萬代亀鏡録

三田問答詰難:1(日講上人)

このごろ大阪より一巻の書を送る。
開いてこれを見れば題に三田問答と顕して二十八條の目録を列ねたり。
則ち暫時に電覧してその巻の終わりを見れば跋の心地にや、無常をすすめて述作の意趣を顕せり。
誠にこれ亀毛の長短兎角の有無を長々と論じて詮なき秀言なり。
およそ書を著すことは誠心を以てその義を究竟し虚談をやめて得意を思い定むべき事なるに、段々皆己義を荘厳するの邪曲、條々他の是を覆蔵するの妄難なり。
そのかみ彼の新受の徒一巻の抄を作って都鄙に廻せるを一覧し、條を逐い篇に随って一々難破せる故に今更に筆を染むるに及ばざる事なれども綿々と詐偽をかまえ論語孟子の抜き書きを加えて言に華をさかせ、奥ふかきように書きなせるを見てまた似たるを友とかやの風情にて千万人に一人もさもやと思い誤る事もやと思い侍るままに聊か水くきのあとを染め侍べり。
誠に狂人走れば不狂人も走るの毀りは遁るるに処なきものか。
日講門人 無名子序

およそこの書の首尾を検ぶるに始終無実の誹謗無顧の?曲なること彼が意を量って予め点示す。
まず四恩三田の事は諸経論に散在し、本より我が宗にて盛んにしれることなれば流人等も皆覚悟の前にて、今般の所論は三宝崇敬の財体転ぜざるを此方より悲田と名付けて領納する故謗法の性罪と成ると云う義を体とし、さて経論並びに儒書に供養の二字両義見えたれども本朝の風俗昔より供養の語をば仏事作善の義に約束して用い来たり、世間仁恩の義に用いたることこれなし。
されば宗祖以来供養の言を一概に敬田に用い来たれるを今俄にかけがえを分別するは第一譏嫌戒なり。
また愚なることなり。

譬えば筑紫の弥太郎と云える者咎に行わるる時関東の由緒もなき弥太郎と云うものを身がわりに立てて難を遁れんとするほどの愚かなる事なりと。
流人衆の立てられたる義なるをありように云うては邪義建立なりがたき間流人は皆一文不通にして三田の名目もしらぬようにいいかけ、供養の字心をも合点せぬもののようにいいかけて、邪義の利運にいいなすべし。

さてその上に一切経をも見たるふりをして経論など引き加え、頭書の四書大全まじりに儒書など引きかけ、新義の方は博学広才内外周覧のようにかざり立つべし。
与咸の註など小僧も常々もてあそぶ書なれども今俄に唐よりわたりたるように上声去声の字さばきまで究めたるように云うべし。

さて日奥日樹日遵等のあめる書はもとより流人は常に眼にさらして流通せられたることなれども、それをもえ見ぬように云いけすべし。
さてこの悲田供養と悲田の二字に供養の二字を加えて呼ぶことは我が宗始まってついになき事なれども、本より約束して用い来たれるようにいいなし、日奥日樹等の義と今度の邪義とはうらはらの相違なれどもこの衆を用いずんば真俗いよいよ新義と云うべき間この衆も悲田供養のことは合点せられたるようにもてなし、心にはこの衆をもあまり信仰には思わねども愚俗たらしの分別にはこれに過ぎたる調義あるまじければ方人すべし。

さて仁恩は共業感の義と国主の恩の義と両向にもたれたることは日講などの諫状にもくどきほどあることにて日本国へ弘まりたることなれどもこれをも云いかすめて国恩をもしらぬ無方もののように云いなすべし。
さて同聴異解の一札は証拠になることにても無ければ、他日執権もかわり身延の住持などもかわりて敬田供養などのある時彼方より受不施と一つにすべしと云いたてば辞退もなるまじけれども今の身延の住持訴訟きらいにていまだ訴訟の沙汰もなく、公儀もいつわりおろかなる体にて、さて無沙汰なればまずこの砌は公儀はれて不受不施を立つるように云いなし、公儀もとくと悲田敬田のわけを合点めされて能施の人の心も転じたるように名君賢臣とほめ立て、人をかたむくる根たてとすべし。

