萬代亀鏡録

破奠記上巻 3(日講上人)

一、他書四箇條にいわく、日向記にいわく、世間法とは国王大臣より所領をたまわり官位を給うともそれには染せられず謗法供養を受けざるを以て不染世間法と云うなりとこの文如何。

答えていわく、真正の本には謗法供養以不受の語なくただ国王大臣より所領を給わり官位を給うともそれには染せざるを以て不染世間法とは云うなり。
この文はただ染着を禁ず。
かつて受施を制するに非ず。
世流布本の如き大いに経文並びに文の相連に違す。
蓮華泥水の中に在りと雖も淤泥に染せず、その如く官位所領供養等を受けながらそれに染着せざるを以て不染と云う。
受けざるを以て不染世間法と名付くるに非ざるなり。

弾じていわく、諸山伝来の古本皆謗法供養以不受の字あり。
延山の一本これなき事不審千万なり。
先年延池諍論の時もすでに版行の本を帯して出でたりといえり。
これ邪義をつのらん為に新たに開版して古紙に模写せる事必然なり。
もしこの句なければ釈義の詮なし。
今まず彼が相違を正し後に正義を顕わさん。
彼は不染の染を以て染着の義とす。
もしただ染着を禁ぜば通じて一切に亘るべし。
何ぞ別して官位所領を出してこれを禁ずるや。
是一

また染着の法は善悪に通じ依正に亘るべし、中に於いての正報染着最もふかかるべし。
何ぞこれをあげずしてただ官位等と云うや。
是二

また彼が義は官位等を所染着にして淤泥に譬え行者の心は能染着にして着せざるを蓮華に譬うる心なり。
経文の心は然らず、淤泥は能染蓮華は所染にしてしかも染せられざる義なる故趣向大いに相違せり。
是三

今まさしく文の心を消せば染とは染汚の義なり。
染着の義に非ず、故に譬うるに淤泥を以てせり。
淤泥はよく衆物を染汚する故なり。
堅く能染にして所染に非ず。
然れば則ち官位所領は能染汚のものに非ざるが故にえらびてそれには染せられずと云う。
謗法供養は能染汚の体なる故に不染世間法とは云うぞところわりたまう文なり。
これ則ち謗供はよく正法を染汚し行者をけがす故に淤泥に譬う。
蓮華は淤泥の中にあれども染汚せられず。
法華の行者謗国に在り謗法人の中にありと雖も謗供を受けざれば謗法に染汚せられず。
蓮華の淤泥のけがれを受けざるが如し。
文の心かくの如し、あに法喩冥合して深義を含するに非ずや。
これ則ち謗法供養の染汚に対せんが為にまず不染汚の物を挙げてえらぶとき別して官位所領の謗供に相似せるものを挙ぐるなり。
不受を以て不染を釈せずんば経文の心吾が祖の妙談徒に施すならん。
これ則ち寺領供養格別の明証なるのみならず謗施を遮すべきの明文なり。
もし汝が義の如くんば殺盗婬等を犯してもまた染着せざれば苦しからずと云わんや。
住上薩?のいいそうなる事。
または北国悪取空の人の無碍の邪弁に似たり。
故に知んぬこの文謗施を遮絶することついに真正の義なり。
これをもってこれを見れば延山の開版偽謬知んぬべし。

一、他書第五箇條にいわく、問う寿量品の御義口伝にいわく法華経の行者南無妙法蓮華経と唱え奉る者の謗法供養を受けざれば貪欲の病を治するなり云云。
この義如何。

答えていわく、この文語大いに経釈の文祖師の行跡並びに諸御書等に違す。
故に恐らくはこれ日興の曲会私情か或いは後人ひそかにこの語を加うるのみ。
総じて経文の正義に違する口伝等をばこれを用うべからず。
秀句の下四丁にいわく、仏説に依憑して口伝を信ずることなかれ。
仰いで誠文を信じ偽会を信ずることなかれ。
太田抄二十五巻二十五丁にいわく、大覚世尊涅槃経に滅後を驚かしてのたまわく善男子我が所説に於いてもし疑いを生ずる者はなお受くべからず云云。
然るに仏なお我が所説と雖も不審有ればこれを叙用せず云云。

