萬代亀鏡録

奥聖鑑抜萃・4 (仏性院日奥)

深奥微密の願海
一、国主に勧め奉る時刻相応の本門久成の釈尊を造立せしめ予天下に周流して上下万民一艸一針の奉加これを集めて閻浮提第一の大伽藍を建立し僧侶は像門三箇寺の衆これを置き、この次を以て門徒和合相調え広宣流布の大願を成就せしむべき者なり。
仰ぎ願わくば諸仏諸天衆生利益の大悲に酬いてこの大誓願を入眼せしめ給え。

慶長十二年丁未五月二十三日

悪人は善人の助と成ること
一、玄の五にいわく、悪はこれ善のたすけ○念を用うること悪加うるに由る。
啓にいわく、不善人は善人の助けと言うはこの心なり。
○行者とは成るべしと悦ぶ。
已上
私にいわく、この事大事なり、身に当たって深く感動す。
今の将軍家の繁昌は石田治部少輔小西摂州が謀反なくんばいかでか日本国の主と成り給うべき。
予が身に於いて第一の善知識は諸寺の悪僧、殊には家康将軍と栄任となり。
対馬に流罪せられずんばいかでか法華の行者と成るべき。
この上の心持ち一大事なり。
相構えて小節に拘わるべからず。
大節に臨んで心操伎倆にして大功天下に覆うべし。
その行はただ智慧を研き究め仏法に於いて深く心を起こし深信を生ずべし。
碧羅松頭に懸かって千尋を延ぶる事なれば吾等如き者仏法の大功を成さん事偏に法華深理の威力、仏天三宝の増上縁に非ずば叶うべからず。
今までの功も偏に法華経の御力なり。
天下に名を発せる事も名聞を求めずしてしかもかくの如くなる事は豈に法力に非ずや。
これより後も臨終の夕に至る迄功を失わず現世安穏後生善処ならん事はただ偏に信心の力なるべし。
あなかしこあなかしこ。

今夜暁心中に誓わく、真実の大学匠と成りて天下の諸人を善道に導く程の出家に成らずんば古郷へ帰らじと。
悲智寿福増長円満と百返ばかり唱えしなり。

慶長十一年丙午正月二十二日

謹んで言上
そもそも在寺の間節々御宝前に詣でて尊容を拝し奉る。
殊には去る文禄三年秋のころ深き立願有り、御影堂に籠もらんと欲す。
然れども諸人の参詣怱劇の間障難一ならざるに依り本願を遂げず空しく過ごし候処、折節不思議の幸い有って尊像を本坊の宝蔵に移し奉り、連々所念の如く祈請成就し奉る。
偏に冥の御感応今に大悦浅からず、殊に日奥願状を書して左の御手に結び付け奉り百日丹精を凝らし候処感応虚しからず。
あまつさえ天下仏法の棟梁と為るべき旨御印可を蒙る。
然りと雖も身の不肖を疑い候処、翌年大仏供養に依って不意に退寺せしむ。
それよりこのかた国主に対し度々諫状を献ず。
殊更禁中三箇度に及んで奏聞状を献じ立正安国論を以て叡覧に備えおわんぬ。
この三箇度の諫暁は去る慶長元年前代未聞の大地震天変地夭に驚き災難の根源を堪え進上せしむる所なり。
これに依って邪見の輩怨嫉を懐き留難を加うる事宿世の敵より甚だし。
結句は国主に讒奏して理不尽に咎に行わんと欲す。
然る間諫状を捧げて謬り無き旨つぶさに申し開くと雖も内々讒言重畳せしむる故国主叙用し給わず、ついに御勘気を蒙り対馬に流されおわんぬ。
すなわち諸人の疑いを晴らさんが為この島に在って万端を抛って京関東処々方々に人を遣わし多く書籍を求め広く仏法の邪正を糺し宗旨の淵底を究めたるの処、妙顕寺日紹等の邪義いよいよ顕露の間去々年の春諫状一巻を書して国主に献ずる処に与安法印これを請取られ披露有るべき旨堅く約諾の刻、不慮に一宗の法難起こって上聞に達せず空しく本意を失う。
然れば配所の逗留長引き候故随逐の弟子同宿等悉く退屈を生じ、或いは走り或いは還俗して今は召使う者も無く孤独の身にまかり成り候。
これしかしながら守護正法の功力に依って無始の業障一時に競い起こり、八種の大難悉く一身に償い候。
転重軽受の金言虚しからず、未来の悪道を免れて上界勝妙の果報を得る事歓喜の感涙押さえ難し。
仰ぎ願わくば大聖御加被力を以てこの書よく上聞に徹しあまねく天下に弘まり。
宗旨の法理前々に帰し、法灯永々に断絶せざらしめ給え。
愚身仏法の御奉公これ迄に候。
身に於いては仏法中怨の責めこれを免れ候か。
向後に於いては御暇を賜り心静かに修行せしむべく候。
身の力に及び申す程涯分相届き候。
力に及ばざるの処は御放免を蒙るべし。
幸いに本化の大士その数六万恒沙仏勅を蒙り給う。
いかでか愚子一人にこの大事を任せられんや。
但し今一度宗旨の法理を直しまた本寺再興せしめんと欲し給わば経王の威力を以て天下に験を顕し給え。
その義無くんば還住の事永く思い絶ち候。
彼の異朝の燕丹太子は秦国に生け捕られ本国の母を歎きしかば天これを憐れみ烏頭馬角の瑞を現し給う。
本朝康頼入道は鬼界ヶ島に流され古郷の事を祈り大権現の霊夢を感じ帰国の願望を遂ぐ。
いわんや予身を法華経に寄せ法理の為に遠留せらる、いかでか一の霊応を感ぜざらんや。
もし愚意の所存冥慮に違わば早々残命を縮めて後世を扶け給え。
予遠島に在りと雖も昼夜朝暮帰依渇仰の思い廃怠有ることなし。
丹誠の意定んで照覧し給わんか。
敢えて私曲を存せず、冥鑑誤り無くんば南呂已前に一の尊報を示し給え。
誠惶誠恐敬白。