さて受不施はもとから堕獄ほどの失にてはなし。
三学の中には破戒の一分なるべし。
実体の謗法には非ずと日明等人にもかたり心にも思いしかども、公儀より幸い身延と一味せよと催促もなければ身延方をもついでにしかるまねをして愚人に明らかなる不受不施なりと思わすべし。

さて流人等は吾が祖已来の厳密の制戒日奥日樹の的伝を汲んで身軽法重の義を守り寺院を捨てて名利をもかえりみず、身命を抛って仏法を重んぜられたることは水いらずの修行なれば別に水をさすべきようはなけれども、これをも悲田仁恩の料簡なく我慢にて立てたるようにいいけして、日奥日樹の流罪とはかわりたるようにかきなして、信仰の道をふさぐべし。

さて身命を捨てて名利をむさぼると云うことはいかに云いかけても人も合点すまじけれども、これも十人に一人はさもやと思うこともあるべければ、名利を思いて不惜身命を立てたる血気の勇者のように云いなすべし。
さて流死二罪をもかえりみずその身を公儀へ打ち任せて祖師の義を守り天下を諫暁せられたれども、公儀より流罪に仰せ付けらるれば王土に生まれたる上は身は任せ奉る志にて公儀より扶持方を受けられその上仁恩敬田の違目を立て諫暁せらるることなれば仁恩なること隠れなきことなれどもこれも無理に悲田の料簡なしに受けるようにいいなすべし。

さて宗家の檀越改宗することは新受方より累年強訴やまざる故に日本国中一同の寺請けの僉議に成って糺明こまかしき故さすが身命をばえ捨てず当敵をさけて他宗になるの義なれば、これも改宗の根本をたづぬれば新受強訴の過失より起こりたれどもこれをも流人がすすめて他宗にしたるように云いなして人々に見限らすべし。
既に預けの身となりぬる上はおもてはれて云い分けすることもなるまじければいかようにも云いかすむべし。

また新受は第一臆病にて邪侫の巧み深く節々表裏ありしことは諸人の知る処なれども、これも心持ちは不惜身命の義なりと、ぬかぬ太刀にて人を切るべし。
さて慈悲の二字入れずしても書物する談合は究りたること江戸中の真俗知りたる事なれどもこれも遠国ものなどを誑かすには一筋ある手だてなれば慈悲の二字入れねば不惜身命を立つる筈にてありしように云いなすべし。

さてこの文言入れたること公儀とくと悲田と領納の義にてなきことは書物の文言にも顕れたれども不思議の仏智にて調いたるように云いなしさて書物の文章少しなおりたるを幸いにして寺社奉行の三宝供養のことわりをもきかぬふりにて有り難しと頂戴し盗み物をひき出すように、疾しおそしとあわてて判おしたることは日尭日了も同座にて見られたることなれば諸真俗も皆知りたれども、これをもかすめて流るる魚をえびすにたむくるとやらん云うようにこれを以て公儀を諫めたるように云いなすべし。
また大悲代受苦を云いて人を誑かさんとせしほどの事なれば因果撥無の底心なれども無常幻化の世をおそるるようにいいなすべし。

正法の行者を落とし入れんとて節々訴訟したることは歴然たれども、これも還って流人等の上に謗法師敵の失あるように云うべし。
また陰毒陽報の道理なればいかに作り文を廻し、高座に登ってわめけども諸人聞き入れず。
邪義のほど陳報し難ければ大名の奥方をたばかり入れて方人とせんと思うて改悔の一札を捧げたるその文体に公儀へ供養の手形致したることは是非に及ばざる次第なり。

内意は流人の衆と同意に候條向後は時節を以て流人御赦免の訴訟を致すべしなどと、三箇條をかきのせ三宝の宝前にても改悔懺悔の作法をつとめ、その上にこの改悔の義世間へ聞こえ候えば年来の諸檀那即時に離れ申すべし。
必ず御沙汰これなきようにと深くたのみたれども、打てばひびくの道理にて世間に隠れなし。