弾じていわく、彼曲会すべき道なき故非理の言を出して経釈に違すといえり。
彼が邪義すでに破廃するときんばこの日興記の文経文に符合すること昭然なり。
秀句の文は通途の口伝世間の謬語の事なり。
今元祖の口説をまのあたり直記せることあたか阿難尊者の仏説を結集し章安大師の智者の妙談を筆記せるが如し。
何ぞこれを用いざらん。
況や三百年来諸門徒依憑せる御講記を己が邪義のさわりになればとて、今更口伝どと軽忽する事無顧の悪人に非ずや。
また太田抄に涅槃経を引く事は弘法所釈の文に不審を加え、非義を糺明ある時引用したまえり。
今問う、汝祖師の御講に於いて弘法が如きの理不尽の消釈ありと思うてこれを用いざるや。
非例の荒言その罪死をゆるさじ。

一、他書六箇條にいわく、問う延山日朝のいわく謗法の言を聞かばまさしく耳を洗うべし、もし知らずして謗法の施を受けば歯を磨くべし矣如何。

答えていわく、涅槃経の如きんばたとい仏説と雖も疑い有れば用うべからず云云。
況や人師の言をや。
況や末弟の抄に於いてをや。
況や経論釈の誠言に違するをや。
故に会するに足らず。
しばらく一義を述べばこれはこれ蓮祖以後末弟の時に至りて世の機嫌をやすめんが為時宜に随ってしばらく立つる所制法なり。
章安のいわく、取捨得宜不可一向云云。
その上仏制に於いて時機方処に随って用捨通局有り。
摩得勒伽論第六にいわく、雪処には諸々の比丘靴履を着けフクラを着くる事をゆるす。
余国にはゆるさず。
至阿槃提国には諸々の比丘に皮を用い常に洗浴する事をゆるす。
余処にはゆるさず。
律等の五人具足戒を受く余処にはゆるさず矣。
五分律にいわく、我が所制と雖も余方に於いて清浄ならざる者は則ち用うべからず。
月水抄三十三丁云云。

弾じていわく、日朝の合譬集数箇処に及んで外典を才覚として宗家の要義に合文したまえり。
源経文祖判より起こって日向記等の伝受師資相承の奥旨を以て深く謗施を禁忌する戒文をのこしたまえり。
汝まさしく延山の列祖諸門通同して許し来たれる朝師をたやすく末弟の抄などと下すこと、あに思慮ある言なりと云わんや。
是一

他宗の謗施を禁ずること文義昭然として宗家の骨目なる事は上来しばしばこれを記するが如し。
今これをさみしてしばらく息世機嫌の為なりとは仏陀の玄記とやせん、鼻祖の懸讖とやせん。
かくの如きの浮言たれかこれを用いん。
是二

およそ孟子にいわく、はからざるの誉れ有り全きを求めそしり有りといえり。
他宗は四箇の名言等に就いて機嫌する事今にはじめず、もし受けて利益とならば何ぞ機嫌にかかわらんや。
是三

また他宗に施さざる事また機嫌すべし、何ぞ不施の義を立つるや。
もし不施の義機嫌にかかわらずんば不受また機嫌を守るのみにては非ざるべし。
何ぞ一双の不受不施の制法を私に分?対当して一半は性罪一半は機嫌と云うや。
是四

二倶犯過の釈の如く受施を制するは、本与同罪を禁ずるにあり。
もし与同せば豈堕獄せざらんや。
何ぞ陳じて機嫌一辺と云うや。
是五

況や小乗には性重を肝要とし、大乗には機嫌を重しとす。
弘決にいわく、小乗は四重に於いてこれ急なり。
菩薩は機嫌に於いて急と為す。
何ぞ一往の法度のようにいいなせるや。
是六

涅槃経にいわく、機嫌は一切の戒を摂す。
我が宗を機嫌すれば吾が宗の法理に永代瑕瑾つく義なる故謗法の増上縁に非ずや。
吾が祖の妙判にいわく、法華経を如法に修行すとも法華経の行者を恥辱せん者これらをさしって其人命終入阿鼻獄と定めさせ給うなり。
機嫌を生ぜしむるはもと宗家未練の者の招く処なり。
機嫌するものなお堕獄の罪と定む、機嫌を生ぜしむる本人何ぞ堕苦を免れん。
是七

