破奠記下巻 2(日講上人)
一、他書十一箇條にいわく、梵網経二十八にいわく、もし仏子信心を以て出家して仏の正戒を受くる故に心を起こし聖戒を毀犯する者は一切檀越の供養を受くる事を得ず。また国王の地上を行く事を得ず。 国王の水を飲む事を得ず。 天台梵網疏の下三十一にいわく、国主地水を以て有徳の人に給う。 徳行有る事無ければ受用すべからず。 与咸註の下五十五にいわく、一には供施に一毫の分無く、二には大地一足の分無く、三には飲水に一滴の分無し。供養に分なければしかるべし。 王の水土は衆生同じく感ず。 何が故ぞまた分無からん。 答えていわく、白衣は戒無し、王の水土を食むに皆輸税有り。 出家は税せずまとこに戒行による。 今既に二種ともに無し。 豈その分有らんや。 分無くして用ゆ、豈これ賊に非ずや。 伝教顕戒論の上三十八にいわく、およそ寺を造り、僧に供し、封を納れ、田を納めて三宝を住持す。 かくの如き等の類国王王子大臣宰相聖ならずんば何人ぞや。 法苑珠林六十二巻献仏部下にいわく、国下の大寺長安西明等の寺の如き口分地を除き、別に勅あり田庄を賜う。 所有の供給並びにこれ国家の倶養なり。 祖師安国論十二丁に右の経釈に依憑していわく、国主は郡郷を寄せて以て灯燭を明かし、地頭は田園を充てて以て供養に備うと。 これ寺領等供養なる事明白なり。 云云。 口宣御教書 寄進後祈祷所妙顕寺乃至相違有るべからざる者なり。 将軍官令の旨に依り下知件の如し。 元弘三年五月十二日 左小弁 在御判 日像上人庵 御教書にいわく 近江国佐津河の東方の田地乃至祈祷精誠を抽んずべきの状件の如し。 文和四年八月二十九日 尊氏将軍 在判 妙顕寺僧都御房 弾じていわく、梵網の文全く上の宝梁経と同じ。 初めの一段には檀越供養と云い、次の行路飲水は通じて仁恩を挙ぐるなり。 与咸註明らかに供養無分可爾と云いて別に水土を料簡す。 供養仁恩各別とせる事青天に紅日杲々たるが如し。 誰人かこれに迷わん。 是一 破戒無行にしては供養は申すに及ばず国主通恩をも報ずる事あたわず。 与咸註に食王水土と云うの言分明に出家にも冠せり。 同じ水土に就いて僧俗の異を弁ずるなり。 もし俗に水土を云い、僧に供養を云わば、還ってこれ大なる乖角なり。 木を竹とつぎ合わせたる如くならん。 与咸かくの如きの愚人ならんや。 出家輸税戒行の二、共にかけては豈国賊に非ざらんや。 是二 然るに僧侶の中にも無慚無愧にして徒に光陰を送り、報ずべき恩をも報ぜず、行うべき道をも知らざるはすでにこれ法山の緑林仏海の白浪なり。 何ぞ飲水行路せんや。 然るに今吾が祖の立義を守り国恩報謝を志して不惜身命の立行を励まし、財産塔寺をも顧みず誠の心をつくして正法を弘めんと思う志吾が宗の通規なり。 かくの如き掟を守る者は最も盗賊の咎を脱れて僧宝の一分なるべし。 もし吾が家の堅制祖師以来の厳誡たる不受不施の義をなみし、徒に遊戯雑話に年月を送り宗旨の衰患をかえりみず、公場に恐れて諫むべきを諫めざる僧は誠に梵網経に呵責する所にして五千の大鬼その跡を遮るべし。 是三 また一切檀越の中に何ぞ国主を除かんや。 還ってこれ檀頭なるべし。 故に知んぬ、同じ国主の中に供養の時は檀越の義に成りて施主の恩となり、通恩の時は国主の恩といわれて仁恩となる事明けし。 是四 およそ仏法未だわたらざる時は御政道かぎれり。 仏法渡って後は御政道広くして世法仏法をかねたり。 何ぞ御政道の仁恩を以て通じて供養と云わんや。 是五 また四恩の中国主の恩と施主の恩との差別あり。 何ぞ僧侶の上に国主の仁恩をかかんや。 国土の総体その国主に属すと雖も別して施の体ありて施の心を運せざれば施の行とはならざるなり。 故に優婆塞戒経第四 十四丁にいわく、善男子無財の人自ら無財と説く。 