されども彼の新受方の悪僧のおもわくには、奥方の口をかためたればこの改悔の義をもあまねく世間には知るべからず。
その上例の同聴異解の一札にて思いのままにだましすましたれば、またこの上は表裏をかまえてかようの邪書を作りて廻したりとも世上の者は鈍なる間新受を日本第一の表裏もの売僧の皮と思うものもなかるべし。
ありとままよ、一寸さきはやみなればまず当座の恥をかくさば一人ずつも思いつかする手立てになるべしと三箇寺等相談にて此の書を編み立てたるものならん。

一、
他書にいわく、ある人来たって問うていわく吾が宗の元意祖師の法制は堅く不受不施の所立にして受用謗施の文義はかつて以て無き事なりと云うことは前にほぼこれを聞き得たり。
今しばらくこれを置く。

さて不受一流に於いてこの頃また二派に分かれて或いは悲田の供養は受施ともに妨碍なし。
或いは悲田供養を受施することは甚だしき謗罪なりと云いて互いに刃をけずり諍論しばしばやまず。
知らずいずれが是にして、いずれが非なることを。
敢えて問う、またはた得失いかんぞや。

答えていわく、汝もしよく受不受優劣の議論を弁別しおわらば又なんぞここに於いて深く疑惑すること有らんや。
およそそれ所施の境に三種の福田あって能施の心また三種の供養あり。
いわゆる敬田、恩田、悲田なり。

敬田とは仏法僧の三宝これなり。
恩田とは国王父母師長主君等なり。
乃至 然るにまた当世末流の中になお悲田供養をも受施すべからずと云いて私曲臆見の新義を企て、あまつさえ嫉妬を旨とし我慢を先として他人を誑惑し、法義を詐偽すること実に無文無義の僻見にして謗仏破祖の大罪なり。
しばらく今要を以てこれを評論せば、それ他宗敬田の施を受くるものはこれ甚だ不及にして祖師の所制を乱り、かの悲田施を受けざる人はまた却って大過にして吾が宗の元意を失えり。
ああ過ぎたるはなお及ばざるが如し。
誠に中正の得がたきことうべなり。
已上他書

弾じていわく、この問答の大旨まず大きなる虚誑罪なり。
およそ今般の所論は寺領等を公儀より三宝供養と仰せ渡さる義なる故、謗施の財体転ぜざる故に性罪を犯す義と悲田に供養の二字を加えて悲田供養と名付くること混乱の咎を招いて譏嫌戒を犯す巨障あるとこの二箇條を以て謗法となる義を立てられたり。
敢えて悲田について受不受の異論あるに非ず。

されば日講の諫状守正護国章にいわく、
かくの如く堅約の上に一派の内邪謀をいだき公儀をかすめ事を文言によせて悲田供養の新義を立て、いつわり愚かなる義を巧み出し愚俗を勧誘せり。
公儀すでに三宝崇敬の義と仰せ渡さる処に悲田慈悲とうくるは能施所施大いに相違せり。
木に竹をつぎたる風情、水を火と思い成す義にして謗施の財体転ぜず。
況や手形の文言幽遠にして後代の支証になりがたし。

供養の言たまたま悲田に通ずることありといえどもすでに諸経論の大旨専ら敬田に約して供養の義を成す。
況や自宗他宗通同して布施供養の言専ら仏事作善等の義に用い来たれり。
およそ君子は嫌疑の間におらず、瓜田に履をいれず、李下に冠を正さず。

孔子は渇を盗泉の水にしのび、曾子は車を勝母の里にかえせり必ずや名を正さんか。
供養の言誠にいむべし。(已上)

この語数行を越えずして万世の規矩となる明らかなる格言なり。
彼の徒この諫状を見ざる事はあるべからず。
然るにその義を隠覆して悲田受不受の論端より起こると云うこと誠に野狐精なり。
今まず右の二箇條を推し広めて彼の徒謗法罪を犯す道理を点示すべし。

一には公儀より始終三宝供養と仰せ渡さるる処に此方より強いて悲田と受くるは能施所施大きに相違し、謗施の財体一向転ぜざれば供養の言また色もかわらぬ三宝供養なり。

二には彼の徒手形の文言添削を以てその義をつのるといえどもかつて後代の支証にならざる故に性罪遁れがたし。(この義は下につぶさに論ず)

