萬代亀鏡録

三田問答詰難:2(日講上人)

一、
他書にいわく、問う、或師いわく、仁恩と悲施と其の義同じと云えどもしかも其の旨実に懸隔せり。
何となれば悲田の施は来報を求めんが為に施与す。
仁恩の恵は来報を求むるが故に施すには非ず。
また悲田の施に依っては来報を得るといえども仁恩に依っては善果を得る事なし。
故に仁恩悲施並びにこれ慈悲の施なりと云えどもしかもこれらの異目あるが故に三種の勝境は別して福田の名を立てて常途の仁恩をえらべりと云云。
この義当たれりや如何。

答う、これ甚だ仏経檀度の法相にも背き、世俗恩恵の道理にも違える浮疎浅薄の判断なり。
誰かこれを信承せんや。
しばらく先ず父母に孝養し、師長に給仕し、主君に忠をつくすが如きは、これ偏に彼の広大の恩徳に報わんが為の微意なり。
然るにこれ心既にこれ善行なるが故に施主かつて招ずと云えども任運自然に善報を感得す。
この陰徳陽報の理、積善の家に余慶有るの類例なり。
乃至
また丈夫論にいわく、悲心を以て一人に施す功徳大地の如し。
己の為に一切に施す、報を得ること芥子の如し云云。

これまさしく経論の通義釈門の常談なり。
何ぞ妄りに悲田の施は来報を求むと云わんや。
乃至
もし然れば仁恩に依っては全く来報を得ることなしと云えるは甚だこれ経文並びに祖師の妙判に背ける偽妄なり。
已上他書

弾じていわく、この或師とさせるは誰人ぞや、最も不審なり。
当初新受方より都鄙へ廻せる邪書の中にいわく、日浣日講両人は初めより法門の心得自余とは各別なり。
仁恩と悲田とは不同なりと見立てられたり。
日述の義は仁恩と悲田は同一なれども只供養の二字に深く泥み能施の人の心を強くあやぶまれしと見えたり云云。
これを以て例して知んぬ、日浣日講をさす義なるべし。

然るにこれ大きなる虚説にして無体の筆跡なり。
去る寛文五年八月のころ公儀よりこの度の御朱印即ち三宝供養なる間其の手形を指し上げ寺領等拝受すべきよし仰せ渡しの時諸聖諸寺節々会合あり。
谷中感応寺にて相談の時法門の義味を論ぜらるるについて仁恩悲田古来配当の義同異の穿鑿ありし事あり。
三田の時は田の字あれば来報を引く義、仁恩は今日の上に約して国主と万民と因縁由籍の義あるが故に、万民の善悪六分が一国主に帰する義にして、来報を論ずるには非ざるべきか。
されども悲田も世間の愍施仁恩も政道の恩沢なれば来報の有無構わず配当せるものかと僉議せられたる事あり。
これ則ち祖師の秋元抄に、今日本国もまた是の如し。
持戒破戒無戒王臣万民を論ぜず一同の法華経誹謗の国なり。
たとい身の皮をはぎて法華経を書し奉り、肉を積んで供養し給うとも必ず国もほろび身も地獄に堕ち給うべき大いなる科ありと遊ばしたる御妙判と、金珠女鈔の謗人の供養無功徳の義などを控えにせられ、その上古来他宗所修の善根法華の開会に預かる時、種類種か相対種かと論じて相対種に属すると云う義辺に順じて謗者には善根の来報あるべからざるかと僉議せられたることあり。

されども日述の料簡に人天有漏の善果と仏辺所作の義と両途に分かれて現在に有漏の功徳を修し、これに依って国土安穏なりと云わば、また有漏の来報をも許すべし。
無功徳と遊ばしたるは敬田の辺、或いは順次生決定の悪果に約して遠縁の来報を奪い玉える御文体なるべし。
その上田と云うは只所依の境と云う事なるべきかと料簡ありしかば日浣日講も其の義同心にてその後悲田仁恩轍を同ずること諸聖一同の義定もして更に異論なし。
講浣もその日一往論ぜられたるばかりにて重ねては沙汰もせられず。

その年の九月のころは講浣両人巻物をしたためられ諸大名衆の奥方などへ遣わされたる書の中に、寺領は三田の中の悲田即ち仁恩に相当たることを明らかに述べられたり。
その後日講道理を剋定して公儀へ諫状をたてまつられたる時も悲田の語を難ぜられたることはかつて以てこれなし。
只性罪の財体不変と供養の二字譏嫌これ重きと畢竟二箇条の難なり。
悲田の二字に供養の語を加えて呼ぶをとがめて悲田供養の新義といえり。

然るに是をも見ざるふりをして無実を云いかけ、講浣は仁恩と悲田は不同なりと得られたり。
始めより法門の心得自余とは各別なりと云いちらし、今また此書にも或師いわくと書き挙げて詮なき評論をなすは何事ぞや。
まつまたこの邪書に載せたるが如く来報を求むると求めざるとの不同を立て人の意楽に約して仁恩悲田の違目を沙汰せられたることは始終暁の夢にもなきことなり。
然れば丈夫論等の引証只筆工を労せるのみにして数紙を書き汚したるばかりなり。

一、
他書にいわく、或人いわく、仁恩と悲田の施と一往その意同じと云えども再往実義を論ずるときは仁恩の名は本俗典より出でて世間にかぎり、悲田の名は仏経にのべて世出に通ずべき故に未だ全く一同すべからず。
またたとえ悲田の名は全く仁恩に同じくとも既に供養の名は限って仏語に出でたるが故に悲田の供養を受くることは甚だしき謗法なるべしと云云。
この義如何。