また十七巻四十九丁四條金吾殿御書にいわく、一生は夢の内明日をも期せず。
いかなる乞食になるとも法華経に瑕をつけ給うべからず。
謗者の施を制するの禁戒末法万年迄もやむ期あるまじければ不受謗施の制法も来際まで間断あるべからず。
何ぞたやすく時々に用捨するや。
念仏を斥う事本と謗法の増上縁をやむるにあり。
故に吾が祖も念仏申さじと願しぬとも判じ給い、念仏申さずば親の頭をはねんと云うとも申すべからざるの旨をも判じたまえり。
また十章抄にもその趣き分明なり。
然らば何ぞ宗旨命脈の如くなる折伏旗験の不受の禁戒を破るや。
是八

また時に適って用与不同ならば不施の禁戒もまた時のよろしきに随うべきや。
横しまに法制をなす国主等有ってもし他宗に施さずんば一宗を滅亡せんとある時はまた時のよろしきに応じてこれをやぶるべしや。
是九

およそ世間の制法は国主一人の成敗なり。
出世の戒律は法王一人の開遮なり。
例して知んぬ宗家の禁戒またこれ鼻祖根本の掟なり。
不受の文義吾が祖の判釈に出ずんば何ぞ都鄙の諸門徒同一に守らんや。
また朗師像師以来寺領官職等をば受用して供養をば堅辞し来たれり。
源日向記より起こって祖師の制戒分明なる故なり。
もし寺領も同じく供養ならば中古の制戒もまたいたずらなるべし。
与えて汝が義に附順して論ずる時もし寺領と供養と同意ならば機嫌の法度も立つべからず。
その故はたまさか暫時一飯の供養を受くるの機嫌のみを守る義にして常恒不退寺領受用の機嫌をば顧みざるになりぬ。
またもし一飯の供養を辞して機嫌を守らば、常恒受用の供養の寺領をも受くべからず。
豈同じ供養なるを一を受けて一を辞するようなる理不尽の法式あらんや三歳の幼児もかようの自語矛盾のしおきをば用うべからず。
故に知んぬ一は作善供養なる故にこれを辞し一は則ち世間仁恩なる故に古来辞せずして受け来たれり。
是十

たとい機嫌にもせよ公儀無沙汰の時何ぞ本に復せざるや。
大仏供養やみても日重日乾等が邪義やまず、外には改悔の人数に列なる事を示すと雖も、内にはその非をやめず、邪書を作って都鄙にまわし還って正義をくむものに怨嫉をなし、その後身延池上諍論も身延よりすすみ出でて供養を受くべしといえるより起これり。
御当家の御仕置きになり来たって以後寛永七年に至るまで五箇度の諷経の時吾が宗へは供養の義を御免なされたり。
その五箇度とは

一、内府家康公の御母儀御他界は慶長七壬寅九月二十九日なり。
 伝通院殿光岳智香蓉誉大禅定尼覚位と号す。
 池上の日尊関東の諸法華宗小石川無量山寿経寺に諷経して供施を受けざるなり。
 明年癸卯家康公左大臣征夷大将軍に任ず。
一、相国家康公御子息将軍秀忠の御舎弟尾州の国主松平薩摩守忠吉の御他界は慶長十二丁未三月五日なり。
 性高院殿憲瑩玄白大禅定門覚位と号す。
 池上の日詔等三縁山増上寺に諷経して供施を受けざるなり。
 去年家康公は太政大臣源朝臣に任じ、秀忠公は左大臣征夷大将軍に任ず。
一、相国家康公の御他界は元和第二丙辰卯月十七日なり。
 相国の廟号を下野の国日光山に賜いて東照大権現と為す。
 池上の日詔身延日遠関東の諸法華宗武州仙波北院に諷経して供施を受けざるなり。
一、相国秀忠公御台将軍家光公御母儀の御他界は寛永三丙寅九月十五日なり。
 崇源院殿大夫人和興仁清昌誉大禅定尼尊儀と号す。
 池上の日樹身延の日深関東の諸寺諸山京都の諸寺代妙顕寺当住日饒増上寺に諷経して供施を受けざるなり。
一、相国秀忠公の妃君将軍家光公御姉京極若狭守殿 北方二十八春 御他界は寛永七庚午三月四日なり。
 興安院殿豊誉大清陽山大禅定尼尊儀と号す。
 池上の日樹身延の日暹関東の諸寺諸山小石川伝通院に諷経して供施を受けざるなり。