この義然らず。何を以ての故に、一切水草人有らずと云うことなし。 これ国主と雖も必ずよく施すにあらず。 これ貧窮と雖もよく施さざるにも非ず。 何を以ての故に、貧窮の人また食分あり。 食しおわって器を洗って棄蕩せる滌汁食すべき者に施すもまた福徳を得。 もし塵麦を以て蟻子に施すもまた無量の福徳果報を得。天下の極貧誰かこの塵ばかりの?無かるべけんや。 誰か一日に三揣の?を食して命全からざる者有らん。 この故に諸人まさに食の半ばを以て乞者に施すべし。 善男子極貧の人誰か赤裸にして衣服無き者有る。 もし衣服有らば豈一?人に施して瘡に繋け、一指ばかりの財、灯?となること無からんや。 善男子天下の人誰か貧窮にしてまさに身なかるべき者有る。 もしその身あらば他の福を作すをも見ば身往いて助けて歓喜して厭うこと無かるべし。 また施主と名付けまた福徳を得。 或いは時に分かつ事あり、或いはひとしき事あり。 或いは勝れるものあり。 この因縁を以て我波斯匿王の食を受くる時もまた呪願す。 王及び貧窮の人の得る所の福徳等の差別なからん事を。 この分の中にこれ国王と雖も必ずよく施すにあらずと云えるは国主に別体の施行ある明証なり。 またこれ貧窮と雖もよく施さざるに非ず。 貧窮の人また食分ありといえるは万民の財体別にある明証にあらずや。 かくの如きの明文を見ずして国土の総体を無味に国主の供養とし、或いは万民の財体則ち国主の財体なりといえる大いなる迷謬にあらずや。 是六 もし強いて万物を以て御供養と云わばこの身仏法にては過去の所感儒道にては五行の所成なり。 この身をも天地の間の所成なるを以て国主の御供養と言わんや。 是七 十方仏土中と云う時は触向対面皆仏土なれども、別しては木像絵像のある所を仏前と云いて礼拝恭敬するなり。 六道衆生皆是我父母と説けども別しては現在の父母に孝養をつくすなり。 まさに知るべし、通じて御供養と仰せかけられても別体ある供養の寺領等をば辞して飲水行路の総体はこれを受用し、国土に法を弘むるなり。 これ則ち孔孟等の聖賢別途不義の俸禄を辞すれども、その国主の通恩をば蒙り天下に仁義を弘めんとせしの志なり。 一概に伯夷が飢死を例難するは非なり。 是八 次に顕戒論の文はすでに造寺供僧の上にいるる処の封田なる故に帰依供養なる事疑い無し。 次に珠林の文は口分地の外に別勅の田庄なる故に帰依なる事明けし。 所有供給とは相連の次の文にいわく、所以に毎年盆の献供種々の雑物を送る等云云。 これらの供物を指して所有供給というなり。 況やすでに帰依なる上は口分の地もまたこれ供養なる事明けし。 況や上代異国従容の儀式と末代謗国自他宗の起尽水火をへだてたる時節と同日に語すべけんや。 次に安国論の文また帰依の寺領なり。 次の文に弁ずるが如し。 次に口宣の文言は日像菩薩国恩を報ぜんがために折伏弘通の方軌を用いて御還幸の祈誓を修せらる。 その功力を以て御願円満あるが故に忠功を賞して行う処なり。 致忠功間所被充行也の九字意を留むべし。 吾が祖日本第一の勧賞にも行われ、現身に大師号をも得べしと遊ばせると同意にあらずや。 この褒美の寺領は三田の中に分配せば報恩田に当たるべし。 始め施を受けてまさに祈祷を抽ずるにあらず。 ことばの立て様大事なり。 迷惑する事なかれ。 また寄進のことば世間に通用の明証あり。 出世の供養に限ると思うべからず。 式目二十七にいわく、一不知行所領の文書を以て他人に寄付する事。 付けたり 名主職を以て本所に触れず権門に寄進する事云云。 またもし供養の寺領ならば必ず施主あるべし。 施主を立ててこれを受くる事古来許す所なり。 これ則ち在世に不浄銭を以て如法の浄銭にかえて用ゆる等の明証ある故なり。 直には受くべからず。 