくこれ仏の金言を破る者なり。
 譬えば勅使の儀を軽んずれば即ち勅命を軽んずるに為るが如し。
 謹んで法華経の涌出寿量の量品並びに神力品を拝見するに高祖は正しくこれ如来の使、良薬付属の大薩●なり。
 遣使還告の法王の勅使吾が祖を除くの外一閻浮提の内に何れの祖師を以てこれに課せん。
 随って天台妙楽伝教等の解釈も分明なり。
 誠に生盲聾者に非ずんば疑いを為し難き事なり。
 天下の諸宗経文に暗き故に吾宗の高祖に於いて深く偏執を為す。
 譬えば親に背いて敵を敬う者の如し。
 暗愚の至りに非ずや。

 経に毒気深入と説くはこれなり。
 もし宗祖の義実経の文に違わば当宗たりと雖もこれを用いて何かせん。
 立義もし経文に符合せば何の宗旨かこれを蔑如せんや。
 もしなお憎嫉を懐いてこれを用いざるは金口の誠言に背く間阿鼻の焔最も免れ難き者なり。
 それ久成の教主釈尊本法所持の大良薬を以て本化の大士に付属し給う事は偏に末法一闡提逆謗二輩の大重病を治せしめんが為なり。
 この厳約を違えず上行薩?末法後五百歳に和国に誕生し忍辱の甲冑を慈悲の膚に着し、三類の強敵を忍んで、甘露不死の妙薬を謗法一闡提の口にそそぐ。

 天竺別集にいわく、初めには西より伝う、月の生ずるが如く今また東より返る。
 なお日の昇るが如し。
 云云。
 集の如くんばこの妙法の大良薬は東土日本より漢土月氏に弘まるべし。
 経にいわく、閻浮提内広令流布。
 云云。
 金言疑いなし。

 然れども高祖大師は一閻浮提八万四千の国々上国王大臣下万民道俗男女一切衆生の為に大慈悲の医王なり。
 大慈悲の師君なり。
 大慈悲の父母なり。
 三徳深重の大恩宛か世尊の如し。
 疑っていわく、各謂自師の思いは世人常の習いなれどもこれは余り誇耀に似たり。
 但しこの義経文釈義並びに判釈等証文たしかにこれ有りや。
 答えていわく、この義全く各謂自師の思いに非ず。
 三国伝来金口の誠言なり。
 世尊三徳を備え給う事は勿論なり。

 然りと雖も大悲なおやまず末法一闡提の輩を憐れんで久遠証得の大秘法を以て上行薩●に付属して末法弘経の大導師と定め給えり。
 然れば即ち上行の後身日蓮大師は豈に末世の衆生の主師親に非ずや。
 譬えば世王の国の宝を以て太子に譲り給えば一切世人即ち太子を天尊と仰ぐが如し。
 これに背くは違勅の者なり。
 何くの浦にその身を遁れん。
 仏法もまたかくの如し。
 付属を忘れて弘経の導師を軽んぜば仏陀の本懐を破る者なり。
 阿鼻の極底に留まらずんば何の処にかその身を収めん。

 次に証文を出さばまず良薬付属の文は寿量神力両品に明かなり。
 いわく、「是好良薬今留在此、爾時仏告上行等已下」の文これなり。
 天台はこれを釈して要を結して付属す。
 またその枢柄を撮ってこれを授与す。
 云云。
 経文と釈義はかくの如く分明なり。

 次に妙判の事録内にいわく、重ねて釈尊無虚妄の舌を色究竟天に付け給いて後五百歳に一切の仏法滅せん時上行菩薩に妙法蓮華経の五字を持たしめて謗法一闡提の輩の白癩病の良薬と為せよと仰せ付けられし金言虚妄なるべしや。
 大地は反覆すとも高山は頽落すとも、春の後に夏は来たらずとも、日は東へ返るとも、この一事は一定なるべし。
 云云。
 またいわく、法華経を弘むる者は日本国の一切衆生の父母なり。
 章安大師のいわく、彼が為に悪を除くは即ちこれ彼の親なり。
 云云。
 然るに日蓮は当帝の父母なり。
 また念仏者禅宗真言師等が師範なり。
 また主君なり。
 已上御書

