萬代亀鏡録

破鳥鼠論:5(日講上人)

一、邪記次にいわく、問う、悲田方も同じく不受不施ならば何とて書物なしにそのまま立ちすます不受不施の野呂玉作などを訴人するや。
元来の不受不施を訴人したるにて三箇寺は受不施になりたること疑いなし、いかん。

答う、まずこの度のことを訴人と云うこと大なる偽りなり。
公儀よりの御穿鑿なり。
その義は御奉行よく御存知のことなれば論じても詮なし。
もし三箇寺より訴人してつぶすこと自由ならば仏法の大敵たる身延を訴えてつぶしたきことなれども一切自由にはならざるなり。

その上野呂玉作のことは旧冬日述一味の首頂なる故にたとい公儀よりそのままさしおきたまうとも地子寺領供養の仰せを聞きながら悲田の料簡もなく寺におり公儀より御尋ねの時は日述方にてはこれなきなど陳答あるは甚だ誑惑非道なり。
故に御奉行度々この仰せ渡しをききながらそのままおるは盗人なりと云云。

またたとい三箇寺より訴人してつぶすとも、これまた無理には非ずいかんとなれば手形かかれぬ日述も不受不施、書ける諸寺も不受不施なり。
その中に日述は眼前の不惜身命なる間、この義をばよきにもせよあたら不惜身命を諸人への勧誡あしき故に、日述一人の所行に依っていくばくの諸人立義滅亡の思いをなし、多く他宗になるその上平賀奥津の本末寺その外歴々の大地悉くつぶれ、殊に自証寺を他門の掌中に握らるる等の罪科勝計すべからず。
自身は手形いやの心入れならば何とて名代にかかせて不受不施の霊地を相続せられざるや。

さて三箇寺のことは不惜身命目に見えずと雖も文言ぬきさしの訴訟かなわざる時は、罪科に行わるべしとの談合に相究りたること分明なる故に、この段隠顕の異ありといえどもその功をばみなすべからず。
日述と同等なり。
その上にたえなんとする法命を相続し滅せんと欲する寺院を興隆し受不施折伏の法鼓を鳴らして諸人を利益す莫大の勲功得て称すべからず。

さて手形をかかるれども悲田供養の義上に記するが如く道理文証実正明白なる故にかつて法理に瑕のつきたることはなし。
かくの如く一疵不存万理整足の導師を無理非道に謗法人のようにいいなし、おびただしく俗男俗女にそしらせて不受不施の法義をいいつぶすことは偏に日述に根底し浣講に枝條す。
この義を思いつづくる時は、この人々はしらずはからず法灯相続の大邪魔、不受不施の大敵なり。
この科のがれがたき故に三箇寺より訴えてつぶしても毛頭無理には非ず。

然れどもこの度の御穿鑿は実に訴人には非ず。
疑わしき人は御奉行所に出でてたしかにききとどけらるべし。
訴人じゃ訴人にあらずと無益の論をばなすべからず。
眼前の例証あり。
松崎をば誰かこれを訴えし。
もし中山よりと云わば野呂玉作も平賀と云う大敵をもてり。
豈安堵ならんや。

然るにいかにも立ちすましたる両談所を三箇寺より訴えたる故につぶれたりなど云いふらし、公場までも書き上げらるることあまりに愚かなる所存なり。
多分はことをそれによせてますます悲田方をうとませんとの巧みなるべし。
誠に小子鼓を鳴らして責めば可ならんの類なり。

弾じていわく、訴人をせぬと陳ずることのいつわりなることは上に委しくのべたる総論の所にすでに明らかなる故に今論ずるにも及ばず。
公儀供養の言を聞きながら悲田の料簡もなく寺におるといえるは彼徒思惟をつくさざるの謬りなり。

もししからば四十年以前にはや寺領は供養と公儀よりは落居せることなり。
然るにその以後諸山の明哲そのまま領し来たれるは皆悉く盗賊なりやいかん。
すでに明らかなる文証道理ありて寺領と供養と格別なりといえる宗家真正の義と、公儀おしかけの寺領即供養の義と両途区別して後余類にかまわず立ておかるる故穿義あるまでは受け来たれる義なり。