于時慶長十五年庚戌三月二十三日            日奥 在判

妙覚寺御影堂
高祖大薩○御宝前

伝にいわく、慶長十七年壬子正月五日の暁相国家康公の御寝所大いに震動し何者と知らずたちまちに現じて幕下の御枕本を踏み鳴らし高声に対馬の僧日奥を還せと三たび呼ぶ。
侍臣何某まのあたり聞く等。
云云
この霊験掲焉なるに驚いて頻りに本寺に召し還され宗風再び一天に振るい法流永く万世に清まる。
嗚呼奇妙なるかな、誠に祖師の事跡に似たり。
貴むべし、仰ぐべし。
当初奥聖御在島の中備前の州野ノ口圓頓院へ遣わされし御書にいわく、天下の仏法もようやく時刻到来と相見え候間やがて本意を開くべく候。
申すに及ばず候えども色心堅固に候いて目出度く時節御覧有るべく候と。
この御文体思い合わされて有り難く覚ゆ。
一、願わくば残命の内無益の世事にほだされず天下第一無双の大道心強盛堅固に色心大勇健にして所行越度無く仏法の大怨敵重乾遠等の輩を責め倒し高祖代々先師の御本懐を開かんのみ。
この心念臨終の夕に至るまで敢えて退転無く、この念力を以て所願円満して一切の恩所皆悉くこれを報ぜん。
南無三宝南無三宝。

元和六庚申正月元日

元和五己未歳
一、願わくば当年中に継目の折紙入眼せしめ給え。
人の機嫌を憚らず法門の筋目申し達すべし。
仰ぎ願わくば勢力勇猛念力強盛にして才学落ち度無く早速成弁せしめ給え。
この義成就に於いては御祈祷経百巻、陀羅尼品一万巻これを読み奉るべし。
追って頭書にいわくこの願力空しからず、果たして元和九年癸亥九月十二日継目の御下知相調う。
よって翌年甲子陀羅尼一万五千巻御祈祷経百巻これを成就す。
寛永元年八月二十一日より同二十六日迄御祈祷経百一巻これを読み奉る。

