萬代亀鏡録

守正護国章(日講上人)

謹而言上

それ生を人界に受け形を釈門に託するもの、たれか国恩を忘れ仏恩を報ぜざらんや。
然るに諸宗の立義まちまちなりと雖も吾が宗に入って仏祖の的伝を尋ぬるに、仏恩を報ずる要枢、妙法を弘通するに過ぎたるはなく、国恩を謝する秘術、正法を伝持するにしくはなし。孔丘老子の道なおを一を以て貫き一を得て成す吾が仏道またしかなり。
されば法華経には「唯以一大事因縁故出現於世」と説き、「十方仏土中唯有一乗法」と宣べたり。

およそ世間仏法至極の道理は二途を存する事なし。
成仏得脱何ぞそれ多岐ならんや。
吾が祖日蓮釈迦の伝付を受けて生を後五百歳広宣流布の期運に興し、末法折伏時機相応の修行を立て建長五年癸丑三月二十八日に始めて法華宗を開く。
世に治乱の異あれば政道に文武相分かれたり。
当今澆漓権教を以て実教をさみし、浅理に執して深法をそしる。
実に仏法の乱世なり。

故に祖師日蓮衰運に当たって勇悍の心を発し「寧喪身命不匿教者」の仏勅を重んじ、「我不愛身命但惜無上道」の金言を守り、念仏無間、禅天魔、真言亡国、律国賊、天台過時、諸宗無得道、法華独一成仏と立てたり。
その言荒量に似たりといえども大慈大悲より起これり。

およそ仏家に於いて種熟脱の三益、権教実教の不同あり。
熟益の時は権法を用ゆることありといえども成仏の種子を下ろし、得脱の大悟を期することは只妙法の一理を信ずるにあり。
十方の仏陀これによって開き一切衆生これを以て脱す。

然るに今末法の説きは専ら妙法の下種益にあり。
法華経にいわく、「仏種従縁起是故説一乗」云云。
妙楽のいわく、「余教を以て種とせず」。

釈迦入滅の後に三時弘経と云う事あり。
正像末の三時各々弘経の相かわれり。
上代はたとい法華を弘むと云えども天台宗の如く摂受門に住して他人の好悪をとかず、「在於閑処修摂其心」と云いて自行の安心のみを専らとせり。
当今は折伏門の時にして仏の可畏破悪の形を現じて衆生を降伏するに同じ。

この時は「正直捨方便但説無上道」の旨に任せ権実雑乱のあやまりを正し、純一無雑の仏種を心田に殖え、権教権門に心をうつすことを堅くいましめ、逆縁の化導を先として得道の因縁に擬す。
誠に真如実相の理体もとまじわりなき清浄無染の理なるが故にこの理を説き顕す妙法の言教も純一無雑なり。

この妙法を受けて修行を立つる人も如説修行の方軌を守り、雑乱の行をきらい、油に水をいみ、清潔の処に不浄をいむ如く潔白の修行を立てて臨終の大悟を期するなり。
生死事大無常迅速の故に勇猛精進打成一片にあらざれば素懐をとげがたし。

経にいわく、「不染世間法如蓮華在水」云云。
既に専ら謗法を呵責す何ぞその供養を受けんや。

故に吾が祖この文を以て正法の行者謗法供養を受けざるの明文とせり。
その道理をいわば一にはもし謗法を呵責しながらその供養を受けば言行不相応君子の恥るところなり。

孟子のいわく、その義に非ずやその道に非ざれば一介も以て人に与えず一介も以て諸人に取らず。
云云。

釈にいわく、「供養は意機成するを表す」。
信謗既にそむけり、何ぞならべてその施を受けんや。

二には謗法の施はこれ不浄の施なり。
不浄の施を制するは諸経論の炳誡なり。
不浄に多種ありといえども汗穢の極まりは謗法にしくはなし。
清浄の宝器には穢食をいるる事なし。
豈一乗無染の持者の法器に謗法染汗の供物を入れんや。

三には謗法の人仏法の怨なる故にこれを受くべからず。
既にこれ仏種を断ずる人なり。
譬えば吾が主君父母の敵のわれに物を得させんにこれをうくべしや。

四には謗法供養は軽賎の施なるが故にこれを受くべからず。
軽賎の請を許さざること経論の通方なり。
法華は諸経中王なるが故に能持の人また勝れたり。
然るに権実を齊等ならしめ善悪を混乱してこれを施す、まことに軽法賎人の至りなり。
黙してこれを受けていさめを入れず豈これ道人ならんや。