三には彼の徒急に臨んで相似の語を考え遁辞を設くること内外相違公私矛盾の誑惑にして世間に於いては公儀をかすむる咎を招き、仏法については覆蔵謗法の罪を犯す故に。

四には自身邪義を企つるのみならず祖師已来正統の義を堅く守る衆を怨嫉し非に落とさんとして公廷へ訴え廻状を廻して誹謗毀人の大罪を生ずるが故に。

五には公儀より流人の外余類に御構いなき筈なるをしばしば訴訟して天下の寺院正統を汲む類を一宇もなきように断絶せしむる故に檀那また寺請に倒惑してさすが身命を捨つることはなりがたし。
さす敵の新受をば甚だ嫌う故に止むことを得ずして皆宗旨を改めて他宗となる。
この大罪皆新受の徒に帰するが故に。

六には吾宗の格式逆化を表とし尋常も国主を諫暁するを以て本意とす。
然るに今度寺領について公儀より難題を仰せかけらるるは誠に身命をかえりみず宗義を呈露し諫暁の忠を尽くすべき時なるに、公廷を恐れ書物を捧げ宗家永代の瑕瑾を生ずるが故に。

七には悲田の二字に供養の二字を加えて仁恩の義に用ゆること祖師已来ついにこれなき新義なるが故に。

八には録内録外寺領供養各別の証拠古来より相伝する義ならびに日向記寺領供養各別の明文等泡沫に同じ、供養の言世出混乱して宗義立ちがたき故に。

九には謗法供養の語もと熟語にして供養の語敬田に用い来たり、これについて不受供養不施供養の二箇條を制し来たること吾宗祖師已来旗印なり。
末弟として少しも紛らわしき語を加えてこの法度を乱るべからず。
例せば礼楽征伐帝王より出でて諸侯より出でざるが如し。
然るに今事新しく字義を考え平仄を論じて供養の言悲田の義に混乱せしむること最もいむべきことにして必ず名を正すべき事なり。
およそ不受不施の制戒はもと守りがたき義にして伯夷が清介を懐く者にあらざれば均等に守りがたし。
辺鄙の野僧薄信の愚俗等はややもすれば敬田供養について制戒を犯す者これ多し。
然るに猥らわしく悲田にまた供養の語を加えばなにをも悲田と名をつけて受用の媒とし利養の便とすべし。
宗家もと相似の謗法を嫌うはかくの如き害を招くもとをふさぐ義なり。
然るをゆるかせにせば、宗家の旗印たちまちに倒るるが故に。

十には本朝の風俗諸宗ともに供養の語をば仏事作善に属して敬田の義に用い来たれり。
たとい誤りにても国風の約束し来たることは俄に改めざるは故実なり。
例せば鍛冶を鍛冶と用い来たるが如し。
また南斗北斗ともに両者ありといえども南をば斗(じゅ)の音によび、北をば斗(と)の音に用いて紛れざるよう約束せり。
尋常すでに総属別名の例あり。
されば供養の語世間に亘ることあれども国俗古来出世に属し来たる格をばかゆべからず。
随方毘尼と云い須善方言と釈するこの意にも通ずべし。
もし強いて異国の儒書仏経の本拠に准じて新たに理局を立て吾朝の風俗を破らば今浅事を以て詰難すべし。
檀那は梵語、布施は漢語なり。
されば出家の在家を檀那と称するは布施の義あるが故なり。
また下人その家々の主君を檀那と称するも施す義ある故なり。
出家に在っては出世の布施の義を成し、下人に在っては世間の布施の義を成す。
されども国風として御布施と云うは出家の上の義に限って用い梵語をば世出通じて用ゆるなり。
もし翻名を僉議し字義を論じ主君より給わる知行を家臣として御布施を拝領せりと云わば諸人手を拍って笑うべし。

今新受方の供養の字義世間に亘ることを考え出して世間の悲田をも供養と云うべしとつのるはかの物しりがおにて知行を御布施と云うても苦しからずと種々証拠を引いて義を成ずる嗚呼の者に似たり。
心あるもの誰か嘲弄せざらんや。