故に今度も宗家の義を守って仁恩を受け法を弘むる義なり。
流死の二罪を公儀へ任せて何時にても穿義次第寺をあけ処をおわるるを顧みず堅く歴代の義を守る上は何ぞ盗賊の義ならん。
吾が祖の妙判に王土に生まれたれば身は随い奉る様なりとも、心をば随い奉るべからずと判じたまいたると同一の格式なり。
身は公儀へ任せ置く故何時にても穿義次第流死の失にあうべし。
心はまかせざる故に、宗家の正義仁恵通恩の法門の義理までを公儀へまげて聞き逃れはすべからず。
四十年来はこの両義のはりあいにて居たるものなり。

殊に大猷院殿の時は御納受にて、明らかに両派に立ておきたまう。
それより後は難をのがれて寺に居りしものはいよいよその分になり来たりしをや。
国内の人民は国主の進退にまかするなり。
すでに見のがしのあるは義をも許すになるべし。
その上日講諫状に道理を立てて出世通別の義を言上せられたる上は天下一同いい分の義は事すめる義なれば、この以後とても彼邪徒の訴人しのこしたる寺などあることあらば、その寺に住して法を弘むるに何の恐慮あらんや。

公儀よりおしかけて理不尽に天下の内に居て供養を受けまいと云うは盗人と云い、或いは日蓮の義を習いそこないたるなるべしなど云うは今にはじめずおしかけ破りなり。
その上公儀のは三宝供養にしていわるること也。

汝は陳じて悲田とはずしながら今はまた公儀無理なる言を味方にして、浮気なることをいえるや。
悲田と名を付けて難にもあわずのがれ済ましたりと思うは無双の売僧なり。

次に公儀より御尋ねの時は日述方にてはこれなきなど陳答あるは甚だ誑惑非道なりといえるは、一向その座のようすをしらずして、風説にまかせたる難題なり。
これも上の総論の下に委しくその子細を宣べたるが故に、重ねて書するに及ばず。

次に手形かかざる日述も不受不施、かける諸寺も不受不施といえるは、汝はさこそ思いつらめども立義をやぶりたる道理必然なる上、仏天にも捨て果てられ自身の非義とも自然に隠れなく顕れて世上より自ら捨つるなり。
古語に人のさざめごと天の聞くこと雷の如し。
暗室の虧心神の見ること電の如しといえるが如くなれば、何ほど包み隠しても善悪はかくれなきものと見えたり。

然るに所立の義分正轍ならば何ぞ寺院の破滅を痛まんや。
相続は法理に在って寺院にあらず。
しばらくも寺院にかかわるはもはや受不等の遁辞にして日ごろ領し来たれる寺院惜しく思える我執と檀那の帰依をむさぼらんために不受のようにいいなせるとの私曲にして真正の義に非ず。

汝が義もし不受不施明白ならば、何ぞ法力を以て人を化せざるや。
作り文をまわし手分けをしてすすめ講席までもちあがりていえども陰毒陽報の道理にて自他宗共に合点せざるなり。
それに非理の瞋恚を起こしてあげくには公儀へ失なき清派の衆を讒してまさしく僣聖増上慢の凶悪をいだけり。

然るに此方は一言もすすめざれども祖師以来の的流を水いらずに修行すれば普天率土自流他派その義には伏するなり。
論語にいわゆるその身正しければ令せざれども行わる、その身正しからざれば令すと雖も従わずと云える聖讖あたかも符契の如し。

もし法義を立てて寺院滅するを難ぜば、何ぞ先年の妙覚寺池上等の貫首を難ぜざるや。
寺のかたきをのこす分は空器の如し。
何のようかある。
たとい古受不施に渡っても寺のなりをば汝等が衰微よりはましに持成すべし。
彼は面をぬいで他宗の物をとる故に結句埒明きて人も迷わず。

池上江戸中を勧めて石段を修理せるを他宗までが見限りはて、京都妙顕寺が他宗を勧進して塔を立てたるは世間より無間塔と名をつけたり。
念仏無間といいながらその施をうけて建立する故なり。