その故は妙覚寺真俗異体同心の法式に於いてたとい誘引の方便たりと雖も直ちに謗法供養を受くべからずといえり。 直の字吟味すべし。 もしそれこの御法度を立てながら自身直ちに謗施の寺領を受けば酔えるをにくんで酒を好み、湿えるを嫌いてひくきにつくに異ならず。 門弟と云うとも誰かこれを用いんや。 その上中古寛正年中に諸門徒法理一味して六箇の條目を定め永代の軌範とする事あり。 この時妙顕寺誤って謗施を受けし故に諸寺と五十年程不通のことあり。 その後永正十四年頂妙寺等肝煎りに依って妙顕寺より頂妙寺への当て書きにして諸寺へ改悔の一札を捧げ、日ごろ謗施を受け来たれる誤りを停止し、諸寺も和融せる事古記に見えたり。 その寛正年中の六箇の條目とは、古記にいわく、 それ当門中古の相論是非未だ一定せず。 隔意今に残って仏法繁昌の障りとなること、歎きてもあまりあり。 悲しみても詮なし。 ここに今般門流の尊宿衆議していわく、如かず法流の融通をなして広宣流布を祈らんにはと。 云云。 然れば向後の和睦を成して諸篇の改悔に擬す。 これを以て先達不和のいにしえを補いこれを以て本師報恩の志に献ず。 快く本末の別異なく永く一味の和睦を遂げおわんぬ。 こい願わくば水魚断金の約諾朽つる事なく、濁ることなく、法灯万歳の外に耀き慧命三会の暁に続かんのみ。 一、高祖所立の本迹一体の事。但し機情昇進の勝劣あるべし。 一、異体同心の志を以て折伏弘通を専らにすべきの事。 一、謗法の寺社に物詣でを致すべからず。堅く相互に禁制すべき事。 一、謗者の供養を受くべからざる事。但し世間仁義愛礼等を除く。 一、法理について強弱両篇ありと雖も強義を以て正となすべき事。 一、真俗の輩初発心の各寺に向背すべからず。 然れば互いに余寺となしてこれを許容すべからず。 但し談合を遂げ、事によって互いに許容すべきか。 右諸門流契約状くだんの如し 寛正七年丙戌二月十六日 次に妙顕寺改悔の状にいわく この間法理和融について御苦労の至り御懇志の趣きまことに以て有り難く存じ候おわんぬ。 もし中古の異端諸門の別意は熊羆勢いを争い、龍蛇力をくらぶるの間本化再昌の素懐に違し、一宗弘通の丹誠を失う。 今矗直の儀を以て快く一味の和睦を仰ぎ候。 已前の六ヶ條同心申す上は末代の為改悔せしめおわんぬ。 自今以後僧俗に堅く炳誡を加うべく候。 これ則ち令法久住の洪基広作仏事の津梁なり。 祖業を無窮にてらし徳化を天下に流さん。 この趣きを以て御通用の御中立本寺妙覚寺へ御披露に預かるべく候。 恐惶謹言 永正十四年八月十三日 妙顕寺 頂妙寺玉床下 もし日像の時より謗施を受け来たらば何ぞ諸寺にわかに不通せんや。 また妙顕寺何ぞ改悔すべけんや。 道理明白なる事朝暾の東天にかがやけるが如し。 もし然れば汝が難勢は紅炉一点の雪なるべし。 一、他書十二箇條にいわく、これら経論釈並びに御書判御教書寺領供養なる事日月より明らかなりという事、問うていわく、或いはいわく、およそ寺領は国主政道の仁恩にして供養に非ず。 供養とは仏事作善の信施なり。 云云。 この義如何。 いわく宝梁経梵網経並びに天台判釈等の如く挙足下足なお供養なり。 況や地子寺領をや。 豈沙門に於いてただ仁恩ならんや。 眼有らん者何ぞこれに迷わんや。 また法苑珠林顕戒論安国論等寺領供養なること明白なり。何ぞこれを見ざる。 この段ただこれ上来を結成して別義なき故に評もまた略す。 一、他書十三箇條にいわく、問う、或いはいわく、安国論は三井山門帰依寺領の義を判ず。 不帰依の寺領に亘らず。 云云。 この義如何。 答えていわく、安国論にすでにいわく、国主は郡郷を寄せて以て灯燭を明かし、地頭は田園を充てて以て供養に備うと。 この文明白に寺領供養と云う。 この文語豈帰依に限らんや。 法苑珠林如何。 