略して十義を挙げて彼の徒の謗罪の梗概を示す。
一派の中にもこの義を納得せざる人は或いは悲田の語をとがめて仁恩と別なりと執し、或いは相似の謗法に属して破責を加うるは正当の義にはあらず。
然るに世間の人専ら彼を呼んで悲田と名付くる事は二の由緒あり。

一には敬田の供養を無理に悲田と名を付けてこれを受用する故にその誑惑に附准して異名を悲田と云うなり。
例せば賢人の徳なきもの賢人の真似をして濫りに僣上するものを世間より異名をつけて賢人と呼ぶは彼を嘲る義なり。
近代七賢人の詩を作って風刺するが如し。
然るに異名を呼ばるるを幸いにして悲田供養にとりなし、その身も悲田者となって人を誑かすこと姦曲の至り、諺にすぐばけと云う者に似たり。

また一には京都に悲田院の遺跡、今は悲田寺と云うて乞食の栖なり。
これを思い合わせて悲田とは乞丐人の事なれば乞食になって受くる事は法をも軽しむるになるべきなどと邪推して彼の徒を呼びつけたるか。
これ皆或いは嘲弄し、或いは自身の推量に任せてその名を呼ぶ義なれば街談衢話の説にしてその義にあたらず。
されば流人等の衆は新受と呼んで悲田とは名を立てられず。
これ則ち古来の受不施に附傍して名を悲田とかえて受くる品を付けたる計りなれば新古の不同のみにて少しも不受不施にてはあらざる義を簡びあらわして新受と呼ばるること道理至極せり。

然れば則ち汝が私の悲田供養に落着して還って正統の義をなみし、受不施と相対して大過不及を論ずるは無稽の談にして侫人なること明らかなり。

一、
他書にいわく、客いわく、およそ敬田の施を以て供養と名付けたることは我かつてこれを聞けり。
恩悲の二施を以てまた供養と名付けたることはいまだ聞くことを得ず。

されば妙楽大師弘決中に供養の二字を釈していわく、下を以て上に薦むを供となし、卑を以て尊を資くるを養という。(已上)
この釈の義に准ずるに供養の名は本尊重崇敬の意ありと見えたり。
なんぞまた悲田の施を以て供養なりと云わんや。

答う、一指を以て千尋の底を測るものは海水の極まる所を知るべからず。
短?を引っ提げて百仭の深きを汲む者は井中の涸るる事を疑うことなかれ。
されば供養の名を考うるに約して三種あり。
いわゆる三種福田の施並びにこれ供養なるが故なり。
豈ただ敬田の施に限れると云わんや。

この故に経論及び経疏の中に往々に恩悲の二施を以てまた供養とのべたまえり。
その文今引用するに暇なし。
故にしばらく三五を出して局執を蕩すべし。
乃至 なんぞ供養の名必ずしも敬田ならんや云云。(以上他書)

弾じていわく、上の段に珍しからざる三田の本文を引用し、この段に供養の二字恩悲二田に亘る本拠を綿々と引く事皆これ無益の剰語にして亀毛の長短を論じ、兎角の有無を諍うに似たり。
挙げて評論するに及ばずといえども愚者の迷を将護して再び言葉を費やす。
およそ今度寺領即供養の義公儀より仰せ渡しの通りは始終三宝供養の義なり。
然るに此方にて名を悲田とつけて受くるは謗施の財体転ぜざる故に実体の謗法なることこれその所論の体なり。
その上悲田の二字に供養の語を加えて悲田供養と呼ぶこと宗家古来これなき新義なりと責むる義なり。

然るに己が局情に任せ悲田供養に落着して段々虚語を重畳せるは何事ぞや。
しばらく次の供養の語について論ぜば供養の二字恩悲の二田に亘る事は経論は申すに及ばず与咸の註にも委曲に点示せることなれば誰かこれを知らざらん。