答う、およそ寺領はこれ仏経所説の四恩の中の第三国王の恩なりと云うことは既にこれ吾が宗古今の常説なり。
乃至
何ぞ供養の名は必ず出世敬田に在りと云わんや。
已上他書

弾じていわく、一往再往を以て悲田仁恩の同異を分別し、供養の名仏語に出でたるが故にこれを受くること謗法なるべしといえるは理不尽の義にして、全く法灯の任にあたれる流聖等の義に非ざれば兎角評するに及ばず。
されども其の所出を論ぜば、仁恩は世間政道の義にして仏法未渡の時よりこれあり。
悲田は仏陀の所制なれば外典内典に配するに妨碍あるべからず。
また仁恩の語仏経に亘り、供養の語儒典に通ずる辺も遮すべきに非ず。

されども今の所用にあらざれば畢竟無益の論なり。
然れども余りに通の義を云い過ごし儒典に三田を作れるはことおかしき事なり。
また仏説に於いては供養の二字供給の語と通用せることあれば一向に字書の平仄の義を以て一例しては論じがたきことあり。
しばらく今の経に過去の檀王阿私仙人に奉侍することを供給走使と説き、釈氏要覧には善生経を引いて供給舎利と云えり。
然れば悲田の時ばかり供給養育の義なりと概論すべからず。
これは便に因んで通局を示すものなり。

一、
他書にいわく、問う、文義既に然りと云えども国主国王の別時作善に於いてまた非人施行等の営みあり。
これ豈悲田の施は出世なるに非ずや。

答う、国君先祖の追善の時或いは施行大赦等の善事を行うことはこれただ世間の事善を以て仏道追薦の助道とするが故なり。
例せば父母孝養等を以てまた仏道の助行とするが如し。
敢えて出世の善根なるが故には非ず。
何ぞこれに依って悲田の施を出世也といわんや。
もしただ出世作善の時に望みてこれを用うるが故に出世の名を被らしむべしとならば、今しばらくこれを許すべし。
しかもついに其の実体は世善なり。

問う、もし然れば吾が宗また別時供養の修善也とも悲田の供養と名付くるときはこれを受用するに咎なし。

答う、およそ別時作善とは三宝崇敬を以て本意とす。
三宝とは何ぞや。仏、法及び僧宝なり。
この三宝を渇仰し帰依して以て供養するが故に無窮の福利を成就するなり。
然るにもしこの時に望みて三宝崇敬の供養を以て悲田供養なりといわば甚だ名字と実体と乖角を致せり。
宛珠を以て石と云い、剣を名付けて氷とせんが如し。
豈それ悲田の供養とならんや。
またまた三宝を崇敬すべきに望みて却って僧侶を抑下して悲田の供養に属在せば、施主の功用却って徒然となるべし。
何ぞこれを受けて以て国賊の譏りを求めんや。
乃至
学者まさに能く件の三段を評品して少しも混雑することなかれ。
已上他書

弾じていわく、非常の大赦また仏法未渡の時よりこれあり。
平等の施行は一無遮の善とて仏出世已前よりある事なれば尤も世善に属すべし。
ただ汝あくまで三宝供養の施を常恒受けながら別時作善の事を各別のように取りなすこと誑惑の至りなり。
暫時の一飯邂逅の施物よりは常恒三宝供養を受用するその咎重かるべし。
然るに常恒の三宝供養を既に悲田と名をつけてこれを受用する上は別時作善を何ぞ悲田と名付けて受けざるやと延山嗷訴せば遁るるに所なけん。
その上汝等が覚悟定まらずして自語矛盾せる誑惑を目前に露顕すべし。
汝等今の邪書に分明に別時作善は敬田治定なる間堅く受くべからざる旨を宣べたり。
先年も諸檀那に対して、慈悲の二字入れたる上は別時の敬田供養を受けざる証拠となるべしとののしり、その上別時供養を受けよと仰せかけられば身命を捨てても訴訟すべしと荒言せり。

然るに延宝八年庚申五月八日厳有院殿御薨御の時上野へ諷経を勤め、古湊、碑文谷、谷中一言の辞退に及ばず御布施五十貫づつ拝領せること諸人天晴れ地明らかに知れる処なり。
ここに知んぬ、彼等ただ口才を以て時に望んで無智の檀那を誑かし、不惜身命を口にあつらえ前後不覚の嘲弄をも顧みざること責めてもたらず、悲しんでも余りあり。

一、
他書にいわく、問う、或人のいわく、およそ三田の大抵を案ずるに諸文の中に多く三宝はこれ敬田、父母はこれ恩田、乞食はこれ悲田なりといえり。
出家を敬うはこれ敬田の徳をそなえて最も尊敬の施を受くるに堪えたり。
何ぞ却って慈悲の施を受用して以て僧宝高貴の徳を隠蔽し、しかもなお施主をして軽賊犯逆の大罪を造らしめんや。

答う、優婆塞戒経の供養三宝品にいわく、世尊にはこれ二種の田あり。一には報恩田、二には功徳田なり。
法もまた是の如し。
衆僧にはこれ三種の田あり。
一には報恩田、二には功徳田、三には貧窮田なり云云。
この文顕然に出家また三田の功徳を具足せることをのべ給えり。
乃至
甚だおこがましき粗義なり。