五には謗法供養を受くれば師檀の義に違するが故にこれを受くべからず。
一乗能弘の比丘を以て師範と名付け教授の知識とし、信伏随従の白衣を以て檀越と名付け外護の智識とす。
能施所施相応して供養の義当たれり。
然るに能施の人は謗者にして吾が檀越にあらず。
所施の僧は信者にして彼の師範にあらず。
師資の道永くそむけり、豈彼の供養を受けんや。

そのほか、道理数多なり繁ければこれを略す。
経論の明文吾が祖の禁誡あげて数うべからず。
かつその証文をひかば法華経にいわく、「但楽受持大乗経典乃至不受余経一偈」。

涅槃経にいわく、「譬えば端正浄潔の人は一切の穢汗不浄を受けざるが如く、熱鉄丸の人の受くる者無きが如く、婆羅門姓の牛肉を受けざるが如く、飽満の人悪食を受けざるが如く、転輪王一切の旃陀羅等と同じく一牀に坐せざるが如し」。

悲華経にいわく、「その時に大臣宝海梵志周遍して閻浮提の内の男子女子童男童女一切人の所に到って所須を乞求す。
その時に梵志まず施主を要す、汝今もしよく三宝に帰依し阿耨多羅三藐三菩提心を発さば然して後すなわちまさに汝が所施を受くべし。
時に閻浮提一切衆生その中に乃至一人梵志に従って三帰依を受け阿耨多羅三藐三菩提心を発さざる者有ること無し。
既に諸人をして教戒を受けしめおわって即ちその所施の物を受く」。

宝雲経にいわく、「次第に乞食して心に選択することなく刹利婆羅門富貴の家一向次第にして食足ればすなわち止む。
悪狗新生の犢母先に禁戒せられて畜生の中に堕つるを除く。
もしは男もしは女童男童女諸々のよく擾悩する者皆悉く往かず譏嫌すべきところまた皆往かず」。

祖師日蓮の書金珠女鈔にいわく、「勝れたる経を供養する施主一生に仏位に入らざらんや。
但し真言禅宗念仏者等の謗法供養を除去す。
譬えば修羅を崇重しながら帝釈を帰敬するが如きのみ」。

日興記にいわく、日蓮講説日興筆記「法華経の行者南無妙法蓮華経と唱え奉って謗法供養を受けざるは貪欲の病を治するなり」。
日高のいわく日蓮直弟「喜ばしきかな予が門弟妙法の持者にして謗法を制する故に成仏疑い無し。
兼ねてまた忘れても謗者の供施を受くべからず。
二六時中に忘るる事なかれ」云云。

当家歴代秘密抄にいわく、問うていわく、謗法供養を受くべからざる事法華経の中何れの品に見えたるや。
答えていわく、口伝なり、一巻方便品に正直捨方便の文これなり。
その故は四十余年の諸経未顕真実の経なれば正直捨方便とこれを捨つ。
何ぞ権教方便を修行する人の供養を受くべけんや。
しかる間人法共に正直捨方便と捨つべし云云。

上来不受謗施の証文なり。
経論釈疏祖師の明判、先徳の禁誡等あげてかぞうべからず。
そのほか神託等に付いて甚深の習いあり。
不施の証文も涅槃経等に出たり。
安国論に涅槃経を引きおわっていわく、およそ法華経の如くんば大乗経典を謗ずる者無量の五逆に勝れ阿鼻大城に堕して永く出づる期なけん。
涅槃経の如くんばたとい五逆の供を許すとも謗法の施を許さず。

またいわく、それ釈迦已前の仏教はその罪を斬ると雖も能仁以後の経説は則ちその施を止む。
およそ謗法者に施をやむる事、もと与同罪を誡むるにあり。
すでにそれ施さず、豈その施を受けて与同の罪を招かんや。
能施の人いよいよそのとがをまし所施の僧最もその罪重し。
すでにその罪を斬るあにその施を受けんや。
施さずんば受くべからず、受けば施すべし。
受けて施さず、最も世間出世の道理にそむく。
まさにしるべし不受不施の制戒二羽両輪のごとくなること決然たり誰の人か猶予を懐かんや。