甚だ笑うべし。 元亨釈書二十二 十九にいわく、閏五月五千戸十万畝を東大寺に納む。 乃至供養に非ずや。 甚だ謬れり。 云云 弾じていわく、安国論の全文にいわく、伝教義真慈覚智証等或いは万里の波濤を渉って渡す所の聖教或いは一朝の山川を回って崇むる所の仏像もしくは高山の嶺に華界を建てて以て安置し、もしくは深谷の底に蓮宮を建てて以て崇重す。 釈迦薬師の光を並ぶるや威を現当に施し、虚空地蔵の化を成せるや益を生後に被らしむ。 故に国主は郡郷を寄せて以て灯燭を明かし、地頭は田園を充てて以て供養に備う。 すでに伝教義真等の文を結して故に国主郡郷を寄す等と判じたまう。 これに依って帰依の供養なること明けし。 況や法鑑坊御書にいわく、最澄天長地久のために延暦四年叡山を建立す。 桓武皇帝これを崇めて天子本命の道場と号し六宗の御帰依を捨てて一向に天台円宗に帰伏したまう。 同じく延暦十三年南都の七大寺六宗の碩学勤操光耀等十四人を召し合わせて勝負を決断す。 六宗の明匠一問答に及ばず口を閉じて鼻の如し。 豈帰依に非ずや。 次に元亨を引くこと彼の全文にいわく、 閏五月五千戸十万畝を東大寺に納む。 また稲帛を大安、薬師、元興、興福、東大の寺に納む。 墾田各々一千畝及び法隆、四天王、弘福、宗福、香山、建興、法華の寺各々若干畝。 帝発願の文を著してのたまわく、敬って諸寺の衆沙門に憑む。 大蔵大小経律論等転読講誦未来際を尽くして永く退転無し。 故に今この資産を以て敬って諸寺に納む。 こいねがう所は諸仏菩薩諸天善神随喜し擁護し、宝祚延長に万民業を楽しみ、法界の有情無上道を成ぜんことを。 この文を見るべし、上代容与の風俗六宗通用一味の時聖武皇帝の御願文を以て宝祚長久の為に諸寺に帰依渇仰して新たに納むる所の田畝なり。 既に敬憑諸寺衆沙門と云い、また敬納諸寺と云えり。 無差に諸寺を信敬し、平等に衆僧に依憑して至心に発願し新たに納処の田なる事必然なり。 異国本朝共に仏法渡れる砌は寛宥なる事歴然なり。 伝教出世して六宗を呵する時始めてその差別顕れしなり。 然るに我宗は四箇の名言を天聴にも達してその義を明らかに分かち、国主を諫暁して歴代鬱訴すれども未だ帰依なき上は不帰依なる事明けし。 不帰依なりといえども国中万民の依憑する一宗にして邪法にてもこれなく国民の所用なるが故に立置かれ、政道の仁恩を以て成し下さるる寺領等なる事決然なり。 もし今まで宗旨の立義をおしかくして置きたらましかば供養と思し召すこともあるべし。 すでに諸宗無得道堕獄の根源なる事を切々に諫暁して申し達する上は古今かくれなき事なり。 豈同心有って帰依なさるる義あらんや。 何ぞ混合して例難するや。 故に国主より当宗へも供養と思し召すと仰せかけらるるはついにこれ難題にして真正の義には非ず。 経論祖の師掟世出明らかに分かれたる上は難題の分は用うべからず。 それを不義と思し召す時は身をば流死の間に入れて塵芥より軽んずる義なり。 これを思うべし。 已に横作法制の未来記ある上は国主の政道必ず正路なりとも究めがたし。 ただ上意と云わば随わんとて無理を以てかすめらるる事何ぞなからん。 もし念仏を申すべし、或いは肉食等の非道を行ずべしとありともまた随従せんや。 法苑珠林一百十二 十五丁にいわく、問うていわく、酒はこれ和神の薬肉はこれ充飢の?古今味を同じうす。 今独り何ぞ鄙と見てしかも食せざる。 もし仏教の清禁をしていながら礼制を喪わしめば即ち厳君に対して勅して俗食を賜うが如き豈僧過に関われりと云いて拒みて食せざらんや。 答えていわく、財を貪り、色を喜ぶは貞夫の鄙むるところ。 膳を好み、美を嗜むは廉士のにくむところなり。 情を割き道に従うは前賢の歎ずる所欲を抑え徳を崇うは往哲同じく嗟す。 