然るに祖師已来謗法供養の語堅く敬田に属し悲田に亘しては用い来たらず。
およそ仏説は三代五十年に亘って無尽の法相あり。
されば諸宗各々依経有って宗々を建立せり。
されども成仏不成仏の大旨について諸宗の依憑する処の諸経を破し、釈尊本懐の法華の宗旨を建立するは吾宗の綱格なり。
もしは破もしは立みなこれ法華の意の掟なればその余些細の皮膚毛彩出でて衆典に在りの分齋は用捨意に随うべし。
もし我宗の格式の潤色なるべき文をば引用して助証とし、吾宗弘通の故障となる文をば置いて論ぜず、吾が祖一代の判釈歴代諸門の列祖その意これにあり。

この格式あからさまにも忘失するものは倶に道を論ずるに足らず。
されば供養の語恩悲に亘る経論釈疏祖師已来の先哲誰かこれを見ざることあらん。
然るに捨てて引用せざることは我宗謗法供養の格式の故障となる文なる故に猥らしく引かざるならん。
是一

その上供養の語本朝の風俗作善供養の義に限って用い来たれるが故に余田に亘る文は閑言語となれり。
本朝の国史並びに本朝文粋元享釈書等を検尋せば、供養の語出世に属して用い来たること自らこれを知るべし。
されば宗家の先哲も国風を守って悲田の二字に供養の語を亘さず。
是二

況や牛驢二乳の相似たるを弁じ、鎮頭迦羅の薬毒を弁ずるは仏家の通規なり。
君子は嫌疑の間に居らず。
必ずや名を正すは儒道の炳誡なり。
供養の語誠にいむべし。
もし強いて混乱を顧みずその語を通用せば開会の念仏を許す台宗の権実雑乱に同ずる事必然なり。
(この義つぶさに下に論ずるが如し)
是三

問う、彼の徒のいわく、公儀より三宝供養の仰せ渡しの後訴訟をとげ、一札の文言を増減して公儀へも悲田の趣を申し達し、その上に御朱印成し下さるといえり。
然らば謗施の財体もまた転ぜるに非ずや。
何ぞ強いて不転の義を募り彼を破責するや。

答う、財体かつて転ぜず。一札の文言理不尽の事つぶさに下に(二十一段)論ずるが如し。

一、
他書にいわく、問う、ある人のいわく、およそ供養の名に通別あり。
三田ともに供養と名付くるはこれ通の一途なり。
別してはただ敬田の施を供養と云えり。
何ぞ別の義を捨て、通の義を用い供養と名付けたる悲田の施を受くべけんや。
況やまた世人みな供養の名は敬田の一施に限れりと思えるが故にもっとも人情を慮るべしと云云。
この義如何。

答う、三田の施を以て並に供養と名付けたることは経論の誠諦いささかも紛る所なし。
知らず又いずれの処にか供養の名に通別ありとのべたることを。
乃至 有智の道人しばらくも興したまうべからず。(已上他書)

弾じていわく、性罪の財体の不転なる事ならびに供養の語恩悲に通ずる証文を引いて宗家にこれなき邪義を企て謗法の増上縁となること治定せば強いて通別をも論ずべからず。
されども一代経論敬田供養の文は多く、悲田に亘る義は少なし。
されば多分について別の義を論じ通の辺を一往とすることはその義なきに非ず。
されば記の十に、同居類多し何ぞ必ず極楽ならんと。

問うて、六故を以て答うる時、教説多きが故に多分に約するが故にといえるは多分に約して極楽を勧むる別意を点示せるに非ずや。
されば経論に直ちに悲田は通、敬田は別と断ずることこれなくとも義の趣向に約して通別を論ずる心なるべし。
また支提は梵語これには可供養処と翻ずる時は梵語に既に敬田の義を備えたり。
もっとも敬田を別意とする潤色なるべし。
これは既に論について論を生ずる程の事なれば詮なきことなれども汝が言端を逐うて点示する処なり。

またこの中に世人多く直道真実の良薬を苦み迂回方便の鴆毒を甘んずと云えるは定んで改宗の徒をさすなるべし。
これ源汝等が公廷を味方にして正統の行者を陥墜するをにくむが故に、さすが身命を捨つることは成り難ければ一向に轍をかえてなくなく他門に入れり。
されば改宗の義も本に帰して論ずる時は汝等が罪障なるべし。