問う、来難の如く天下の万民悉く王の地上に行き、君の五穀を食んで莫大の慈哀を蒙ること勿論なりと云えどもしかも是ただ悲田所属の一分にして正しき悲田の施なりとは云いがたし。
その上この娑婆世界を以て国王の所領なりと云うことはこれ一往の判談にして、再往の実義は教主釈尊の本土なり。
故に我等ただ本師の国土に住して教主の五穀を食むなり。
敢えて国主国王の悲田の施を受くるには非ず。
故に奥師の守護正義論にいわく、この世界は本師釈迦の国土なり。
故にこれを受くるに妨げ無しと云云(略抄)。
もししからば何ぞ必ずしも悲田の施なりと云わんや。

答う、いにしえより今に至って識達の英士碩学の秀才すでに国王の恩を以てまさしく悲田の施なりと判じおわれり。
何ぞただ所属の一分にしてまさしき悲田の施にあらずといわんや。
乃至
学者なおよく彼文を熟見して詳らかに穿鑿あらばこれらの浮言自ら著見しつべし。
已上他書

弾じていわく、これは彼の世間の者悲田を乞食と心得て評判する義を心にかけて兎角会通したるものなれば挙げて論ずべき事にあらず。
優婆塞戒経の明文僧に三田ありととき、古来国主の恩を哀愍の施と約束したる事なれば受くべからずと云う者これなし。
何ぞ無義の剰語を宣ぶるに及ばんや。
言多くして品すくなきは賢者の嫌う処なり。
また次の答の中に奥師の正義論について理不尽の評をなせり。
汝は偏に国恩とばかり心得る故に実義の釈尊御所領にして行者受用する義は同心にてはあるべからず。
正義論の始めに、しかるに法華の行者生を謗国に受くると雖も心を仏道に専らにして正法を弘通し、身命を顧みず国主を諫暁すればまず謗国の咎を免るる也。
ここを以てその国土に住して障りなく、その土地を食んで失なし。
祖師已来一宗の行者所以に上奏を慕う意ここに在りといえるも汝が為には禁句ならん。
然るに世間の義を一往とし出世の義を再往とし給えるは仏法の大旨に約して論ずるなり。
然れどもこの両義一も廃すべからず。

一、
他書にいわく、客なお難じていわく、それ此土に生を受けて飲食を恣にし覆載に身をいれて手足を惜しむ事これ皆過去戒行の所感にして人天自得の報果なり。
何ぞ必ずしも国主の恩光に依って身命を安んずといわんや。
今反詰していわく、およそまた父母の体骸血肉を分け、乳哺撫育の慈悲を蒙り、一飯を喫して飢えをやめ、滴水を飲めば渇をとどむるもまた此れ前生往因の牽く所にして自業のなせるもの也。
然りと云いて汝また父母血肉の恩分なく、提携慈育の徳恵無しとおもえるや如何。
乃至
経論含蓄の旨を探らば相互に表裏することを見るべし。
已上他書

弾じていわく、およそ此土に生を受け飲水を受用し、一身相続すること国恩と業感と二義相用つてその義剋定す汝一偏に論ずる事大きなる誤りなり。
されば前段に論ずるが如く実義に約すれば此界釈尊の所領の土なり。
この所領の土を論ずるについて仏に属する辺と衆生に属する辺と両向あること天台妙楽経論に依って判ずる処なり。
玄義六 二十八丁にいわく、この~通を用い、もしは多もしは少ともに妙を表す也。
文にいわく、今仏三昧に入り給いて是の不可思議希有の事を現じ給う。
希有の事現じ給うはこれ妙~通なり。
もし依報に応同せば両意有り。
もし国土の苦楽は衆用に由る仏の所作に非ず。
仏はただ応同するのみ。
もし折伏摂受を作さば仏機縁を鑑み給う。
或いは苦国となり、或いは楽国となる。
苦楽仏に由って衆生に関わらず。

今しばらく初意を釈す。
大論にいわく、有る国土には純声聞僧、或国土には純菩薩僧、或いは菩薩声聞共に僧と為る等。
釈籤六 三十三にいわく、次に応同依報の中に二、まず重ねて所属両意の不同を判ず、次に今且の下は正釈、初めの文はその正報を論ず。
尚もしまた生仏相摂すべし。
但し衆生は唯理、諸仏は事成。
故に一切衆生悉く皆仏境界中に摂在せり。
況や所依の土はもとこれ諸仏所化の境世王の土の如し。
土は必ず王に属す。
しかして万姓の所居各自得と謂う。
その実王は万姓の為に以て国を治め万姓王に帰して家を立つ。
この故に慈を以てし忠を以てす。
更互相摂し彼此相望んでしかも王に従う義強し。
今機応義異を分かたんが為に前に機に従って説くが故に且釈と云う。
況や諸仏の寂理~方所無く、所依の寂境を常寂光と号す。
この故に砂石七珍生の所感に随う。
もしこの意に依らばまた生造に由る。
この故にこれに従う。
立土を以て機と為す。
生仏相対せば迷悟遙かに隔たり妄想と実境と胡越万里なれども悉檀赴機の日機応に約して両向の義を作れり。
例して知んぬ今日国恩を受けて一身を養育する辺は国土の恩なりといえども衆生の共業に約せば業力の所感なること諍うべからず。

されば日講の諫状にいわく、その外飲水行路挙足下足天の三光に身をあたため、地の五穀に神を養う等の義も御供養と仰せらるといえども、これは仏法にては共業の所感と云いて面々の過去の業因に依って受くる所にして分々の果報力なり。
儒道にては天地の間に万物を生じ人畜草木各々生長する陰陽五行の自然の徳化なり。
されども統領の主に約すれば国王の所属にして世間政道の仁恩これ国家通用の御恩なり。
四恩の中に国主の恩と施主の恩との差別あり。
何ぞ僧侶の上に国主の恩をかかんや。