況や肉はなお命を殺し酒はよくたましいを乱る。 食せざるはこれ理、寧ろ非となすべけんや。 たとい上抑に逢うともついにすべからく厳断すべし。 君命に違うと雖も還って仏心に順ず。 君王の命たりと雖も堅く肉食を用うべからざるの旨分明なり。 君命に違すと雖も還って仏心にしたがうの言誠に肝に銘ずべし。 肉食なお然なり。 況や吾が祖の堅制たる不浄至極の謗施を受けて捨邪帰正の入路を塞ぎ、宗風忽ち塗炭に落ちたるをかえりみず、強いていつわり飾って貴命に順ずと云うものその責めをのがるべけんや。 嗚呼受の徒自身不器ならば何ぞ正統をくむ処の達士を立ておかざるや。 吾が宗に限らず何れの宗にても今迄の作法をあらため、祖師の掟にもかまわず新法を仰せ出されば心ある者は一命を捨つとも随いたてまつるべからず。 豈面諛讒?の日乾日遠乃至宜道日奠が如きの邪義を荘厳し還って正統をくむ者を嫉妬するの僻見に同じからんや。 世に達人あり国に賢士あらん。 一時の権勢にこびて口外へ出さずといえども内心に霊鑑あらん事何ぞ恥じざらんや。 況や万世の下理非明察の期運あらんをや。 ああ受不施の邪徒はそれただ宗門の妖怪たるのみならず、すべて釈氏の瑕瑾なり。 一、他書十四箇條にいわく、問うていわく寺領はこれ礼儀の為、供養の志はこれ没後の追薦にして天地の相違なりと。 云云。 この義如何。 答えていわく、寄進はこれ現安後善の為なり。 何ぞ現在の礼儀に限ると云わん。 最も愧ずべき義なり。 もししかれば現在祈祷の為の布施ならば専ら謗者の布施を受くべきか、如何。 弾じていわく、およそ国主より賜る処の寺領に多種相分かれたり。 或いは尊霊の追薦に備うるあり。 或いは現在の祈祷に擬するあり。 或いは天下一統真俗一様の祝儀にあつる事あり。 或いは国王政道の仁恩を以て古来の所領を許し置かるる事あり。 誰か一向に祝儀に限ると云わんや。 帰依信仰の精舎へ寄する処は多く初めの二種にあり。これは寺領即ち供養なり。 不帰依の寺院へ賜う処の田園は則ち後の二種にあり。 決然として供養にはあらず。 かくの如きの弁明をもなさずして一概に例難し、先徳仁恩の寺領と別時愁歎の供養と対弁せる言質を取って、みだりに邪難するは、もし白盲に非ずんばこれ瞎漢ならん。 一、他書十五箇條にいわく、問うていわく、釈氏要覧中恩孝の下にいわく、恩に四あり。 一には父母の恩、二に師長の恩、三には国主の恩、四には施主の恩。 大乗本住心地観経に仏のたまわく、世間の恩に四種あり。 一には父母の恩、二には衆住の恩、三には国王の恩、四には三宝の恩。 かくの如く四恩 乃至 二には衆生の恩とは無始より以来一切の衆生五道に輪転して互いに父母となる、 各々大恩有る故に。 三には国王の恩とは福徳最勝にして人間に生ずと雖も大自在を得。 三十三帝常にその力を以て国界を護持す。 山河大地ことごとく国主に属す。 この故に大聖王正法を以て化してよく衆生をして悉く皆安楽ならしむ。 後訳華厳経にいわく、国に君王有って一切安きを得。 この故に人王一切衆生安楽の本となす。 在家出家精心道検皆正国に依って住持を得演化流布す。 君王力無くんば功行成らず法滅して余り無けん。 況やよく利済せんをや。 この故に所修一切の功徳六分の一は常に国主に属す。 願わくば王福山の如くに崇く固うして壊し難からん事を。 薩遮経にいわく、王は民の父母、法を以て衆生を摂護して安楽ならしむる故に。 祖師註法華経結経の下、広釈にいわく、心地観経にいわく、世間の恩にそれ四種有り。 一には父母の恩、一切衆生互いに父母となり生生世世養育深きが故に。 二には衆生の恩、一切衆生菩薩の恩処衆生を利益し仏道を成ずるが故に。 三には国王の恩、正法を以て世を修め自他善を修す。 この恩に依って功徳を行うを以ての故に。 