曾子いわく、汝より出でたる者は汝に反ると。
恐慮せざるべけんや。

一、
他書にいわく、問う、たとい然りと云うとも奥師樹師等の先聖すでに供養の名を以てただ敬田の供なりと定めおわって寺領と供養と各別なりと云えり。
何ぞ古徳に乖背して悲田を供養と云わんや。

答う、上来に引く所の文義すでに分明に悲田の施を以て供養と云えり。
先聖何ぞこれらの文を見て却って供養の名はただ敬田の施なりと云わんや。
そもそも又奥師樹師等の先哲いずれの処にか悲田の施を供養といえる文釈を以てしかも敬田供養なりと判じたまえるや。
正しくその証拠を出すべし。
出さずんば敢えて許容するに足らず。
されば日遵師不受記の中に阿仏房の悲田の施を指して正しく阿仏房の供といえり。
供の一字は既にこれ供給養育の字義にして以下薦上為供の釈義には非ず。
豈日遵師まのあたり悲田の施を以て供養と云えるにあらずや。
乃至 株を守るの弊なり。(已上他書)

弾じていわく、上古の明哲は申すに及ばず奥師樹師等の撰述の書を彼の鬼界が島の俊ェが赦免状に我名の載らざるを懇ろに尋ねしようにいかにくり返しても供養の語は敬田に限って恩悲に亘れることはかつてなければ余りのあらまほしさに遵師不受決の中の相似の文を一句引き抜いて愚人を惑乱せんとする事弥天の大罪提婆が虚誑にも過ぎたり。
かようの分明なることにすら誑惑の義を巧めるを以て彼が陳報の万端僻見なることいわずして知んぬべし。
今不受決の現文を引いてその偽りを目前に顕すべし。

不受決にいわく、第三に妨難を遮すとは。

問う、註画讃にいわく、由井が浜より独り船に乗りて河名の津に着きぬ。
宿の主を船守弥三郎と号す。
元祖船より下りて苦しみ給う。
夫妻心を同じゅうして慇懃に奉事し洗足手洗飲食等に及ぶ乃至阿仏房また先謗後信の人なり。
阿仏房弥三郎如きは未信已前にして供養を設く。
また一谷入道の如きはついに妙経を信ぜずして飲食を奉献す。
これ元祖謗施を受け給うに非ずや。

答う、わずかにこの文を見て元祖謗者の施を受け給うと言う。
嗚呼悲しいかな。
ただ文相を見てその義を知らず。
その意を得ず。
何とならば伊東配流の時元祖船より下りて苦しみ給うの所以に弥三郎夫妻左遷の危難を見て悲哀に堪えず飲食等に及ぶ。
豈これ論ずる所の作善供養ならんや。
けだしこれ世間愍念の飲食のみと。
吾宗供養を謗者に設くることを禁ずと雖もしかもまた飲食医薬等を以て貧者病人配流困厄の輩に施すことを許す。
憐愍の一施立敵共許なり。
今の所述に非ざれば未だ怪しと為すに足らざるなり。

また阿仏房の供もその旨一揆なり。
以て自ら思量せよ。
筆を染むることを仮らず。
(文)
この文昭々たること晴天の杲日の如し。
問者既に供養の語を船守弥三郎阿仏房等の未信の時に亘して祖師敬田供養を受け給える証拠として問端を設けたるが故に、その問難の語に准じて阿仏房の供もその旨一揆と云えるなり。
意を取って云わば阿仏房供養の難題のことも弥三郎が未信の時の愍施と同じ心なりと点示せる文なり。

然るに前後をば略しただこの一句を抜き出して供の一字悲田の義なりなどと云い弘むるは誠に無慚無愧の至り譬えを取るに物なし。

他また身延池上諍論の時の寺領供養各別の語を会していわく、これ則ち問答の語の便に随って寺領供養各別といえるなり。
敢えて悲田の施を以て供養と名付くべからずと云わんとにはあらず云云。