故に戒経にいわく、これ国王と雖も必ず施す能わず。
国土の総体その国主に属すといえども別して施体あり。
施の心を行ぜざれば施の行とはならざるなり。
乃至
梵網の文に初一段には檀越供養といい、次の行路飲水は通じて仁恩を挙ぐるなり。
与咸の註に供養無分可爾と云いて別に水土を料簡す。
豈供養と仁恩と異なるに非ずや。
破戒無行にしては供養は申すに及ばず国主の通恩をも報ずることあたわざれば是盗賊の義なり。
一切檀越の中に何ぞ国主を除かんや。
もし国主の所施皆供養なり、国中の所有皆布施なりといわば四恩の中の国主の恩と云うものなし。
何ぞ諸経論に国主の恩を報ずることを説き給うや。
吾が祖四恩抄の中にまた国恩を報ずべしという。
もし供養ならば報ずべき恩分なし。
抑もまた一切を皆供養といわば面々各々の主君父母の賜う処のもの皆国主の供養なりや。
もししからば父母の恩というものなく、面々の主君の恩もなしといわんや。
地水はもと一切衆生の同業の感ずる処またこれ面々の恩所あれども、王はこれ統領の主なるが故に王の水土と名付けてこれを飲みこれを行くこれ則ち国主の通恩にして尤も報ずべき義なり。
寒浪の白亀は毛宝が恩を報じ、昆明池の大魚は夜中に玉を捧げたり。
畜生すら恩を知れり。
況や人倫をや等云云。

この文分明に飲水行路等の国主の通恩最も報ずべき道理を顕せり。
何ぞ偏に共業の所感に主づけて非難を加えんや。
この日講の総別の料簡諸文を一貫し古今を通徹して妨碍なき論判なる故に彼等ありように領解することあたわず、種々に転計してよくよく邪義を興す。
ただ仏家のみならず儒道また爾なり。
伯夷叔齊が如く一身をよくするは儒には聖の清なるものと評し、或いは隘なりと論ず。
仏家に沙汰する二乗根性の如し。
孔子孟子は世間に交わって身命をつづき、仁義の道を弘められし。
これ人を捨てざる聖人の儀則にして、古今のゆるす処なり。
かくの如く共業所感のものをば仁恩に受けて法を弘め、別体あるものをば辞して受けざるなり。
孔孟すでに別して送る処の不義の俸禄を固辞して受けずといえども、その土地の水食をば用いて身を養えり。
然るにその総体の水食は已に一法の二義なるが故に共感にかぎるに非ず。
一半は国主に属する辺あり。
この時は仁恩にして領分万民に通用せる恩沢なり。
この一半の義に約して国王の恩と名付けてこれを報ずるに国家安全の祈念をなし、或いは諫暁を励まして身命を軽んじ国恩を報謝し国土の謗法をのがるることなり。
与咸の註の心また爾なり。
一向共業の義を拒むには非ず。
共業の上にても国主に属する義あるが故に輸税戒行の二ともにかけては受用せられざる義なり。
およそ共感の義は経論常途の掟なり。
汝国主におもなりて一向に国主の恩とするは却って仏説を遮するになりなん。

また今の邪書にいわく、世尊既に共業所感の旨をのべおわってしかもまた属于国王の義を説きたまえり。
豈ただ意なしとせんやと云云。

汝一章の内に向来の義と相違して業感の辺とまた属于国王との両途を以て結せり。
覚えずしらず日講の両向の義に潤色せるに非ずや。
誠に笑うべし。
もし共業の義を捨てば心地観経のもし王の国内一人善を修すればその所作の福皆七分と為し、彼の国王に於いて常に二分を獲の文並びにこの故所修の一切の功徳六分の一は常に国王に属すと説ける新華厳の文如何消釈せん。
汝が義の如くんば領分は国主の進退のままなる故に国中所修の善悪六分七分ともに国王に帰すべし如何。
たまたま心地観経を引くといえども属于国王の属の字を解せざれば還ってこの方の例証となることをもしらず、めくら引きに引きちらしたる計りなり。
また汝さきの第九段の文の中におよそそれ挙足下足飲水行路及び父母の乳哺鞠養等はもとこれ悲哀の施与なり。
たとい強いて敬田の施と名付けたりともついに敬田の施とはなるべからず。
また別時作善は元来已に三宝貴敬の施なり。
豈悲田の施とする事を得んや。
もし地子寺領等の如きは已にこれ別にして給わる所の施物なり。
故に施主の名をも立つるに随って或いは敬田の施となり、或いは悲田の供と成ってその体従容なり。
もしこれらの大意を了知しおわらば義に於いて惑乱することなけんと云云。

これもまた総別を分かちたる義なる故に不意に日講の義に附傍せる事前後乖角また笑うべし。
帰依の僧の手前に在っては所有の施物皆別の義になる故に井水等も供養になる義辺あるべし。
されども帰依の上に世出の二途はあるべし。
不帰依には必ず総別を用いて料簡すべし。

一、
他書にいわく、十三段 問う、優婆塞戒経に衆僧に三田を具せりとのべ玉えるは只これ衆僧の中に或いは貧者病人或いは有徳厚恩の僧侶あるが故に推つかねて衆僧具三田とのべ玉えりと見えたり。
必ずしも衆僧各三田を具するにはあらず。
何ぞ衆僧皆三田の徳ありといわんや。