およそ沙門として仏教を学するものは釈迦法王の勅宣にそむかず、菩薩大悲の行門に習って、応気なく上一人より下万民に至るまで現安後善の素懐を達せしむるを以て本意とす。
経には「我本立誓願欲令一切衆如我等無異」と述べて仏の本意の深法を以て衆生を導かんとなり。

儒典にいわく、己が欲せざる所をば人に施すことなかれと。
故に吾が祖国恩を報ぜんが為に三度天下を諫め給えり。
なかんづく立正安国論を述して鎌倉の執権北条時ョに達す。
これ則ち法華の正法を立てて権教の邪路をふさぎ、三災七難を止めて国家を安穏にするの義を顕せり。
国に謗法の音なくんば万民数を減ぜず、家に讃経のつとめあらば七難必ず退散せんというもこの意に同じ。
この経流布してこれを信用するときんば未来成仏の大果を感ずるのみならず現世安穏の華報まず顕る。

かくのごときの秘法を以て国主に捧げ万民に施す、豈第一の忠節にあらずや。
忠言耳に逆らう故に謫戮の巨難しばしば起こり諸宗の留難凌ぎ難しといえども忍辱の堅甲を慈悲の膚に著して悪口罵詈をかえりみず強いてこれを弘む。
時機相応の懸讖むなしからざるが故についに広宣流布して朝野遠近妙法の名を聞き妙法の理を信じてここに四百年にあまれり。
祖師已来諸寺諸山の代々の先師堅く不受不施の制誡を守ってたとい水火の責めにあうといえども謗法供養をうけず、著述の遺誡数うるにいとまあらず。
只一宗の内禁のみに非ず代々の公方またこれを許して不受不施の折紙を成し下され度々の御供養を許し給う。
およそ万民の供養は受けざれども吾が心にまかせて強いてせむることなし。
只国主の御供養拒辞しがたきを辞するが故歴代折紙を申し受くることなり。

然るに供養を辞退するといえども官位所領等は世間政道の仁恩なるが故に祖師已来これを領納してあえて辞せず。
御講記にいわく、日蓮講説日向筆記「官位所領を賜うともそれには染せられず謗法供養を受けざるを以て不染世間法と云うなり」。
この文の心は官位所領は行者を染汗する事あたわず謗法供養はよく行者をけがすなり。
故に不受を以て不染を釈して明らかに簡異し所領等は賜うともとがなし謗供には染するが故、つよくいましめて受けずと云う文なり。
これ寺領供養各別の証拠なり。
この義歴代一宗相承してことなる事なし。

然るに中ごろ一宗の内に未練の一類有って謗法供養を受く。
始めには中心にこれを歎くといえども悪鬼その身に入ってその非をかくさんが為に受不施の新義を建立し経論を邪会し祖制を違背し、あまつさえ寺領供養混乱して寺領即供養の義を立てたり。
吾が祖一貫の道ここに乱堕し宗旨の大義塗炭に堕ちたり。
先年対論の時彼の徒威勢を権門にかりてその邪義を興すといえども公庭穏便にしてしばらくその不受の首頂を罰してその義をこらしめ、法義両派に立ちて余類繁栄し大献院殿尊儀快く政道仁恩の御朱印を成しくだされおわんぬ。然るに去年御朱印成しくだされし時この方一派へ寺領地子御供養の義仰せ渡さる。
およそ寺領地子は別体有るが故に能施の人の心によりてその義一定せず。
能施の人三宝崇敬の義なれば供養となり、能施の人仁恩とあれば世間通用の政道となるなり。

然るにこのたびすでに三宝崇敬の義にして御朱印成しくだされし故に、もしこれを受くれば忽ちに宗義破るる故にまことに受けがたし。
もしこれを受けざれば上意違背の義に非ずしておのずから違背に似たり。
進退ここにきわまり宗義滅却せんとす。

然りといえどもすでに世法仏法その道分かれ現世未来おもむき異なり。
王土に生ずる故にその身はまかせ奉るべし、後世菩提の道は釈尊の告勅日蓮の制法にまかすべし公儀へもその道理をのべていさめ奉る。
これ宗旨の立義国恩報謝の要道なり堅く辞去して受くべからずと衆議一決せり。