これまた覿面の虚談にしてその恥を顧みざること小児の手を挙げて日月の明を掩わんとするに似たり。
しばらく一文を挙げて示さん。
延池問答記録にいわく、第二寺領と供養と不同の事。
およそ寺領とは国主政道の仁恩なり。
供養とは仏事作善の信施なり。
吾宗の所立に世間仏法の殊なり有り。
仏法に約すれば大小権実信不信有り故に権宗の供養を受くべからず。
世法に約すれば国主政道の仁恩を以て常恒に君恩を蒙り鎮に寺領田園を受く。
もし君恩を蒙らずんば誰人の許しを得てか宗旨を建立せんや。
故に専ら君子の仁恩を受けて仏法を相続せしむ。
その御恩天よりも高く地よりも厚し。

心地観経にいわく、世間の恩にそれ四種有り。
乃至 明らかに知んぬ、
寺領国主の仁恩なり。
供養仏事は第四の施主の恩に在り。
祖師の所判明白なり。
何ぞ末学と為て新義を企つるや。
もし第三第四合して信施といわば何を以てか国主の恩と名付けんや。
明らかに四恩に分かちて会通を成すべし。
乃至
身延第一祖筆記にいわく、国王大臣より所領を給わり官位を給うともそれには染せられず謗法の供養を受けざるを以て不染世間法とは云うなり。
(文)
既に上に官位所領を挙げ、下に供養を挙ぐ。
明らかに知んぬ、寺領と供養と天に隔たれり。
何ぞ寺領供養同一と云わんや。
(文)
されば寺領は供養か供養に非ざるかの所論別時供養にも過ぎたる大きなる異論なり。
問答の始終供養の語出世に属してかつて世間へ亘さざる事分明なり。
豈延池両派の諸聖汝が引く処の供養の語悲田に亘る証文を見ざることあらんや。
然るにかつて沙汰せざること日向記の謗法供養の言を初めとして宗家古来の格式に准じて供養の語出世に属する故に寺領供養か供養に非ざるかの論題を立てたり。
汝が如く心易き遁道あるを樹師等の流聖これをしらず、身命をすてて詮なき寺領供養各別の義を諍論せりと云わんや。

またその時の判者人台宗等の明匠道春永喜は儒家の博才なり。
然るに供養の二字悲田に亘ることをしらず、平仄の差異をも弁ぜずして無益の問答をさせられたりと云わんや。
何ぞ供養の語世出に通ずれば寺領供養各別の所論剋定せざる義なる間この問答は御無用と云うて制止せざるや。
故に知んぬ、延池の諸聖判者の真俗本朝の国風供養の語出世に限り、宗家の約束供養の二字を悲田に亘す事ついにこれなき故に供養の語をば出世の一途に究めて寺領は供養か供養に非ざるかの問答興行あることなり。
汝が義の如くんば歴代の諸聖水火の難を顧みず不受の制法を守れるは皆不調法の至りにして、悲田供養の遁道をしらず、平仄不同の遁辞を設けざる無益の巨難なりと云わんや。

一、
他書にいわく、問う、先聖は既に寺領を以て仁恩なりと会するに、今何ぞ却って悲田の施に同ずるや。

答う、今仁と云えるはこれ慈悲愛憐の義にして孟子四端の中にはジュツタ惻隠の心これなり。

されば荘子の天下の篇にいわく、仁を以て恩と為す。
乃至
薫然として慈仁あるこれを君子と謂う云云。

まさにこれ仁恩と云えるはただこれ慈悲哀愍恩恵にして全く悲田の給与なり。
乃至
果たして仁恩と悲施と本来一体にして敢えて不同有ること無し。
何ぞ相違すること有らんや。(已上他書)

弾じていわく、この段また無益の論なり。
仁恩悲田名異義同のことは自他共許にしてかつて所論にあらず。
心地観経等の文先聖既に引き尽くして国主の仁恩悲田の愍施なること誰かこれを諍わんや。
然れどもその愍施の中に総別不同あり。
飲水行路等は総体の仁恩にして制の限りにあらず。
今度は別体ある寺領等について三宝供養と仰せかけらるる上に固辞して受けず、流聖も一札を捧げられざることなり。
この事また日講の諫状に分明なれば筆を労するに及ばず。
ただ彼等初め諸国へ廻せる邪書とこの三田問答の義と自語相違せる事あり。
つぶさに下に指摘するが如し。