敬白万灯執行の発願
一、願わくば万灯の功力に依って天下謗法邪見の黒暗を払い正法正義の大法灯永く三会の暁に及び殊には当寺本末の真俗異体同心信力強盛にして堅く宗義の法理を専らにすべき事。
一、願わくば万灯の功力に依って道念堅固正智甚深の弟子有ってよく血脈相承を稟け法灯永々に断絶すべからざる事。
一、願わくば万灯助力の真俗世々生々互いに善知識と成り善根を相励み仏道を増進すべき事。
一、願わくば万灯の功力に依って疾く愚痴の暗を滅し信解明了深智正徹にして諸々の障礙を離れ大願を成就しよく後生の弘通を励ますべき事。
一、願わくば万灯の功力に依って畢命の期に至るまで大善根を怠らざること車輪運転して止まざるが如くいささかも滞り有るべからざる事。
一、願わくば万灯の功力に依って兼ねて死期を知り没後の遺族かつて紕謬無く善言を敷演し敢えて死苦を受けず、唯吉祥の相を視ひとえに正念を倍増し、千仏の御来迎を得七宝荘厳の大白牛車に乗って直至道場の本懐を遂ぐべき事。
一、願わくば万灯の霊場に臨まん輩道俗男女有縁無縁悉く灯明一見の功力を以て永く悪道の苦患を免れ必ず一仏浄土の善縁を結ぶべき事。

右発願の丹精おおむねかくの如し。
先ず当年より三年の間万灯会を行わん。
もしまた力有れば残命の内重ねてこれを修せん。
なおまた願わくば後来深信の僧俗もし志を継ぐ人有って伝灯永く相続せば豈にまた大幸至極に非ずや。
燃灯もし絶えずんば法灯また盛んならん。
伏しておもんみれば燃灯仏の因位の記別、牟尼灯女の尊号、阿闍世王の授記しかしながら灯明の功力に因る。
いわんや那律の先世専ら盗賊を行じ塔中に入り箭を以て灯を挑ぐ。
この微縁を以て天眼第一の果を得たり。
何に況や貧女が一灯すでに須弥灯光如来の宝号を蒙る。
一灯半盞福唐捐ならず、悉く開会に因って皆仏道を成ず。
誰かこの功徳を聞いてその志を励まざらんや。

頌曰
上行垂迹日蓮大士末法に弘経の遺付を稟け扶桑に託生す。
三十二歳の建長五年三月下旬一宗建立。
日始めて出で世間の暗を除くが如し。
吾等衆生もしこの縁を離ればたとえ微劫を送るとも何の時にか出離せん。
この恩を報ぜんが為願わくば伝灯久しく万灯会を興す。
この会にあうの輩貴賤皆悉く九界の闇を出で寂光の台に登り無為の快楽永く尽くるの期無けん。

于時寛永元年甲子三月二十八日

敬白先師日典聖人御宝前
伏して以れば日典尊師すでに他界に移り給う。
○仰いで立願し奉る。
そもそも当寺の御影堂尊師の御代形の如くこれを建立し給う。
然りと雖も当寺の霊像門下に於いて天下無双なり。
これに対うにその規模の少分なることを恨む。
請い願わくば洛中第一厳麗の精舎を造立して尊像を安置し奉らんこと多年念願せしむる所なり。
然りと雖も大檀越の力を合わすべき無し。
願わくば尊師の行功別しては霊像の御冥鑑に酬いて不意に信心清浄の大檀那を得せしめ立ちどころに大願成弁せしめ給え。
今月十八日の夜霊夢最も甘心せしむる所なり。
これ所願円満の吉瑞なり。
いよいよ日を追うて嘉瑞を示し給え。
勇み勇んで思いを懸くべきのみ。
これに就いて重々の願望有り。
一、精舎の大体巍々堂々としてすべて非難無く厳麗光耀天下第一たるべき事。
一、作事の間大工日用手伝等に至るまで少しも不慮の喧嘩口論等の過なく安穏息災の事。
一、富貴大自在の檀越有って材木作料一切職人下行いささか不足無く諸人悉く満足致すべき事。
一、この精舎もし粗艸致さば成就せしめず、厳浄を極むる程たやすく早速に入眼せしむべき事。