この古受の邪義まことにあやまりの至りなれども汝が如く表裏はなきなり。
汝等はかくれなき受不施の手形をしてまた日ごろの檀那には不受不施と思われ、両の手にうまきものをもちたるようにして渡世を心がけたるものなれば、彼鍋盗人が見付けられ急に追われてとりみだし、あたまへ鍋をかぶりて手をたたき、我は盗まぬと陳放したると少しもたがわぬ事なり。
後には次第に衰微すべき故、そろそろ他宗の物をも悲田と名をつけ縁の為にとるなどと言を作りて古受不施の義と一つになるべきこと治定なり。

次に三箇寺の不惜身命も功を論ずれば、日述と同じと云う事誠におかしきことなり。
ぬかぬ太刀にて人を切ることかな。
清派の諸聖は祖師のあとを継いで命を塵芥よりかろんじたる志にて、ついに流人となれり。
汝等は内心に兼々臆病をかまえながら、始めのほどはばけかえりて流さるる分別なりと世間に披露し諸人の暇乞いをうけ、本尊をうりものに出したる誑惑第一の無道人なり。

この両途胡越をへだてたるが如くなるを同日に語するは天も地も同じことなりと云うほどのあやまりなり。
天をも恥ず、人をも憚らず、虚空なる威言をいいまわり、露命をつづくなかだちとするは古今無双の悪人なり。

次に法鼓をならして受不施を折伏すると云うこと笑うべし。
汝が鳴らす法鼓には犬もおどろくべからず。
古受不施の方よりも、汝をばなまなまとした売僧と見立つべき故に、人交わりをもいやに思うべし。
畢竟至誠金石に徹すと云うて、なんとたぶらかしても真偽は天公より判断する故にかくれなきものなり。

然るに自身の行跡くかれなき謗法の故なることをば夢にも思い当たらず、只流人のながれ世上にあるに依って人も参詣せず、寺も衰微すると心得て邪見を起こし、飢渇に堪えざる瞋恚のあまりに正義をくむものをかり出して、根絶させんと思う邪義責めてもあまりあり。

次に松崎をば誰か訴人したるぞと云うことまことにそらとぼけしたる申し分なり。
今問う、野呂玉作を訴人したることはまず治定にて松崎を陳放するや。
すでに野呂玉作分明に平賀と本末の公事に勝利を得て事治定したる処を彼が訴陳して野呂玉作の手形の義をのぞむ故に再び僉議起こりたることなり。
松崎のことは旧年日述一味のさしがみ付けたるものなればこの時はたとい別の訴訟をするものなくても初めすでに両談所の引き付けある故におのずから残党全からざる義なるべし。

況や松崎は内々彼の三箇寺等とひそかに心を合わせたる由たしかにきけば、彼の日瑶はすすんでも手形をして新受への追従にすべし。
何ぞ龍頭蛇尾の鳴滸のものを以て正統の法灯に一例して論ずるや。

況やまた野呂も平賀と云う大敵あればのがすまじなど書きちらし、天はれ地明らかに諸人群集の中にて野呂一本寺の公事に勝たれるを見ぬふりを致すこと余りに拙き筆の跡なり。

一、邪記次にいわく、問う、日述一味の衆に云う地子寺領はその体不定仁恩と信施と二種に亘る。
けだし能施の人の心地による所以なり。
能施の人三宝崇敬の心なれば信施供養となり。
哀憐慈悲の心なれば政道の仁恩となるなり。

今既に身延の訴訟に依って寺領供養の仰せ出しあり。
崇敬供養の義たること勿論に非ずや云云。この義いかん。

答う、牛羊の眼を以て人を評量すべからず。
いまだ他心通を得ざれば能施の人の心地をば諍うべからず。
下輩なおしかなり、況や上意をや。

およそ意業は幽微にして計りがたく、口業は粗顕にして知りやすし。
仰せ出しの御言にいわく、寺領供養不受各別と云云。

ここに於いて訴訟していわく、不受各別をば除き慈悲の二字をば加えんと欲すと云云。

微望ついに達し手形書き顕す。
粗顕の知りやすきを以て幽微のはかりがたきを恐察するに、寛仁大度にして法に御構いなし。
不受の法に御構いなき上は何れの田にても御とがめあるべき義に非ず。
悲田御構いなくんば豈に供養の言に泥まんや。

口業を以て意業を察するに豈改転の義に非ずや。
道理の極まる所深く執すべからず。
もし強いて能施の人の心をあやぶむと云わばその恐慮は仰せ出しの有無にも依るべからず。