 これ主師親の文明白なり。
 また白癩病を治する師なれば医王の義も顕然なり。
 無量義経には文殊薬王等の迹化の衆を以てなお医王大医王と歎ず。
 いわんや本化の薩?を大医王と称せざらんや。
 またいわく、強敵を伏するに始めて力士を知る。
 悪王正法を破り邪僧の方人を成して智者を失う時は師子王の如き心を持てる者必ず仏になるべし。
 例せば日蓮が如し。
 これ誇れるに非ず。
 正法を惜しむ心の強盛なるべし。

 日蓮はこの関東御一門の棟梁なり。
 日月なり。
 亀鏡なり。
 眼目なり。
 父母なり。
 しかるを流罪して主従共に喜悦する、哀れに無慚なり。
 已上録内

 予道理を按じていわく、その身安全に処して慈悲を施さばその恩なお浅し。
 大難を忍び難堪を渡って慈悲を施さばその恩至って深し。
 しかるに不軽菩薩は杖木瓦石の難にあい給い、未だ刀の難にあい給わず。
 釈尊は今度九横の大難にあい給えども流罪死罪の難は未だ聞かず。
 吾が祖は刀の難すでに二度なり。
 流罪また両度なり。
 恐らくは不軽菩薩の杖木の大難にも勝れ、世尊の九横の巨難にも超え給えり。

 この恩至って深く、この徳至って高し。龍樹天親天台伝教等もいかでかこの徳に及ぶべき。
 呵責謗法滅罪鈔にいわく、国主万民を憚らず大音声を出して二十余年が間喚わりしかば龍逢比干の直臣に劣るべきや。
 大悲千手観音一時に無間地獄の衆生を取り出すに似たり。
 日蓮は法華経章安の釈の如くんば日本国一切衆生の慈悲の父母なり。
 天高けれども聴き疾ければ聞かせ給うらん。
 地厚けれども眼早ければ御覧有るらん。
 已上

 録内にいわく、仏説虚しからざれば三類の強敵すでに国中に充満せり。
 そもそも誰やの人か衆俗に悪口罵詈せらるる。
 誰の僧か刀杖を加えらるる。
 誰の僧か法華経の故に公家武家に奏せらるる、誰の僧か数々見擯出と度々流さるる。
 日蓮より外日本国に取り出さんとするに人無し。

 また録内にいわく、彼の不軽軽毀の大慢の比丘等は初めには杖木を調えて不軽菩薩を打ちしかども後には掌を合わせ咎を悔ゆ。
 提婆達多は釈尊の御身より血を出せしかども臨終の時は南無と唱えたりき。
 但し仏とだに唱えたらんには地獄には堕ちざらまじ。
 宿業至極して唯南無と計り唱えて仏とは言わざりき。
 今日本国の高僧等も南無日蓮聖人と唱えんとするとも南無ばかりにてやあらんずらん。
 不便不便。
 已上撰時鈔

 またいわく、仏陀記してのたまわく、後の五百歳に法華経の行者有らん。
 諸々の無智の者必ず悪口罵詈刀杖瓦石流罪死罪に致さん等。
 云云。
 日蓮無くんば釈迦多宝十方の諸仏の未来記はまさに大妄語なるべきなり。
 已上録内

 請い願わくば諸々の有智の道者骨に刻み、肝に銘せよ。
 これはこれ門弟の敬信を奨めんが為殊には自忘に備えんと欲す。
 謹んでこれを勘え集む。
 繁きを厭う事なかれ。
 これらの金文を常に心を懸けて甚深広大の恩徳を忘失すべからず。
 恐らくは上行再誕の玉章に非ずんば誰有ってかくの如き勇猛威力の文勢を留めんや。