答う、これ甚だ文理に乖角せる妄説なり。
乃至
二十段

問う、権宗乞食の沙門もまたこれ優婆塞戒経の衆僧具三田の中の貧窮田に摂在せらるべしや。
乃至
いやしくも乞食の名言に拘って悲敬に惑乱すべからず。
已上他書

今云う十三段より十五段に至るまでは優婆塞戒経の三田の文を問難に因んで料簡し、第十六段には船守等の施について諸聖の異義あることを和会す。
別義なき故に評するに及ばず。
十七段より二十段に至るまでは他宗乞食の沙門に鉢を入るること古来の制禁なるについて悲田敬田の通局をのべたり。
これまた吾が宗尋常鍛錬の義にして新たに論ずるに及ばず。
その間細科について理不尽なることもあれども今所論の義に非ざるが故に評するに及ばず。

一、
他書にいわく、問う、或人いわく、忝なくも吾が祖師まのあたり霊山の仏勅を被り在世の遺教を守って五濁闘諍の時剋に降誕し玉いてよりこのかた命を法華経に奉り、身を土芥よりもかろんじて刀杖の重障を怖れず、謫戮の巨難を憚らず、専ら妙法の利剣を振るっては宗軍を砕破し、無碍の懸河を瀉いては三度国主を諫暁し玉えることこれ偏に我不愛身命の誠諦を重んじ死身弘法の厳誡を崇め玉えるが故なり。
ここを以て祖師の末流としてはまた専ら強義を以て本意とすべしと云うこと書判の妙文今数うるにいとまあらず。
然るに今国主の権勢を恐れて直ちに悲田の供養を受け、なおまた諫めを天下にいれざること実に師敵の罪過のがれがたく、破法の因縁おそるべしと云云。
もしこの理に依らば今悲田の施を受用せること最も不惜身命の立義に乖背するに似たり。
この義如何。

答う、盆を戴けるものは皇天を見ることあたわず。
陥井の蛙生なんぞ大海の広きことを知らんや。
抑も志士仁人の死生を濫りにせざることは、もとこれ義理の重きを知るに在って死生に心を費やすにはあらざるが故なり。
それ義の生くべきときを見ては命を全うして忠を尽くし、理の死すべきときを知っては身を軽んじて心を安んず。
これ士卒の嗜むべき道にして天下の貴ぶ所なり。
聊かも臆病の故に生じ、血気の故に死するには非ず。
乃至
故に心あらん人よく此の義を思惟してもしそれやむことなきに至ってはやみなん。
いやしくも力の堪えたらんほどは昼夜常に寝食を忘れ法命を重んじ恵灯を挑ぐべし。
然らば則ちもしなおやむ事を獲ざるにあらずんば乱りに身命を捨て法義を顧みざるものは、これ却って自ら破法を招くの逆罪にして血気第一の僻人なるべし。
全く以て仏法弘通の正師とは云いがたし。
あに慎まざらんや。
然るに今明君賢臣すでに宗制の通塞を簡弁し玉ひてまさしく祖師の制戒永々流伝の宰判なり。
なんぞ徒に強義を企て却って自害をまねかんや。
もしそれ今般なお非理に敬田供養を受用すべしとならば、誰人かまたこれを肯ぜんや。
最も身命を抛って法水を濁さずして後代の流通を保つに足れり。
今すでに然らず豈これ大幸なるにあらずや。
また今般すでに吾が宗の所制は堅く他宗の敬田供養を受けざる義を先立ててもし悲田供養は元祖制禁の限りにあらざるが故に年来これを受用するの旨を言上せり。
これあにまさしき諫暁なるにあらずや。
軽き下位の訴訟を以て重き上意の文言を添削せんことまことに至って難渋のことなるに、不意に改定の案文を玉わり訂正の簡断に預かれること豈人事の能くする所ならんや。
必ずこれ冥応の照らし玉えるものにして妙機の感ずる所ならんのみ。
乃至
信に手を空しゅうして後悔する事なかれ。
已上他書

弾じていわく、この段問難は厳密にして返答幽遠なり。
宜なるかな、自身臆病不覚の挙動を隠覆して、しかも祖師の死身弘法の勇猛の行に雷同せんと欲するが故なり。
汝が護惜建立と云うは只寺院を相続し身命を存在するを法義相続と思うと見えたり。
初段に挙ぐる処の十條の性重譏嫌の謗罪遁るべきに所なければ、法水の護惜建立の義は一向にかけたり。
自身非を飾るのみならず還って正統の師を誹謗して世人の信路を断たんと欲す。
誠に弥天の罪人なり。
およそ尋常すら法鼓を鳴らし国主を諫むるは祖師以来代々列祖の枢機なり。
国主念仏無間等の四箇の名言を信得及ぼし吾が宗に帰伏し玉わざる内は諫暁やむべからず。
吾が祖佐州の流刑を公儀より赦免あって鎌倉へ帰入し玉いてなお平左衛門に対して強言を吐き玉えり。

されば撰時抄下巻に第三には去年四月八日に平右衛門尉に語っていわく、王地に生まれたれば身をば随いられたてまつるようなれども心をば随えられたてまつるべからず。
念仏は無間地獄、禅の天魔の所為なる事は疑いなし。
殊に真言宗が此の国土の大なるわざわいにて候也。
大蒙古国を調伏せん事真言師には仰せつけらるべからず。
もし大事を真言師調伏するならば、いよいよいそいで此の国ほろぶべしと申せしかば頼綱問うていわく、いつごろか一定よせ候べきか。
予いわく、経文にはいつの日とはみえ候わねども、天の御気色いかりすくなからず。
急にみえて候。
よも今年はすごし候わじと語り申したりき。
此の三の大事は日蓮が申したるにはあらず。
ただ偏に釈迦如来の御~の我身に入りかわらせ給いけるにや。
我身ながらも悦び身にあまる。
已上