手形書く書かぬにも依るべからず。
地子寺領御免の地は二六時中恐慮を懐くべし。

いわく只今は国主の心地地子寺領御免三宝崇敬の御心にては有るべからずや。
もしかりにもその御心きざす時は謗罪のがれがたしと。
とりわけ寛永年中に寺領供養といい立てし身延をば理分に御検断ありし故にその後は国主の御心ますますあやぶまずんばあるべからず。
故に無二無三に思い入れたる人は時々刻々に公場に出でて窺いたてまつるべきはずなり。

いわく地子寺領三宝崇敬の御祈念にてはなきや否や。
寺領はその体不定なるが故にかりにも崇敬の御祈念なれば信施供養にして謗罪となる故に堅く辞してこれを受けずと、かように尋ね明むべきことなり。

然るに一宗の内昔よりこのかた誰の輩か是の如く吟味したる人ありや。
またもし偏に能施の心地をあやぶまば一宗の先達すべて地子寺領も領したまうべからず。
いかんとなればおよそ一心は十界に遍満し三千を具足す。
故に時に依り境に随ってその念不定なるべし。

いわく寺領をゆるす刻みはたとい政道仁恩の祈念なりと云うとも、一朝に心転じてもし三宝崇敬の祈念なりと思し召す意になりたまうことあらばその時の主持覚えずして謗罪を招くべし。
この遠慮ある故に寺領を領せざるべきことなり。

故に幽微なる心地を察するには粗顕なる文字言句を以てせずんばあるべからず。
文字言句は悲田の供養なり。
已上

この段綿々とながき故に能破に便ならんとして切って三段とす。

弾じていわく、この初めにあげたる日述一味の寺領別体ある故、能施の人に依って転ずといえる料簡、彼が頭脳をひしとおさえたる義なるを以て、なにともせんかたなさに、衆生法妙の下の証文を引来して俄に諸人を権者にこしらえたるもの也。
せつなき体たらくに非ずや。

その格ならば一切の法門をも沙汰せずして一向に維摩の如く杜口せざるや。
汝が義の如くならば末法不鑑機の師は皆牛羊の眼となりて何事も口外はなるまじきか。

さてまた汝はこの経文に違うて猥りに評量し、自身の誤りをば言多く詮無きことをいいつづけ、この一義に至って評量すべからずと云うは何事ぞや。
たれ人か能施の人の心地を穿鑿するや。

此方は専ら口業に付いて論ずる也。
されば公儀すでに顕著分明に三宝供養と仰せ渡さる、豈口業に非ずや。

然るに四十年以前延池の諍論、双方訴状是非の異目赫々明々たり。
されば判者人明らかならず。

また権現様の御仕置きに違背せりとて是非なくて池上方放謫の難に処せりといえどもその義は残って公庭に留まれり。
人いずくんぞかくさんや。

然るに余類連々と繁栄し、殊に太猷院殿政道の仁恩の御朱印成し下さる上は、その義明らかにゆるされて立ち来る故に元来の仁恩にして数年受け来たれる義に非ずや。
然るにその後延山の訴訟に依ってついに当代御朱印の時に至って更に寺領を供養と仰せ渡さるる故、これ新たなる御仕置きなり。
豈この時に当たって是非の決断を加えざらんや。

されば寺領は別体ありて仁恩なる物を三宝供養と仰せ渡さるれば堅く口業に付いて受くべからざるの義治定するが故にこれを受けざる義なるに非ずや。

さて手形の文章少しも後の証拠になりがたし。
まず不受各別の言は除不除の論にも及ばず。
不受の僧の当体全く転じて受者となるが故に能別の言を用うべき道理なし。
上につぶさに弁ずるが如し。

慈悲の二字のことも上に評する如く入れがいもなき義にして公庭は三宝供養の義治定したる処に火を水と思いなしたる文体なればその謗施の体少しも転ぜざる故に謗供受用に治定したることなり。
これ書物も身口の二業に約して分明に究まることなり。

然るを意業の穿鑿のようにいいなしてわきへまわさんとし、ことごとしく十界互具までひびかし似つかぬ観心の法門名目をさえずり、おくふかきように思わせ、あえまぜて云いかすめんと巧み、あまつさえ身延を理分に仰せ付けられたる故に寛永以後は寺領受けぬ筈なりなどと先哲になき難をつけ、政道仁恩御許容の御仕置きをば覆いかくしたる彼が邪心比量すべきものなし。