四には三宝の恩。 常に法界に住す故に衆生を引導し抜苦与楽し菩提を致すが故に。 また録内四十巻にいわく、一には衆生の恩乃至三には国王の恩、天の三光に身を暖め地の五穀にたましいを養う皆これ国主の恩なり。 云云。 これらの文以て知るべし。 国主の恩皆これ仁恩にして供養に非ず。 その上道誠の釈に第三国王の恩、第四施主の恩として既に二恩を分かつこともし寺領等を供養とせば倶に施主の恩にしてただ一恩二恩に非ず。 もししかれば四恩を成ぜず如何。 答う、国主の恩万民平等にこれを受くと雖も能受の人に於いてその役相替うる故に出家に於いては皆これ供養なり。 上の宝梁経珠林梵網経安国論の如くこれを思うべし。 次の第三第四分かれずと難ずるはかつて四恩の義意を得ざる者なり。 第三国主の恩は普天の下平等にこれを受用し周遍してこれを養育するが故に第三国主の恩と名付く。 中に於いて沙門に於いては供養なり。 第四施主の恩とは一人一時に別してこれを行う檀越の恩なり。 故に第四施主の恩と名付くるなり。 これ則ち通別不同常恒暫時等しからざるが故に二恩となす。 その理を知らずして偏に仁恩と名付くるは甚だ誤れるなり。 問う、顕戒論上三十一にいわく、もし善男子善女人阿耨多羅三貌三菩提心を発しおわって一切声聞乗の人と相従い止住せず、一切の声聞乗の人に近よらず、智識と作さず、財物を交えず、共に同じく住せず。 既に財物不交不共同住と云う。 知んぬ謗者の施を受くべからず、如何。 答う、これかつて不受の文に非ず。 これは菩薩と声聞と同時に住して大小乗の僧物同一の僧物となり互いにこれを受用するを制する文なり。 何ぞこれを以て不受の証となさんや。 文意各別なり。 弾じていわく、国主仁恩供養両向不同なることは上に宝梁梵網等の文旨等によって明らかに弁ずる故に再び筆を労するに及ばず。 およそ供養の言傍らに恩田悲田に通ずるありと云えども諸経論の旨多分敬田供養にあり。 故に弘決四に供養の二字を釈して下を以て上に薦むるを供と云い、卑しきを以て尊きに資するを養というと云えり。 殊に和国の風儀上一人より下万民に至るまで深く三宝を崇敬し、或いは類族の菩提を願求し或いは自身の希望を祈誓して施す所の財物等を供養と名付け来たれり。 故に本朝文粹並びに元亨釈書等皆供養の言、敬田の義に用いたり。 これ則ち総属別名の流例なり。 然るに心地観経三宝の恩の中に納めたるを開出して道誠は施主の恩と立てたり。 施主の恩を上の父母一切衆生国主の三に摂したるを今開すとは云うべからず。 すでに出世の不同あるが故にもしくは財施、もしくは法施悉くこれ仏辺所作の善なる事識了すべし。 三宝の法恩は心地観経に分明に顕れたる故、道誠その中の財施供養の義を開して施主の恩と立てたる事なり。 (出世三宝の義辺に約してこれを施す故に別して施主恩と名付く。 もしくは一切衆生もしくは国主仏辺所作の善をば通じて施主と云うなり。) これ則ち四種の恩を以て世間所有の恩をもらさざる料簡なり。 彼この義を知らずして平等受用の中に沙門に於いては供養なりと云うは、豈世話にいえる流るる魚をえびすにたむけ、一休が狂歌に山城の瓜や茄子を亡魂に回向したる程の荒量なる事なり。 ただ経文を会得せざるのみならずまた国主を愚者にしなしたるものなり。 是一 然れば則ち標文の国主恩に准ぜば釈の文を供養というべからず。 もし釈の文を供養といわば標して国主恩というべからず。 標釈相違二恩混乱誠に龍頭蛇尾の首尾不合錦の直垂に葛の袴を着けたるが如き風情一笑するに堪えたり。 是二 また万民へ平等に施す中に沙門に有りて供養なりといえるは、はかなき申し分なり。 所受の人不同ありと雖も能施の人に於いては皆仁恩なり。 何ぞ感応乖角して供養と思いなすや。 出家の人豈国主の世恩を蒙らざらんや。 