かくの如く五箇度まで御供養をゆるしたまう処に強いて訴訟して供養を望み慚愧を忘れて己義を荘厳し公儀を味方にして清派を陥墜すること何事ぞや。
是十一

況や宗旨骨髄の不受法制と化儀一辺の制戒と豈同年に語すべけんや。
およそ随方毘尼といえるは宗義のさわりともならざる少事の化儀なれば、その国の風俗に随う事なり。
されば月水抄にもこの戒の心はいとう事かけざる事をば少し仏教にたがうともその国の風俗に違うべからざるよし仏一の戒を説きたまえりと判じたまえり。
不受の禁戒を破ってことかけざる少しの事なりと思えるや。
永く折伏逆化の本意を失って祖師出世の素懐をやぶる。
豈これに過ぎたる事かけたる義あらんや。
孟子いわく、自らそこなう者はともに言う事有るべからざるなり。
自ら棄つる者はともに為すこと有るべからざるなり。
言礼義をそしるこれを自暴というなり、吾が身仁に居り義に由る事あたわざるこれを自棄というなり。
言に不受の礼儀をそしり汝が身折伏の仁強毒の義によることを得ず。
仏家の自棄自暴汝に非ずんば誰をかささん。
是十二

然るに破奥記等に不受の制法をただ事相の戒門に属して用捨自由なる旨をのべ涅槃経の於戒緩者不名為緩等の文を引用せるは大いなる僻見なり。
末代日本国のていたらくは諸宗ともに謗法の大罪あって堕獄の業因を修する故に専ら折伏門に住してその儀を破斥したまえり。
これに依って不受不施の制戒は時機相応の肝要の戒門なり。
されば諸御書の大旨謗法の咎なき法華の行者世間の咎に依って堕獄すべからざるの旨を宣べたまいまた末法無戒の義をのべて五戒等の事相の戒法を詮としたまわざるはこの謗法雑濫を誡むるの制戒を守らしめんがためなり。
殊に吾が宗に於いては三業の中に身口の事相に依って謗法の義を糺明するが故にこの制戒を以て肝要とすべし。
大乗戒の意地を防ぐといえるは遠く方便の辺を制し後心の行者に逗する義なり。
初心の軌則は身口を制して自ら意業をやむる義にあり。
況や三学を以て三身に相配する時は戒を以て法身の総体にあつる義辺あり。
中道妙観戒の正体は大師の釈に非ずや。
何ぞ一概に戒門の辺を軽蔑するや。
いやしくも激志を起こしてこの謗法を禁ずる戒門を守り三業相応して妙法を信受する時は戒定慧の三学を備える功徳あるが故に世間の咎は自ら消滅する義、これ宗家骨目の行相なり。
今例文を出してその義を諭さん。
文句の二、総じて観心を明かすの下に十大弟子を十種の心数に相配せることあり。
その下妙楽の記にいわく、十通の心所これに准じて知んぬべし。
この故に展転して相扶けて悪を改む。
もし一心改めぬれば余は相従う。
もし相扶けて転じ尽くしぬれば同じく実境に入る。
真の王非王非数に非ざること無し。
故に知んぬ、人随う何者か偏に強き。
強を観の境と為れば弱き者の随って去りぬ。
妙にこの意を得れば四儀三業観を修するに託すこと有り。
この記の文の中に、『故知随人何者偏強強為観境弱者随去』の釈に意をとめて思うべし。
十心数の中に何れがつよきと目を付けて、さかんなるものを境として観ずれば余のよわき悪の心数は自ら去ると判ぜり。
吾が祖の立義則ちこの義なり。
日本国中謗法の咎深重なる故に、専らこれを折伏し、謗法のつよき悪をやめしむれば、世間の罪障は霜露の日輪の光明に照らされて忽ちに消滅するが如くなり。
故に知んぬ、末法当今自他滅罪生善の要術はただこの不受不施の戒門を守る所にあるべし。
この制戒正しければ自ら余の戒法をも持つ功徳を備え、この戒門を破るときは何ほど事相の戒を均等に持ちても虚仮の行となる義なり。
またある受徒のいわく、不受不施の法度は譬えば墻壁の如し。
妙法の弘通は正殿の如し。
世のつねは墻壁を以て防ぎとすれども正殿いたまんとするときは墻壁を破りても正殿を将護する如く、宗旨の大義にさわりありそうなる時は墻壁の如くなる不受不施の法度破りても苦しからずと云云。
今反詰していわく、不受不施は吾が宗の金城湯池なり。
城の外郭既に破裂する時は正殿豈没落せざらんや。