一、邪記次にいわく、また偏に能施の心に約して敬田治定と云うは独り地子寺領のみに非ず。
飲水行路悉く皆供養云云。
自縄自縛自立廃忘なるべし。

日述方この義を料簡していわく、飲水行路等は御供養と仰せ出しありても別体なきが故寺領とは各別人界の衆生共感の果報なり所以に謗罪に非ず云云。

この義道理に応ぜずまた経釈に背き甚だ誤りなり、ゆるすべからず。
およそ土水は共業の所感と云うこと勿論なりといえども、その共業の所感の水土を国主より供養と思し召すとある故に了簡なくして濫りにこれを受用せば立義に背くべし。

宝積経にいわく、もし非沙門有って自ら我はこれ沙門なりと云わばこの大地に於いて乃至涕唾分処有ること無し。
況や挙足下足去来屈伸をや。
何を以ての故に、過去大王はこの地を持して持戒有徳の行者に施与して中に於いて行道せしむ。
云云。

梵網経にいわく、毀犯聖戒とは一切の檀越の供養を受くることを得ず。
また国王の水を飲むことを得ず。
云云。

天台の疏にいわく、罪を帯びて愧無きは施を受くることを得ず。
国王本地水を以て有徳の人に給す。
行徳有ること無きは受用すべからず。

古迹にいわく、不受檀越供養と云うはただ自ら罪を増すのみに非ず、他に於いて福を損ずるが故に。
不得飲国王水とは、出家は役を避く、しかして福田に非ず。

註に経文を科釈していわく、一には供施、一毫の分無し。
二には大地、一足の分無し。
三には飲水、一滴の分無し。
云云。

心地観経にいわく、国王の恩はその国界山河大地大海の際を尽くすに於いて国主一人に属し、福徳一切衆生に勝過するが故なり。
云云。

これらの経釈の意を案ずるに衆生共感の水土ながらしかも衆生の自由にあらず。
国主の自在なり。
然るに在家の士農工商は各々所役有って共に国恩を報ず。
もし自感を以て云わば国恩とも云うべからず。
自分の果報なるが故に。
すでに国恩となづく。
豈国主の進退にあらずや。

祖師の書にいわく、天の三光に身を温め地の五穀に神をやしなう。
皆国主の恩なり。
云云。

出家には世役なし。
もし不義非道にして戒法を守らず行学を修せずほしいままに飲水行路すれば国賊の科遁れがたきなり。

然れば則ち地子寺領は勿論のこと井水河水まで帰依の国主に約しては悉く敬田の供養なること当然の道理ならずや。

弾じていわく、この総別の料簡諸文を一貫し古今を通徹して妨碍なき故に彼徒重難をうちかね、まことに術なき体なり。
総別の二途を以て、さばかずんば、諸文を会釈するに由なけん。

優婆塞戒経第四にいわく、善男子無財の人自ら無財と説くこの義然らず。
何を以ての故に、一切の水草人有らざること無し。
これ国王と雖も必ずしも能施ならず。
これ貧窮と雖も能施ならざるに非ず。
何を以ての故に、貧窮の人また食分有り、食しおわって器を洗い蕩せる滌汁を棄て食すべき者に施しまた福徳を得ん。

もし塵?を以て蟻子に施す、また無量の福徳果報を得ん。
天下極貧誰かこの塵ばかりの?無かるべきや。
誰か一日に三揣の?を食し命全からざる者有らんや。

この故に諸人食の半ばを以て乞者に施すべし。
善男子極貧の人誰か赤裸にして衣服無き者有らん。
もし衣服有れば豈一?の人に施して瘡を繋ぎ一指許の財灯?を作す無けんや。
善男子天下の人誰か貧窮身無かるべき。
その如く身有れば他の福を作すを見、身まさに往いて助けて歓喜厭い無かるべし。

また施主と名付けまた福徳を得、或時分有り。或いは与等有り、或いは勝者有り、この因縁を以て我波斯匿王の食を受くる時また呪願す。
王及び貧窮の人得る所の福徳等しゅうして差別無し。