かくの如く堅約の上に一派の内邪謀をいだき公儀をかすめ事を文言によせて悲田供養の新義を立て、いつわり愚かなる義を巧み出し愚俗を勧誘せり。
公儀すでに三宝崇敬の義と仰せ渡さるる処に悲田慈悲といくるは能施所施大いに相違せり。
木に竹をつぎたる風情、水を火と思い成す義にして謗施の財体転せず。
況や手形の文言幽遠にして後代の支証になりがたし。
供養の言はたまたま悲田に通ずる事ありといえどもすでに諸経論の大旨専ら敬田に約して供養の義を成す。
況や自宗他宗通同して布施供養の言専ら仏事作善等の義に用い来たれり。

およそ君子は嫌疑の間におらず瓜田に履をいれず李下に冠をたださず。
孔子は渇を盗泉の水にしのび、曾子は車を勝母の里にかえせり。
必ずや名を正さんか供養の言誠にいむべし。
一派の先達強く元祖の制法に順じてすでにそのいさめを奉れり。
只なげく処は末派の衆僧寺を出でて流浪し、信心の檀越はかをあばいて血涙をそそぐ。

然りといえども地子寺領は共に御朱印地の僉義にして、御朱印これなき寺は指しをかるべきかと真俗安堵の思いをなす処に、小湊生誕寺、碑文谷法華寺、谷中感応寺三人の邪徒いよいよ邪見熾然にして清浄の法水を守る者を公庭に訴えとがなきに讒をかまえて一時に陥墜せんとす。
もとより普天の下率土の浜王土に非ざる事なしといえども、御朱印地は公方直参の衆の如く、或いは檀越寄付の屋敷、或いは地頭私許の地子は陪臣に似たり。
最もその異なりあるべき事なり。

然るにこれをも糺明したまえばこの度日本中の不受不施暫時に滅亡し四百年来の正統の立義忽ちに滅却に及ぶ。
幾千万人の真俗図方を失い紅涙にむせぶ。
これをも忍ぶべくんば何れをか忍ぶべからざらんや。

およそ諸宗の中に各数派相わかれたり。
何ぞ独りこの宗不受不施の立義不幸にしてこの巨難にあうや。
そのほか飲水行路挙足下足天の三光に身をあたため地の五穀にたましいを養う等の義も御供養と仰せらるといえどもこれは仏法にては共業の所感と云いて面々の過去の業因に依って受くる処にして分々の果報力なり。

儒道にては天地の間に万物を生じ人畜艸木各々生長する陰陽五行の自然の徳化なり。
されども統領の主に約すれば国王の所属にして世間政道の仁恩これまた国家通用の御恩なり。
四恩の中に国主の恩と施主の恩との差別あり、何ぞ僧侶の上に国主の恩をかかんや。

故に戒経にいわく、「これ国王なりと雖も必ず施すこと能わず」。
国主の総体その国主に属すといえども別して施の体あり。
施の心を行ぜざれば施の行とはならざるなり。
然るに僧の上に在っては飲水行路皆供養とは本これ身延日遠等の申し分なり。
源梵網経宝梁経の文を見謬るが故この義を立つるなり。
今本文を引いてその迷いをさとさん。

梵網経にいわく、「もし仏子信心出家して仏の正戒を受く故に心を起こし聖戒を毀犯する者は一切檀越の供養を受くることを得ず。
また国王の地上を行くことを得ず、国王の水を飲むことを得ず」。
天台梵網疏にいわく、「国主地水を以て有徳の人に給う、徳行有ること無きは受用すべからず」。
与咸の註にいわく、「一には供施一毫の分なし、二には大地一足の分なし、三には飲水一滴の分無し。
供養分無きはしかるべし、王の水土は衆生同じく感ず、何が故にまた分なからんや。

答う、白衣の無戒王の水土を食するに皆輸税有り。
出家は税せず、まことに戒行を為す。
今既に二種倶に無し豈その分有らんや。
分なくして用う豈これ賊に非ずや」。

宝梁経にいわく、「この大地に於いて乃至涕唾の分処有ること無し況や挙足下足去来屈伸をや。
何を以ての故に、過去の大王この大地を持して持戒行徳有る者に施与して中に於いて道を行せしむ。
迦葉これ破戒の比丘挙足下足の処一切の信施この人に及ぼさず。
況や僧坊及び招提僧舎経行の処をや。
もしあらゆる房舎牀敷園林所有の衣鉢臥具医薬一切の信施受くべからざる所なり」。