汝が義の如きは既に赦免し玉う上は公儀へも随逐あるならば、法も次第に弘まるべきに、血気第一の祖師の挙動なりと云うべしや。
しかのみならず頼綱西の御門に御房を造って愛染堂の別当と成し奉るべく候。
彼の御堂の寄進その他一千町に及べり。
天下の御祈祷あるべきの由申されたる時、祖師のたまうよう、別に御祈祷あるべからず。
ただ念仏真言禅律等の邪僧の御帰依を止め玉うべし。
と云い捨て即ち座を立ち玉い、程なく身延へ入り玉えり。
これ則ちたとい鎌倉殿祖師を信仰ありとも謗者の帰依をやめ玉わざる内は本意と思し召さざる義なり。
これ則ち末弟永代の規矩を残し玉えり。
されば前代の厳有院殿たとい法華宗にかたむき玉いたりとも謗法諸宗の御帰依やまざる内は修羅を崇重しながら帝釈を帰敬するが如くなる故名君とは申しがたし。
何ぞ諫暁の義をやめんや。
況や吾が宗古来ついにこれなき難題を懸け玉いて御朱印を即供養と仰せ懸けられその時の執権専らその義を推し広めて手形の義を云いかけ、それに随逐せずんば上意違背の咎に落とし、不受供養の徒の根源を断つべしとはかれるをほめて賢臣と云うべしや。
わずかに書物の文言少し直りたるを以て幸いのこととし、公儀も宗義を納得し玉えりと云いなすは比類なき誑惑に非ずや。

公儀は始終三宝供養の義にして御仕置も改転なき事来由あり。
道理あり。
また一札の文言に顕れたる旨あり。
まず来由をいわば先年身延池上諍論の時より寺領につき供養非供養の義あり、判者明了ならず。
時運否塞して日樹等権現様の筋目に相違せりと云う難題に落ちて放謫の難にあえり。
然るにその後余類に御構いなく、大猷院殿の時大いに繁栄して快く仁恩の御朱印を成し下され一派安堵の思いをなせり。
然るに時移り事去って法運また塞がり、身延より内々嗷訴せし砌今度この御朱印の沙汰これあるを幸いの折節と思い、寺領即供養の義について訴訟するに依って老中の評議一決して身延の申し分を尤もとうけ玉いて此の仰せ渡しあり。
已に身延の訴訟に依って三宝供養の義を命じ玉えり。
されば身延にも談合なく、何ぞ俄に格を替えて三宝供養の義を変じ玉わんや。

故に日明等しばしば内縁を以て和州へ悲田の義を望むといえども和州諾せずしていわく、兎角公儀は三宝崇敬の御心入れなり公方様法華宗になり玉わざる内はこの義かわることなし云云。

公儀は始終この格式にして変ずることなし。
聖人に非ずと云うとも何ぞ始終相違の御仕置きあらんや。
これその謗施の財体不変の来由なり。
次に道理をいわばもし悲田の義公儀領納の義ならば則ち仁恩もまた御許しなるべし。
同じ不受不施の中に何ぞ一類を罰し一類を許さんや。
公廷豈に五を知って十を知らざるの毀を招かんや。
是一

もしまた悲田の義公儀領納にして心口共に改まれる義ならば書物にも及ぶべからず。
一旦書物の義仰せ出さると云えども後々はその義やむべし。
悲田を許し玉わば仁恩をも許し玉うになる道理なるが故に何ぞ始終書物の義やまず宗旨請状までに書物せぬ不受にてはなきの語を載せて簡別し玉うべきや。
汝已に仁恩悲田名異義同と云う。
公廷もしその義を領掌しながら私意を以て一方を罰し一方を許さば豈ただ不仁不義の仕置きなるのみならんや。
非礼不明の瑕瑾を招くになりなん。
然るに公廷かくの如きの私情あるべからず。
故に知んぬ、三宝供養の格式あらたまるべからず。
是二

況やもし格式改まらば流人となる衆にその趣を寺社奉行より語らるべき事なり。
いやしくもその実義を隠して流罪に処するを悦びとすることあらんや。
一夫一婦もその処を得ざれば市に撻たるるが如しといえる古語あればありように判断せざれば仕置きする人の恥となることなり。
悲田の義に公廷もし実に転ぜば小湊等の訴訟に依って已に悲田の義と公儀にも領掌し玉う上は、何ぞ書物せざるやと公儀よりの異見尤もあるべきことなり。
然るに寺社奉行始終この義なくして唯井水河水皆三宝供養の仰せ渡しなるに、その上意に順ぜざるに依って曲事なりとばかりあいさつなり。
また谷中等の書物する時に日尭日了も同座なり。
日尭彼の一札を見られこの文体にては宗旨の瑕瑾にまかりなり候間かき申すまじきと申さるる時、甲州谷中等の訴訟に依って文体転じたると一言のあいさつもなく、また谷中等もこの文言にては苦しからずともいわずおずおず判形したる事かくれなきことなり。
公廷始終三宝供養の轍を改められざること分明なり。
是三

さてまた日浣或時日明等と参会のついでに三宝供養転不転の穿鑿ありし時、日浣申さるるは、この義大節の事なれば私の諍論詮なし。
ただ今各々を寺社奉行へ同道し、日ごろの三宝供養の義は公儀より向後御改めなされ候や否やを直に尋ね究めてその返答次第に致すべしと急に催促せられけれども、日明等かつて同道の儀を領掌せず。
これ則ち公廷格の替わらざる事決然なれば同道を諾せざる義なり。
是四