全くその如く不受不施の制法既に破るる時は妙法弘通の正殿豈成立すべけんや。
これはしばらく汝が義に順じて破斥を加う。
それ実には不受不施の制法は妙法弘通の枢鍵なり。
豈これを破りて宗旨成立する義あらんや。
有知の君子精密に思察せよ。
次に適時而已の文取捨得宜の文の得よう大いにあらめなることなり。
在世滅後行化の次第滅後の中にも三時弘経五箇五百歳修行の掟仏説祖判分明なり。
末法に於いて日本国にはかつて以て摂受の義あるべからず。
破法国なる故なり。
もし悪国が日本一同に法華に帰伏せば摂受の行門も可なり。
開目抄に末法に摂受折伏あるべしと判じたまえる御文言受徒の真俗口実とするなり。
次下に悪国破法の両国あるべき故なりと遊ばせる御文言をば見ざるや。
国土の謗法のがれがたしと云い習わせる世話と同事なり。
秋元抄に謗国の失いかがせんと有りてその次にその失をのがるべきようを遊ばして死罪か流罪かに行わるべしとある処をば白盲にしてみつけざるなり。
今適時而已の文を引きおわって判じ給える全文を出して汝が満面の慚惶強いて惺々なるをさとすべし。
祖書十五巻二十四丁法蓮抄にいわく、智者と申すはかくの如き時を知って法華経を弘通する第一の秘事なり。
譬えば渇したる者は水こそ用事なれ、弓箭兵杖は用ゆる事由無し。
裸なる者は衣を求む、水は用うる事無し。
一を以て万を察せよ。
大鬼有りて法華経を弘通せば身を布施すべし、余の衣食は詮なし。
悪王有りて法華経を失わば身命を失うと雖も随うべからず。
持戒精進の大僧等法華経を弘通する様にてしかも失うならばこれを知って責むべし。
法華経にいわく、我身命を愛せずただ無上道を惜しむ云云。
涅槃経にいわく、寧ろ身命を喪うともついに王の所説の言教を匿さざれ等と云云。
章安大師のいわく、寧ろ身命を喪うとも教を匿さざれとは身は軽く法は重し身を死して法を弘むと云云。
また三十五巻一の谷抄二十六丁にいわく、この法門を申し始めしより命をば法華経に奉り名をば十方世界の諸仏の浄土に流すべしと思いもうけしなり。
乃至況や無量劫よりこのかた六道に流転して仏にならざりし事は法華経の御為に身を惜しみ命を捨てざる故ぞかし。
乃至されば仏になる道は時に依り品品に替えて行ずべきにや。
今の世には法華経はさる事にておわすれども時によりて事異なるなれば山林に交わりて読誦すとも、はたまた里に住んで演説すとも、持戒にて行ずとも、臂を焼いて供養すとも仏にはなるべからず。
日本国は仏法盛んなる様なれども仏法に就いて不思議あり。
人これを知らず。
乃至この事を知りぬ、
命を惜しんで云わずば国恩を報ぜぬ上教主釈尊の御敵と成るべし。
これを恐れずして有りのままに申す者ならば死罪と成るべし。
たとい死罪は免るとも流罪は疑いなかるべしとは兼ねて知りしかども、仏恩重きが故に人を憚らず申しぬ。
また御妙判にいわく、またひそかに異義申すべきにあらず。
如来は未来を鑑みさせ給い、我滅後正法一千年像法一千年末法一万年の間我が法門を弘通すべきの人々並びに経経を一一に切り当てられ候てこれに背く人世に出来せば、たとい智者賢王なりとも用ゆべからず等。
上来の御妙判日本国のていたらくをうつせること有声の絵の如し。
悪王有って法華を失わんとする人は誰ぞや。
また法華を弘通するようにて失うとは誰ぞや。
一一自省せば額にあせし、顔を赤くすべし。
然るに無慚の言を吐いて無味に末法に摂折あるべしなどといえるは、祖師の妙判末法の方軌をば春夜の夢にもみざるようなる秀言なり。
あさましきことに非ずや。
ああ一旦の名利の為に永劫の苦患を顧みず。
涅槃疏の文また明らかに四句を分かちて弁ぜり。
誰人かこれに迷わん。
末世は平険の中にはいずれぞと慮らば疑氷忽ちに解すべし。
況や安楽不軽の十異有りて安楽行は分明の摂受門をとく。
その中にももし講堂の中に在りて共に住止せずの誡めあるは初心を恐慮し給う故なり。
顕戒論の文等下に弁ずるが如し。
何ぞ今折伏一辺の修行の時節還って雑濫の失を招くや。

破奠記巻上 終