この文に依って沙門の挙足下足皆供養なりといえり。
然るに帰依不帰依の大旨を以てこれを会するにのこる事なし。
帰依の僧に在っては一切供養となり、不帰依の僧の前に在っては仁恩なり。
今二経の文は共に帰依に約するなり。
国主法華宗を信敬し給うに非ずといえども国内万民の帰依ある一宗なる故に仁恩を以て立置き給うなり。
その例をひかば大唐に於いて儒道を信ずる帝王なりといえども仏閣僧坊をたておき、その所領等をあておく事これ多しこれ豈信仰帰依の義ならんや。
只これ古来の制法を立置き政道寛大にほどこし給う義なり。
まさにしるべし仏家に於いてまた諸宗相分かれたるが故に深くこれを究めば帰依不帰依の異ある事必定なり。
況やこの経文を深く検うるに宝梁梵網の二文還ってこれ仁恩供養各別の証なり。

梵網の文に初めの一段には檀越供養といい、次の行路飲水は通じて仁恩を挙ぐるなり。
与咸の註に供養無分可爾と云いて別に水土を料簡す。
豈供養と仁恩と異なるに非ずや。
破戒無行にしては供養は申すに及ばず国主の通恩をも報ずる事あたわざればこれ盗賊の義なり。
一切檀越の中に何ぞ国主を除かんや。

もし国主の所施皆供養なり、国中の所有皆布施なりといわば四恩の中の国主の恩と云うものなし。
何ぞ諸経論に国主の恩を報ずる事を説き給うや。
吾が祖四恩抄の中にまた国恩を報すべしという、もし供養ならば報ずべき恩分なし。
そもそもまた一切を皆供養といわば面々各々の主君父母の賜う処のもの皆国主の供養なりや。

もししかれば父母の恩と云うものなく面々の主君の恩もなしと云わんや。
地水は本一切衆生の同業の感ずる処、またこれ面々の恩所あれども、王はこれ統領の主なるが故に王の水土と名付けてこれを飲み、これを行く。
これ則ち国主の通恩にして最も報ずべき義なり。
寒浪の白亀は毛宝が恩を報じ、昆明池の大魚は夜中に玉を捧げたり。
畜生すら恩を知れり、況や人倫をや。

然るを皆供養の義にしてその恩にあずからずというは最も不知恩第一の者なり。
在家は士農工商の役をつとめてその国用を弁じその厚恩を謝す。
もし在家の中にも端拱無為にして空しく国用をついやすは豈賊の義に非ずや。
沙門に在りては専ら戒行をつとめ仏法を弘めて国中の諸人をして勧善懲悪せしめ国家安穏の懇祈をこらすこれ国王の恩を報ずるなり。
もし破戒無慚にして徒に光陰をおくり報ずべき恩をも報ぜず、行うべき道をも知らざるはこれ僧の中の盗賊なり。
何ぞ水をのみ道をゆく事を得んや。

然るに吾が祖の立義を守り国恩報謝を志して不惜身命の立行をはげまし財産塔寺をもかえりみず誠の心をつくして正法をひろめんとおもう志吾が宗の通規なり。
もしこのおきてを守る者は最も盗賊のとがをのがれて僧宝の一分なるべし。
もし吾が家の堅制祖師已来の厳誡たる不受不施の義をなみし徒に遊戯雑話に年月をおくり、宗旨の衰患をかえりみず公場に恐れて諫むべきをいさめざる僧はまことに梵網経に呵責する処にして五千の大鬼そのあとを払うべし。

次に宝梁経の文旨全く梵網に同じ。
初めに無徳の比丘涕唾するにところなき故は過去の大王この地を以て持戒に施与して道を行ぜしむる故なりと云うまでは国主仁恩の施にして布施供養の文にあらず。
これ私の料簡にあらず、止観等に明らかに分けたり。