この精舎厳麗の趣、一には柱悉く金濃、二には天上組入彩色、三には椽口の金物、四には来迎柱の金襴裏、五には仏壇流鼓彫物已下巧工を究むべし、六には落縁回り欄干の事。

一、御影堂奉加の真俗微薄の志に至るまで皆一仏浄土の縁を結び、今生には不祥の災難を払い所願心に任せ、後世には必ず三仏の尊顔を拝し直至道場の本懐を遂ぐべきなり。

右造営の勳功に由って仏法の正義いよいよ天下に威光を増し、邪義の輩悉く砕破せられ王位将軍等当宗に於いて深く敬信を傾けられ最も広宣流布の洪基たるべし。
天下太平国土安穏。
道念大堅固の後住有って当寺真俗円満、宗旨の妙義永く三会の暁に到るべし。
この功力を以て一世の大信施重施を償わしめ給え。
発願の趣大概かくの如し。
乗是宝車遊於四方。
南無日典聖人深く堅く冥助を加え給いて愚懐の願望を達せしめ給え。

于時寛永二年乙丑七月二十五日謹んでこれを誌す

此経能大饒益 ○ 諸渇乏者。
云云。
所願不虚亦於現世得其福報。
云云
法華妙理 釈尊金言 当生信心 無有虚妄。
伝にいわく、永禄七年甲子九月十六日の暁御母公瑞夢を感じ給う事あり。
早天或る精舎に詣で給うに一堂の中より容貌端正なる童子出で東方を指さしていわく、君日天子を拝み給えと。
教えに任せて日天子を礼拝すと見給いて夢覚めぬ。
即ち夙に起き給いて至心に日天子を拝み給いて孕めりと覚え給うとなり。
明年乙丑六月八日辰の刻奥聖誕生し給う。
霊応またおぼろげならずと言えり。
甲戌の年十歳にして典師に従って御出家、二十八の御歳まで随逐し給う。
云云。
それ奥聖は実にこれ中興の宗祖古今にまた倫を絶す。
おおよそ御一代の行化つぶさに記するにいとまあらず。
寛永七年庚午春秋六十六 三月十日午の刻入寂し給えり。
その御辞世の詞にいわく、
慶長の昔悦んで対馬の配所を出で王城の古郷に還る。
寛永の今ねがって娑婆の難所を出で寂光の旧里に帰る。
一、法華経の御故に流罪にあえる人は祖師已来にその人を聞かず。
仏法の眼を開いて吾身を見れば閻浮第一の大果報誰人か肩を並ぶべき。
もし卑劣の心を生じ人間の事に携わる心あらば吾と吾身を賤しむるなり。
天子の太子吾身の分際を忘れて民百姓に諂い給えるが如し。
ただ終身の重誡万端小節を捨て我はこれ天下第一の法華の行者なり、梵王帝釈も日月諸天も深く恐れ給うべしと思い入りつつ切って清高の心地に住すべきなり。
相構え相構えきたなびれたる心もつべからず。
慶長十一年丙午正月十六日

くれぐれ吾身を慢ずるには非ず、法華経の御威徳の甚深なる故なり。

一、普賢経にいわく、但大乗方等経を誦するが故に諸仏菩薩昼夜にこの持法者を供養す。
已上
この文の如くんば法華経を誦せば諸仏菩薩の供養を受くるなり。
いわんや諸天等の供養をや。
これ程の殊勝の供養を受くる身と成って人間の供養に頓着するは甲斐無き意なり。
恥づべし、恥づべし。

自身の三信
一には成仏は首題の五字にこれ有りと信ず。
二には学問成就は御書にこれ有りと信ず。
三には諸苦は貪欲よりこれを生ずと信ず。
この義刹那も忘るべからず。

像門の三訓
一、給使  二、行法  三、学問
私いわく、かつて聞く、奥聖十三年の間毎朝懈怠無く自ら御手水を師に奉り給いて一度も他に許し給わずと。
云云。

一、天正十六年戊子十月五日法庫に於いて始めて譲位の事給いけり。
内聞は天正十四丙戌十月二十五日の夜半登に対し給いて二時余り懇ろにおおせおかれける。
御病甚だしき時なり。
登よく肯われければ御喜び甚深なり。
明日給うようは年来の願望今夜成就して気相もよかりけりとて深く喜び給いけり。

一、天正十七己丑六月朔日典公日天を拝み給う時宝蔵の前へ所用ありて行きければ日天を拝みさし給いて呼び給う程に参りければ暫しまてと給いて拝み果たし給いてのたまわく、別の用もなかりけれども御目に懸かりたさに呼び申しけりと。
云云。
この時また給うようは、昨日言いたる如くよそへ行く時は我が役に立ちそうなる者をつれて行くべし。
吾義に違いそうなる者をばつるべからずと。
云云。