次に手形の文言後代の支証になりがたく、三宝供養の格改まらざることをいわば初め谷中より和州の内証にて「今度以御慈悲被成下御朱印頂戴難有奉存候則御供養と奉存候」とある文言出でたりとて日浣日尭並びに梅嶺寺三人を谷中より頼み日述へその義を披露し、この文体にては重ねて御相談もあるべきこと也と三人も申されければ、則ち日述心には諾せられずと雖もしばらく衆議に随い日述の所へ諸寺を集められその上日述の案文の好みに和州の案文の難有奉存候の次へ即御慈悲供養と奉存候。
敬田供養とは各別にて御座候とある案文ならば相談もあるべきかと申されければ、日浣等の三使谷中へその旨を伝えられけれどもその文言は調うべからずとてついに扱いやぶれたり。
(日述の意得は此案文とても調うべからずと納得の上、谷中等へ難題に右の案文を出せりと事終わって日述物語なり)
然るに和州よりこの文言出でたること大きなる虚説なる事程なく露顕せる故に日述の分別自然と正轍にあたれること諸人感心せり。
今しばらく与えて論ずる時御慈悲を以て成し下さるるとある文ならば公廷より三宝供養の格を改められたるように聞こゆれば責めての事なり。
然るに御慈悲にて御座候と此方にて領納する分は実に火を水と思いなすが如くなれば、その謂わくの分際を許して言の加わりたるは少しも三宝供養の義を公廷より改められたる義にはならず。
されば和州余の老中に対して公儀より三宝供養と仰せ渡さるる上は、下にていかように名を付けて受けんも彼がままになされよ。
少しも公儀の三宝供養の御仕置きの障りにはならざること也とあいさつありしに依ってこの文体の筈になりて老中より加賀爪甲州へ仰せ渡しありしと公廷へ徘徊するたしかなる人の物語なり。
されば和州のあいさつとこの手形の御慈悲にて御座候とある文体とわりふを合わせたるが如し。
是一

その上かけ構わざるものこの手形を見て義をとらば内々公儀ふさがりの者にて候えば当年の御朱印も彼是と延引心もとなく存じ候処に、このたび御朱印頂戴誠に有り難く忝なき御慈悲なりとまず一礼をのべて、さて降参仕り候上は上意の如く三宝供養と存じ奉り候とかきおさめたりとも見らるる文体なり。
かように仏在世の不定教の同聴異解の様なる文体の分際にて慈悲の二字を入れ、上意も悲田供養の義御納得にて冥応冥機の致す所なりなど荒言するは何事ぞや。
是二
(後日にまた或人いわく、慈悲の二字さえ入れ候えば日述その外一派異義これなき筈なりと虚言を作って和州へ訴訟する故に、和州の肝煎りにて慈悲の二字入れたりと)云云。
(また谷中日純甲州にて手形せし日梅嶺寺日既へ使僧を以て一札の案文を指越す時は御慈悲にて御座候の次に則の字を加えたり。
 是則彼が心を推するに上の句の慈悲の二字と下の句の供養の語といかにしても連貫せざる故に人をばすかし入れたし、せんかたなさのままに則の字を入れて上より下へ是非ともにつづけんとしたるものなり。
 されども谷中の使僧より前に日尭甲州より直に梅嶺寺へ来たって日講日浣へも手形の文言語られしかば日純の偽り即座にあらわれて則日bより日純への返書にこの手形の御文言内々の大悲代受苦の御志と存じ有難く存候と堕獄の手形に究めてのあいさつにてありしなり)
また彼勝劣の手形に不受不施の意得と各別とある文言を訴訟して除けりと云うこと少しも規模あらざるのみならず大きなる偽りを顕せり。
その故は勝劣と一致の不受不施とはもとより両派に分かれたる者なるが故に簡異の言を立て各別と決せり。
是則ち手形致して供養と存ずる上は一致の不受不施方の寺領は供養にあらずと云う意得とは各別なりと書けるものなり。
然るに今度は彼の勝劣方に簡異せられたる一致の不受不施のもの義を転じ書物して御供養と存ずると書く上は別に簡異すべき合手なし。
何ぞ各別の語あらんや。
喩えば敵味方分かれたる時は余の者敵方へくみせざるように堅めをさすることあれども、その敵降参して味方となる時は既に敵人なし。
何とて敵の義と各別と怠状を書かする義あらんや。
さればこの文体は訴訟せずとも公儀より書き出さるべき文章にはあらず。
されば訴訟してこの語を除けりと云う事大きなる偽りなり。
是三

その上霜月八日の夜日明の処に於いて内談の趣は一往慈悲の二字訴訟をしてもし叶わざる時は不受不施の意得と各別とある語ばかりを抜いて勝劣の如くの書物する筈に内談究りしこと(日明弟子従真野呂の所化貞園に語りし事也)世間にその隠れなし。
然るに幸いに慈悲の二字入れたるを悦んでこの訴訟調わざれば身命をも捨つる筈のように云い触らせしは例の誑惑なり。
喩えば遁ること五十歩なるもの俄に不慮の味方を得、たち留まって逃ること百歩せるものを笑うが如し。
勝劣は逃ること百歩せるに似たり。
新受は五十歩逃れたるに似たり。
慈悲の二字入れる味方つづかねば勝劣の如く百歩逃るは必然なり。
これしばらく与えて慈悲の二字入ると入れざるとを分かち、臆病の人の中にて比量して論じたるものなり。
上件の如くなれば慈悲の二字入れたるとて少しも公儀三宝供養の儀改転の義に非ざれば、謗法の大罪を招いて宗旨の命脈を断絶せること敢えて疑いなし。
是四