すでに当時御帰依の宗なれば日光等へ公方より遣わさるものは大旨を以て云わば皆御供養に属すべしと云えどもその中にもくわしく分別せば供養の志と年始節句の礼節とはその異あるべし。 豈一概に供養と云わんや。 況や不帰依の僧に於いてをや。 是三 次に四恩の中の第四の施主の恩一人一時別行を指すといえることまたせんかたなき風情いたいたしきていたらくなり。 上一人より下万民に至るまで常恒の出世供養の義有らば何ぞ施主の恩といわざらんや。 国君令長等なりとも一時の礼儀祝慶等の義、或いはよき縁を以て申し受くる事あらば国主等時に当たっての仁恩と云わざらんや。 是四 所詮出世供養の義を施主恩と名付くる故その供養の人にも種々相分かれたり。 しばらく国主に約していわば常恒あり、上野等寺領の如し。暫時あり、公方先祖等御年忌の時別時作善を行わるるが如し。 通途あり、年来の知行並びに忌月忌日常供等の如し。 別途あり、別して由緒有りて御弔もしくは祈祷の為に寺領を遣わされ●に仏事を営み給うが如し。 領主令長下民間に至るまで最も常恒暫時通別の不同あるべし。 何ぞ一概に施主の言を暫時に主付けるや。珍しきつくり事なり。 是五 国主仁恩の中にもまた常恒暫時通別の二途あるべし。 いわく挙足下足飲水行路等の恩沢は常恒の通途なるべし。 また不帰依の僧寺領を頂戴して法命相続し仏法を弘通するは別途の常恒なるべし。 或いは普天一同の御祝儀または一人一時の世儀に付いて恩顧をたれ、褒賞を行わるるは暫時の通別二途なるべし。 何ぞ概論して無義味の莠言をはくや。 是六 また汝乾遠等の流れをくんで水土並びに寺領は常恒の供養仏事作善も一時の供養何ぞ暫時の一飯を辞して常恒の供養を受くるやと。 よのつねは弘通しながら今ここに至って新たに常恒をば国主の恩と名付け暫時を施主の恩と名をつけかゆること誠に自語相違の曲会尿床鬼子が方角を知らざるに異らず。 是七 故に知んぬ。 第三国主の恩は仁恩、第四施主の恩は出世供養といえる格式は古今を通貫する準縄万代不易の指南なり。 次に顕戒論の文を曲会する事今難じていわく、もし汝が義の如くんば同寺に住し同一僧物として互いにこれを用ゆる事を制する義にして不受の証には非ずと云う。 もししかれば他坊に住めば財物互いに受用すべき義なりや。 手を拍って笑うべし。 然らずんば何ぞ不受の証に非ずというや。 これ則ち財物不交不共同住の文を取って権教実教の行人謗施を交えて受用せず。 永く与同の咎を離るる義辺に例して汝が謗者に与同して濫りに謗供を受くる義を禁むるなり。 何ぞ不忍の言を出すや。 ただ仏家のみに非ず儒家の交友をえらぶまたこの意なり。 されば善人と居るをば芝蘭の室に入るに喩えてこれをすすめ、不善人交わるをば鮑魚のほしいままに入るに比してこれを制す。 また孔子家語にいわく、好人と同じく行くは霧露の中にゆくが如し。 衣を湿さずと雖も時時に滋潤す。 悪人と同じく行くは刀剣の中に行くが如し。 人を傷つけずと雖も時々に驚恐す。 この意知んぬべし。 また天竺一向小乗寺一向大乗寺の路次をも別にせるは伝教大師のみならず吾が祖も依用したまう所なり。 ただこれについて通局あり。 上代天竺の風儀は世出共に不通と見えたり。 伝教大師顕戒論にこれを依用したまうと雖も全文その義を取り給うにはあらず。 故に六宗の帰伏以前も世儀の通用敢えて隔てなし。 ただ大乗小乗等法義区別の辺を取って円戒建立の潤色とし給うなり。 況や末法逆化弘通の時何ぞ一向交わりをやめて化他利益をかかんや。 故に世間義については自他宗共許して財物をも通用し勿論教化説法を隔てず聞かしむといえども法義の権実雑乱を堅く禁むる故に不受不施の制を立てて強くこれを守らしむるなり。 後来の学者よくこれを商量せよ。 |