一、典公跡の事など懇ろに言いおき給いけるほどに我一切うけぬ面子しければ、何とて言う事をば請けぬ面子するぞと給うほどに何とも合点ゆきがたく存じ候。
とかく我気力もなく万事たり申さぬ間なにとも迷惑に存ずるなりと申しければ、給うようは、人は教蔵か星陽か本理かなどと思うべし。
我心は一向さには非ず、但汝に譲らんと思うばかりなり。
一方よき事は余の者にもあるべし。
汝ほどそろうてよき事は誰もあるまじ。
但我言う事を信じて言うままにせよと。
云云。
また申さく、只ひいき目でさようにおぼすなりと存ずるなりと。
また給うようは、我は人のようにひいきに目のくるるほどの者には非ず。
まずその証拠には世安は我眼前の兄なり。
意我心に叶わざれば二徳ほどにも思わず。
秀圓は我甥にしてしかも学問談義も勝れけれども心法直になければなにとも思わず。
これにて思え、ひいきにも非ず但ありようの分がかくの如きなりと。
云云。
私いわく、この中に教蔵とは典師の高弟一宗学校の開基教蔵院日生の御事なり。

一、大覚の御廟所西山のうしくぼと言う処にあり。
誰もこの事を知らずと言えり。
後にまたこの事を語られりその時言われし事は、事を芻尭に問うと言う事あり、その為にこれを申すなりと。
またその後言わく、彼の廟所のあたりを通りし時そのあたりに草かり居しを見て、この山に廟所石塔などありやと問いければ中々大人の御堂と言いてあそこに石塔などありと言う。
行きてみんと思いしかども、はや日暮れて行く事ならずしてそのまま帰りけりと語られけり。

一、台家の論議過って南無山王二十一社と言う事を数返唱えておわるなり。
この二十一社の次第を師未だ知り給わざる故に慈徳院到来の時御尋ねありしかば覚え申さるる由ありしほどに則ち次第を書き給いければ唯十二三覚えて残りは覚えられざりけり。
これを傍にての取り沙汰には慈徳院大学匠にて、師の物を問いて聞書をし給いけると言いけるとぞ。

一、師のたまわく、汝三大部をなんべんもよみて後には一切経をみるべし。
一切経の中にも禅がましい経、または陀羅尼などを多く説きたる経をばさのみよむべからず。
云云。

一、世間の人の中に種々に調略を廻らし巧言令色の者あるには近づくべからずと。
云云。
さようの者と取り合えば彼方から欺そうとするにまただまされまいと思えば我心にも共に悪くなるほどにとなり。

一、汝寺を持たばよく人を振る舞いよく物を使えと。
云云。
これ寺をもつ肝要なり。
但し分をわすれてせば過ちなるべきか。

一、仰せにいわく、一期の間は久しからず、何事も正路にして少しも私欲の心をもつべからずと。
云云。

一、仰せにいわく、大人の怨を受くる時退屈の心を持つべからず。
人の世にある事久しからず我京都の事を覚え、二十六年の間に十一代かわりけり。
これにて思う、堪忍すれば勝ちに成るなり。

一、人の異見をするにその人の分をよく見知って聞くべし。
まず人は我が為によきように異見をするものなり。
たとい吾をよく思いて言えどもその人の分ほどに言うものにてあるほどに、大小の分別を我が心にて察して物を行うべきなり。

一、母戊子霜月二十一日参詣の時御前にて我事をほめ給う時、これは只事に非ず、祐玄妙運妙珍などの信力の深き故なりと仰せられければ、母のいわく、但こなたの御影なりと申されけり。
その時祐玄の常に勧めの事起居に忘るる事なしと申されけり。
死去の一両日前に申されける事祐玄の遺言と思うよしを申されけり。
その故は立加と友佐と言い事のありけるに、祐玄のあつかいにて中を直し給う時立加に対して異見あるようは、人の非分を言い懸くるを十度無理忍にこらえたらばその後は自然にかちになるべしと。
云云。