止観第一にこの文を引いていわく、「宝梁経にいわく、比丘、比丘の法を修せざれば大千に唾処無し、況や人の供養を受けんをや」。

破戒の比丘は国主の恩を報ずる事あたわざるが故に恩分の地芥子ばかりもなき道理なり。
これに依って大千無唾処と云う。
また破戒の比丘は崇敬の信施を謝する事あたわざるが故に次に況受人供養と云うなり。
故に始めの一段の文は仁恩にして供養に非ざる事必然なり。
次の迦葉是破戒比丘の下に仁恩と供養と明らかに二節に説く。
始めに挙足下足処とは略して国主所施の世間恩分の処を挙げ、一切信施とは略して信施供養を標し、不及此人とは上の二句をつらぬく。
上の二種破戒の比丘に及ばずと云う文なり。
況僧坊の下は上の国主恩分の処の挙足下足を況出して広くその体を出し、若有房舎の下は広く上の信施の物体を出し、終わりに所不応受と結するなり。
故に止観にこの文の意を取って引いて国主所施の仁恩の外に況や人の供養を受けんをやと云うなり。

輔行の意またしかなり。
経文の況の字止観輔行の況の字と異なり具眼の者は文をひらいて自ら会合せん。
もしかくの如く文を消釈せずんば経文の況の字穏やかならず、止観輔行の文一向に会得しがたかるべし。
国主の仁恩も破戒の人には及びがたき理を挙げて強く破戒の比丘を呵責する、これ宝梁経一段の大綱なり。

然れば則ち吾が家の立義はおのずから経文に符合して国主の所施供養にかぎらざる事あきらけし。
身延の日奠十六箇條を記して邪義をかざるといえどもその頭脳ただこの文に迷うより起これり。
その余の文義は誠に浅近の料簡なり。
およそ仏法未だ渡らざる時は御政道一途にかぎれり。
仏法渡りて後は御政道広くして世法仏法をかねたり。
何ぞ御政道の仁恩を以て通じて供養と云わんや。

もし強いて万物を以て御供養と仰せかけらればこの身仏法にては過去の所感、儒道にては五行の所成なり。
この身をも天地の間の所成なるを以て国主の御供養といわんや。
十方仏土中と云う時は触向対面皆仏土なれども別しては木像絵像のある処を仏前と云って礼拝恭敬し、六道衆生皆是父母ととけども別しては現在の父母に孝養をつくすなり。
まさにしるべし通じて御供養と仰せかけられても別体ある供養寺領等をば辞して飲水行路の総体はこれを受用し国土に法を弘むるなり。
これ総体の義を国土の謗法とも云うなり。

この謗法をのがるる義を吾が祖示していわく、「秋元抄にたとい謗身はのがると云うとも謗家謗国の失如何せん。
謗家の失をのがれんと思わば父母兄弟等にこの事をかたり申せ、或いはにくまるるか、或いは信ぜさせまいらするか。
謗国の失を思わば国主を諫暁し奉り死罪か流罪かに行わせらるべきなり。
『我不愛身命但惜無上道』と説かれ身軽法重死身弘法と釈せられしこれなり。
過去遠々劫より今に仏に成らざりける事はかようの事に恐れて云い出さざりける故なり」。

およそ国王は民の父母とも説き、国主の制に非ざれば以て遵行すること無しとものべて、まことに国主広大の恩化を蒙らずんば何ぞ宗義を弘むることを得んや。
この法流布するは国家安穏の要術、国恩報謝の枢機なり。
ただ悲しむところは讒口ちまたにふさがりて忠節をあらわさず、卞和が玉になくのうれえ、伍子胥が忠をなみするの悲しみに似たり。
誠に御政道ただしき御代なれば匹夫匹婦の志をも奪い給うべからずと深く憑をかけ奉り素懐の一端言上せしむる処なり。
敢えて身の為にこれを申さず、仏の為、神の為、国恩報謝の為、一切衆生の為なり。

仰ぎ願わくば四百年来の宗義忽ちに破却する事を哀憐し給い彼の邪徒の申し分とこの方の訴陳と是非を糺明遊ばされ下され候わば宗風再び振るい真俗眉を開きて吹く風枝をならさず、雨つちくれをくだかず、世はいよいよ●農の世となり、国はますます唐虞の国とならんものか。

寛文第六龍集丙午四月十七日
 野呂妙興寺第二十世
 安国院日講

進上
 御奉行所