 難じていわく、今汝が勘え出す所の文は少年の小僧もこれを読む。
 何ぞ事新しくこれを引くや。
 答えていわく、少年の小僧もこれを読むと雖も八十の老学もこれを行う事あたわず。
 所詮これ等の肝文を撰び出す元意は唯門弟の人をして祖恩の深く至る事を敬念して知恩報恩の志を励まし現当二世の冥加有らしめんと欲するなり。
 皆人口には誰かその志無しと言うと雖もしかも実にはその念無きか。
 歳寒うして然る後松柏の凋むに後るる事を知る。
 万物皆流れて金石独り留まる。
 急難に当たって実にその行跡を見ざればその臆意信じ難し。
 利口の浮言は水上の泡よりも危うし。
 汝もし疑いを晴らさんと思わば眼前に今当代の学者を問え。
 もし実にその人有らば盲亀の浮木、求めて師と為すべし。
 唯文を読むのみは何の益有らん。
 願わくば広く文を読む事無くとも一句も神に染めて身に行わん事を。
 大法句経にいわく、千言を誦せりと雖も行わざれば何の益有らん。
 如かじ一聞いて勤修して益を得んには。
 已上経文

 この一偈誠に行者の明鑑なり。
 予近代の碩学を見聞するに宗祖の御義を疎んずる人多く冥罰現罰を見、或いは悪瘡或いは狂乱、或いは自害、或いは中夭横死、或いは臨終の悪相等つぶさに記するにいとまあらず。
 嗚呼後学深く恐れざるべけんや。

 問うていわく、高祖は日本小国に出世し給う。
 漢土月氏の大国いかでか本化の出世無からんや。
 しかるを蓮祖一師を以て一閻浮提三国の導師と言うは如何心得難し。

 答えていわく、四天下の中に全く二日無し。
 三州の内に豈に両聖出でんや。
 録内にいわく、月氏漢土日本に智慧勝れ、芸能秀逸き聖人は度々有りしかども日蓮ほど法華経の方人、国土に強敵多く設けたる者は無きなり。
 まず眼前の事を以て日蓮は閻浮提第一の者と知るべし。
 仏法日本に渡って七百余年、一切経は五千七千、宗は八宗十宗、智人は稲麻の如く、弘通は竹葦の如し。
 然れども未だ聞かず。
 見ず。
 南無妙法蓮華経と唱えよと勧め我も唱うる智人は無し。

 日出でぬれば星隠る。
 日蓮日本第一の法華経の行者なる事敢えて疑い無し。
 これを以て推するに漢土月氏一閻浮提内に肩を並ぶる者有るべからず。
 已上御書

 それ扶桑朝は粟散の小国と雖も殊勝深甚の境、一乗法華有縁の地、三国無双の妙国なり。
 この義私ならず。
 瑜伽論肇公の記、明眼論、守護章、広釈等に分明にこれを記す。
 生をこの土に受くる事軽からざる宿善なり。
 いわんや日本国に限って本化の大士出世し給う事なお深旨有り。
 よくよく習うべし。
 宗祖は正像二千年の大王より末法今の民たるべし。
 云云。

 幸いなるかな、幸いなるかな。
 吾等如来の在世に漏れたりと雖も、霊山の宝珠目の当たり掌に握り、鷲峰の法水居ながらこれを汲む。
 つくづくこれを想えば曠劫の歓び偏にこの時に在り。
 深厚の宿縁に非ずんば誠にあい難しとなす。
 最も寝●を忘れて専ら行ずべき時なり。
 悲しいかな、悲しいかな。
 近代吾が宗の学者自立廃忘して還って本化の法門を軽賎し猥しく祖師先哲の正義に乖き、堅く己情の邪義を立てんと欲す。
 例せば覚証二師教大師の正義に背いて心を邪師に移せしが如し。

 故に宗義ことごとく衰廃して殆ど令法久住の悲願を失う。
 三聖の大怨敵元祖の大讐敵還って吾宗の中に在り。
 悲しいかな。
 予が義もし僻見ならば天速やかに治罰を加えて天下の人をして明らかにその咎を見せしめ給え。
 敬って冥鑑を期す。

 問うていわく、高祖已前に覚証二師を破する人これ有りや。
 答えていわく、これ無し。
 問うていわく、その故如何。
 答えていわく、この二師を破する事は本化折伏の規模なり。
 余師の及ぶ所に非ず。
 その故は弘法法然は謗法の筆顕露なり。
 故に高祖已前にもこれを破したる人有り。
 覚証二師の謗法は幽微にして的然ならず。
 故に智人なお惑えり。
 いわんや愚人に於いてをや。