一、右御談の時上に大乗経とあるを法華経の事に仰せられたり。
その後心得を給うは法苑珠林に書いたは般若を謗ずる者の事なり。
輔正記には大乗経を謗ずる者といえり。
しかるを法華経の事に言うてあるは雖示種種道其実為仏乗の心を得て言いたり。
諸乗は悉く法華へ引入の梯橙なれば、この心をよく心得て見れば義に於いて相違なし。
右の事を仰せられて座を立ちければまた呼びかえして重ねて給わく、かえすがえす雖示○仏乗の心をよく心得よと。
云云。
この事学問する故実なれば人には言うべからずとなん。

一、一の一期はとてもかくても有り行く物なれば少しも諂う心をもつべからず。
理のままに修行する事を得べきなり。

一、万事をさしおきて精進の行をすべき由申しければ、余りさように思うべからず、末久しく仏法の用に立たんと思うに早く死すれば詮無き事なり。
我年まで生くとも三十五六年はあとにいて仏法の用に立つべき者がなにがさように身をつめては無益の事なりと。
云云。
これは師の御年六十一、我年二十四の時なり。
戊子十二月上旬の頃師の三十七の御年我生れたり。

一、戊子十二月二十日師の前に於いて日慧など雑談ありける時当世の体おそろしく成り行き、万民疲れ果て堪ゆべくもなき事ども仰せ有ってその後の御言に、化城喩品と勧持品とを取り返し幾度もこれを見るべしと。
云云。

一、己丑二月二十八日御前へ用ありて参り事おわって立ちければ呼び返し給えり。
然る間御前に立ち帰りければ、別に用事の事とてもなけれども機にあいける故にまず呼び返すなりと。
云云。
同二十九日御手にあかがりありけるを呼び給いてそぐわせ給う。
御意あるようはあながち汝に言わずともの事なれども我機にあいける故に会わんと思いて呼びけるなり。
難しく思わんずれども久しくいきもせまじきほどに細々会って雑談したるもよきぞと。
云云。

一、玉篇をかいし時法蔵の前にて仰せにいわく、さても果報なる者かな。
我は汝が年の時分にはかようの本は見もせず、只よく心持ちをもてそっと違いたって大いにちがう者じゃほどに用心をせよ。
我が死にたる後には種々の障りあるべし。
いかように人の言うとも少しも動転すべからず。
我がかほどになりしも心強きばかりにてなれり。
我死にたる後には種々の敵人多くあるべし。
今世間に学匠 日重日裕文甫 道心者と言われて仰がるる人も敵となるべし。
いわんや彼の功が一党の者は言うに及ばず、初の三人の難も忍ぶべし。
ここに忍び難きは親類の内の中にも分別のあるようなる人のしかも贔屓して言わるる事あるべし。
左あるとも我言う筋に違わば用ゆべからず。
乃至母の強いて異見ありとも用ゆべからず。
いかんと言うに善事をなすには魔王父母の身に入り替わって障礙をなすものなり。
その例には天台大師観念し給えば魔王天台の御父母の身に入って膝へ上がって障礙をなせり。
況や当世の障りは際限あるべからず。
鉄輪頂上に現ずとも敢えて駭動することなかれと言う如く、いかにも心強くして動ずべからず。
たとい日本唐土天竺の人の心皆替わるとも少しも驚くべからず。
ただ胸をよく定むべしと細々と語り給えり。

一、己丑五月十九日師に対して歎いて申すよう、三大部を覚えんとするに文書の事多くして隙を取り成し難し。
只これを止めて取り縮めて小学せんと存ずるなり。
願わくばよきほどを示し給え仰せの如くすべしと。
云云。
師のたまわく、世間心に叶い難し。
只退心なく覚ゆべし。強盛に励まば成ぜずと言う事なけん。
手前益無き様なりとも後に大益あらん。
我等が所化の時の学問のしようは、本轍のしようをしらずして大いにあとになりけり。
しかもよき書籍もなし。
汝は書籍は心のままなり。
学問のしようは本轍をしれり。
何ぞ策まざらんや。
汝は当座の益なきを見て退心を生ぜり。
我は後を見て汝を進む。
今の分にし徹さば誰か汝に及ばん。
世間の学者をあまり雲上に思い我身を卑下する故に退屈を生ず。
誰人も深きことは無き者なり。
余り我を卑下すべからず。
ただ学問のしようは一つなりともよく覚ゆれば一つなれどもあまたの用に立てり。
いくつすれどもよくもしおぼえねば一も用に立たず。
三大部の中にも入らざる処をば覚えて詮なし。
ただよく覚うべき処は止観の一念三千の下これは三大部共に通ぜり。
また二十一尊者の下、また菩薩号の下、四衆八部の下これら常に入る処なり。
このようなる処をよくおぼえねば詮なし。
人の前にて言うとも只一事なりとも立処正しく、少しも危なげなく言うべし。
百事言うともなまおぼえなる事を言わば益無き事なり。