 故に碩学の名を得たる人多しと雖も彼の師に及ばず。
 故に四百余年の間これを破したる人一人も無し。
 恐らくは本化垂迹の大智力に非ずんば誰の智者かこれを破せんや。
 右覚証両師の誤りを以て高祖堅く無間堕在の人と定め給う事は本師伝教大師の正義に背いて邪義を弘宣し、比叡山を穢したる故なり。
 この難破理強くして深く仏の金言に相契う。
 故に山門寺門の碩学もこれを難ずることを得ず。
 そもそも慈覚智証の両大師智慧戒徳小ならず。
 一処の妙判に宣べていわく、この大師は大小乗持戒の人面には八万の威儀を備え、或いは三千これを具す。
 顕密兼学の智者なり。
 然る間日本国四百余年の間上一人より下万民に至るまでこれを仰ぐこと日月の如くこれを尊む事世尊の如し。
 なお徳高き事須弥に超え、智慧の深き事蒼海にも過ぎたり。
 已上御書

 かくの如く有智高徳の人なれども先師の正義に背きし重罪は堅く入阿鼻獄の厳誡を免れざるなり。
 明らかに知んぬ、法華の賞罰は人の尊卑に依らず。
 智の高下を撰ばざる事を。
 嗚呼師敵対の罪最も恐るべし、最も恐るべし。
 今当宗の内に於いてこれに異ならざる事有り。
 ほぼその濫觴を言わば先年大仏出仕已来法理一往濁乱すと雖も去る元和二年丙辰の歳に大仏供養相止んで宗義の制法旧規に帰し、諸門の法理一統の扱い、互いに異義に及ばず入眼の処になお己情の新義を構え、祖師代々の正義に違背して大いに霊地を穢し、邪義を演説して万人を惑わす大悪知識有り。

 故に天下の道俗疑網に懸かって信心を退転しまさに火坑に堕ちんとす。
 故に且は名山の穢れたるを歎き、且は衆生の堕苦を哀れみ、旁々悲感に堪えざる間、彼の邪義を破しいよいよ宗義の正理を天下に立てんと欲しまず序分に叡山の義を顕示する者なり。
 請い願わくば道念堅固の緇素専ら局情を棄ててよく正理に就いて寂光の本懐を期せよ。
 卑懐もし誤りならば何ぞこれを改めざらんや。
 所詮邪正の趣は経釈妙判を鏡として正しく理非をただす。
 取捨は人の意に任す。
 諸天三宝明らかに丹心を照らし給え。
 何ぞ自讃毀他の曲意を存せんや。

 問うていわく、前の波木井鈔の如くんば身延山は三国無双の名山なり。
 しかるに今天下信心の道俗参詣を止むる意趣如何。
 答えていわく、この義正直に宣べ難し。
 然りと雖もこれを隠せば大罪なり。
 とみに仏祖の大怨敵と成って還って無間大城に堕つべし。
 この義一大事なれば世間の誹謗を忍んでほぼこれを示すべし。

 所詮身延山へ参詣を止むる意趣は日乾法師を以て彼の山の代々に列ぬる故なり。
 問うていわく、日乾何なる罪科有りてかくの如くこれを嫌うや。
 答えていわく、日乾の罪科称計すべからず。
 高き事泰山の如く、深き事蒼海の如し。
 已に高祖の遺弟に列って還って高祖の法義を破る。
 猟師の袈裟を被て牛を剥ぐが如し。
 慈覚智証の謗法は日乾に対すれば物の数ならず。
 獅子身中の虫乾に非ずんば誰をか謂わんや。

 汝なお疑い有らば去る慶長の末日乾日遠談合して書ける一巻の記、つぶさにこれを見よ。
 前代未聞の悪義ことに耳目を驚かす所なり。
 予一々にこれを破折す。
 委曲守護正義論等にこれを記するが如し。
 難じていわく、日乾はこれ当代の碩学殊に延山の貫首なり。
 故に世人多くこれを敬う。
 今これを破するは天下に於いて汝一人なり。
 ただ乾公を破するのみに非ず、日重等の大智の人をも憚り無くこれを破す。
 豈に大慢法師に非ずや。

 答えていわく、妄りにこの難を致す事なかれ。
 予もいにしえ重乾等を信ずる事世人の如し。
 然りと雖も彼の謗供已来彼等の所存所行はなはだ仏祖に違背するを見て大いに驚きぬ。
 唯身口に背くのみに非ず。
 悪義を紙面に著して世間に流伝す。
 悲しいかな、悲しいかな。
 世人道理を知らず、還って予を毀る、誠に依法不依人の金言を仰ぎ仏法中怨の責めを恐ればいかでか彼等の邪義を破せざらんや。
 貧道●弱なりと雖も宿殖に扶けられ、かたじけなくも宗旨的伝の血脈をうけ、また諸門の秘書密伝心を竭して尋討し、大体これを伺いおわんぬ。
 予がこの難勢もし仏祖に乖かば切にこれを勘えて天下に披露すべし。
 謬りもし決定せば肉袒膝行して当に普天に隠れ無き改悔を為すべし。
 所存もし仏意に違わば必ず当に仏?の罪を受くべし。
 改むるに何の憚る所あらん。

 予凡身たりと雖も偏に後世を怖るる故に無慈詐親の咎を免れんが為め国主二代の命に背き度々身命に及び、数々擯出せられ、十八箇年他国遠島にさまよう。
 たまたま赦免を蒙り旧寺に帰ると雖もなお一日片時も安堵の思いに住せず。
 これひとえに仏勅を重んずる故に非ずや。
 何ぞ僻心を挿んで妄りに非義を謂わんや。
 所詮邪正糺明の日曲意もし存せばたとい断頭に及ぶとも何の憾むる所有らんや。
 旨趣多しと雖も畢竟ここに在り。
 不審していわく、延山はこれ高祖九箇年行法の霊地と聞く。
 日乾邪師たりと雖も山に於いて何の咎あらんや。

 答えていわく、本来清浄の霊地と雖も謗法の人その山に栖めば即ち不浄の謗地と為る。
 例せば伝教義真両聖叡山に住し給う間は清浄の山なりと雖も謗法の慈覚大師彼の山に栖みしより即ち謗地と為りしが如し。
 延山もまたかくの如し。
 高祖已来法理清浄なる時は実に霊地なり。
 日乾法師住持と為りしより延山大いに濁れるなり。

 ある人疑っていわく、身延山は久しき行法の霊地なる故に霊山浄土に准じて大聖人御身骨を留め正しく御墓を立て給えり。
 もし不参を致さば正真の御舎利に背く咎豈に大聖人に背くに非ずや。
 冥加甚だ恐れ有り。
 如何。
 答えていわく、この事無智の真俗多分は道理と思えるか。
 然りと雖も宗義の法門を以て深くこの義を糺さば一向宗義に立ち入らざる愚人の疑いなり。
 そもそも宗義の意は正真の仏舎利なお謗地に在ればこれを拝せず。
 他宗謗法の寺に正真の仏舎利これ多し。
 いわゆる泉涌寺天王寺法隆寺等の仏舎利当宗としてこれを礼すべきや。
 もしこれを礼せば宗旨違背の謗人なり。
 総じて謗地に在る仏舎利に仏の真実の御魂これ無し。
 故に当宗としてこれを拝せざる事古来堅固の制法なり。

 その上なお強き道理有り。
 法華経はこれ法身全身堅固の舎利なり。
 生身砕身の舎利には莫大超過せる殊勝の舎利なり。
 故に法華経をまた一切仏堅固舎利と名付く。
 釈箋にいわく、この経は即ちこれ法身全身堅固の舎利なり。
 生身砕身の舎利には同じからず。
 云云。

 かくの如き法身全身堅固の舎利なお他宗謗法の所持なればこれを礼せず。
 いわんや生身砕身の舎利をや。
 この道理を以て明らかに当に思察すべし。
 高祖の御身骨たりと雖も日乾を代々に列る身延山に在れば宗義に於いては堅く拝し難き者なり。
 かくの如く宗義の道理を立てざれば一宗の立義空しく地に堕つべき者なり。