一、己丑五月十九日彼の跡式を譲らんとおぼす心を替え給え。
我は気力もなし万につけて耐ゆべしとも存ぜず。
師ののたまわく、よく思案せよ世間はさわなき者なり。
随分の道心者と言えども寺などの善きをば願い欲するなり。
日印は汝には勝るべし。
しかるに霊宝を取って我為にせんと欲す。
また日驍ヘ平賀門徒にてありけるが住持にならん為にはまま門徒にならんとせり。
日陽は都鄙に隠れなき御人なり。
しかるに日現聖人に付き給いけるとぞ。
また当寺の圓立随分道心者ぶりをする時は身より光を出しそうにも言えども、房の事につきては誠に少しの事に宗竹にも無理を言いかけ妙光へも無理を言いかくるなり。
これを以て思え、今こそさように言うとも後に人の在ぬ時は心も違うべし。
幸いに譲らんと言うをさように言う事は結句冥加無き事なり。
度々理を言うにさように言わば我心も違うべし、ただ我がことばに随うべし、汝余り卑下する事なかれ。
関東の三箇寺その外の諸寺また京都の諸寺何れか高徳ある。
それを思惟すべし。
また度々言う如く今からも汝より勝れたる者あらば汝を置いてその者に与うべし。
今までは汝に及ぶ者なし今より後はなおあるべからず。

一、己丑五月二十三日仰せにいわく、ただよく物を諳に覚ゆべし。
人の前にて自由に言わんと思う事は、いかにもよくおぼえぬ事は言われぬ者なり。
世間の人物を諳におぼゆる事をえせぬに依って覚ゆる物を偏執してただ教相者と言いていらぬ者のように言うなり。
これしかし大僻事なり。
観心の釈を覚ゆれば即ち観心者にもなるなり。
とかくおぼゆる事が肝要なりと。
云云。
我領解して申さく、覚ゆる徳あり。
似合いの作文をつかまつるに文章が自由になり文字の置き処などもよくおぼえ申すなりと。

一、世間の学者物知りだてして言う事は抄物に書きちらしたるものをしかもなま覚えにして言うなり。
多分本拠もなき事どもなり。
かく思いておけば物しりだてする者にあいても動転なきなりと。
云云。

一、我をば用ゆべからず。
昨日今日まで或いは上に居、或いは肩を並べし者がさように成りては人の妬み大かたなるべからずと。
師ののたまわく、我人に怨まれし事はなにとも言うばかりもなし。
先に常光院我を怨みて種々の事をいえり。
余り悪く言えるによて堺の世尊院文をのぼせていわく、余りさように御申しあれば外聞わるしと言うてこされたり。
また法門の事についてなども我を小新発意のように扱われけり。
しかれども我少しも色をみせず、時々によくあいしらいければ、ついには我理運になりけり。
また日●が我を強いてよび入れてその座にして我をおきながら妙光へのあいさつに御寺の衆が奇特でおじゃるまで実成院を聖人に用いておじゃるほどにと、かくの如く蔑られけれども我身に過ちなければかほどに成りて来たりけり。

一、伝教大師御逮夜過ぎて帰り給いし時我問うていわく、天台の時より伝教の時は智慧劣るべきかと申せば師ののたまわく、中々劣るべき、薬王の時直ちに仏語を聴聞ありし時より天台の時は劣るべし。
また天台の時より伝教の時はまた劣るべし。
但し事に依るべし。
六宗を破し給いし事の智慧などはまた勝るべし。
我所化を指南せし時の智と今とは今が劣るなり。
それも事によりて勝れたる事ありと。
云云。

一、己丑六月五日吾が部屋へ来たり給いて暫く息臥ありてのたまわく、ただ信力の念を忘るな、学問を前へして行くままに信力の事をばなにでもない事のように思いて還って跡へ成る者なり。
いつも言うごとく等覚深位の菩薩の弥勒当来の導師までも信を本とし給えりと。
云云。