およそ仏法は世間の義と替わって謗法の根源を糺し、法水の濁りをすまさざれば、何程寺院繁栄し真俗群集しても少しも利益なく、却って天魔悪鬼力をそえて便りを得しむるなり。
迦毘羅外道は八百年の後陳那菩薩にせめられて忽ちに威光を失い、慈覚智証は三百年の後吾が祖初めて謗法のみなもとを顕し玉えり。
然るに只今新受の徒は流聖衆等朝暮参会して彼等が邪侫虚偽の多きこと法華の心入れ微弱なること底をつくして能く存知せる故、その流れを汲むものは伝え聞いて迷うことなしといえども、時移り事去って正統の派はいよいよ衰減し、邪徒の流れはますます増長してその実義を唱え失わんことを慮って委細にその謗法の根源を点示す。
その上その流れを汲む人も年月少し隔たりぬれば最早正轍の義を失して新受方を謗法と云う道理、財体不転の性罪、供養混乱の譏嫌等の謗罪をも納得せず、ただ悲田の義を破するとばかり意得たるものあれば、自他の亀鏡に備えんが為に筆を労して懇ろにしるす。
有智の人老婆親切なることを思惟してあからさまにも他の非を数うることを好むと云うことなかれ。

一、
他書にいわく、問う、或人いわく、祖師書判の中に多く相似の謗法を誡め玉えり。
されば法華開顕の念仏だもなお唱うべからずと判じ玉えり。
然るに今悲田の供養を受くること経釈及び祖師の筆跡文義彰灼なりと雖も、しかもその供養の語はなお已に敬田の供養と名紛乱せり。
豈これ相似の謗罪にあらずといわんやと云云。
この義可否いかんぞや。

答う、正鵠を失するときは反ってその身に求むといえり。
もしその心正しからずんば豈また当たることをえんや。
それ吾が祖師相似の謗法を誡め玉える事はただこれ挙げて用うるに及ばずしてしかもなおこれを修行するときは却って損害あるべきものを以て深くこれを禁止し玉えり。
敢えて濫りにまた相似の謗法を制し玉うにはあらず。
されば弥陀の名号の如きはまさしくこれ意に開顕の旨を了知せる人なりとももし口にただ南無阿弥陀仏と唱うる時は則ち法然所立の念仏に混雑して少智頑魯を迷乱し易き所なり。
故にたとい内心に開会を存すと云うともなお唱えざるが勝れるにはしかじ。
況やまた開権の妙旨に暗きものをや。
またすでに一たび仏母の実相たる妙法の五字を唱え奉る時は自ら十方三世の諸仏の功徳をおさむるが故に滅せぬ罪もなく、来たらぬ功徳もあるべからず。
求めざるに十方の浄土へも往生し弥陀如来にも面奉すべし。
故に生十方仏前とも即往安楽世界阿弥陀仏とも見えたり。
何ぞ万人の聞きを乱ることをも顧みずして煩わしく別段に弥陀の名号を唱えんや。
則ち祖師制戒の元由にして最も恐慮すべき所なり。
およそ法華の開顕の妙理は諸乗を融会して一乗に会入せしめ実相の外に更に余法ある事なし。
故に経には十方仏土中唯有一乗法等とのべ、釈には一乗外更無余乗と判ぜり。
然るにもし法華受持の上にもまた弥陀の名号を唱念すべしといわば、これ恐らくは却って開顕融会の旨を忘れて帯権隔異の情を懐けるものなるべし。
乃至
今般の一札もまた文言分明に慈悲の供養なりと剋成しおわってしかもなお敬田供養の文義を簡去せり。
豈彼開顕の名号の法然所立に相似するの等倫ならんや。
こいねがわくば後来有智の君子よくかの侫者をにくめ。
已上他書

弾じていわく、吾が宗の元意は末法下種の義を専要として衆生成仏の直因を殖ゆる時なるが故、逆化を表として覆漏汚雑の失を糺明し、あからさまにも権実雑乱の濫觴となることを深く誡む。
されば身口意三業に経て制戒を立つる中に別して事相に約し、身口の二業を誡むるについて相似の謗法罪をも誡め来たれり。
是則ち末代の愚人能弘の師も一惑未断にして鑑機三昧を得ざれば、身口について究め外を制して内心を立つる砌なる故なり。
されば弥陀の名号を勧唱あることは爾前諸経に金口の明文繁多なりと雖も、既に謗法を誡めて念仏無間と立て玉う。
故に法然流の未開会の称名念仏を禁止することは申すに及ばず、天台宗の如く開顕の旨に則って融通の念仏を立てたるをも吾が祖は堅く嫌い玉えり。
吾が祖所々の妙判枚挙するにいとまあらず。
しばらく十章抄にいわく、外道は常楽我浄と立てしかば仏世に出させ給いては苦空無常無我と説かせ給いき。
二乗は空観に著して大乗にすすまざりしかば、仏誡めてのたまわく、五逆は仏種となり塵労の畴は如来の種となるべし。
二乗の善法は永不成仏と嫌わせ給いき。
常楽我浄は義こそ外道はあしかりしかども、名はよかりしぞかし。
然れども仏は名をも忌み給いき。悪だにも仏種となる、まして善はとこそ覚ゆれども仏二乗に向かっては悪をば許して善をばいましめ給いき。
当世の念仏者は法華経を国に失う念仏なり。
たとい善たりとも義分あたれりと云うともまず名を忌むべし。
その故は仏法は国に随うべし。
天竺は一向小乗の国、一向大乗の国大小兼学相分かれたり。
震旦もまたまた是の如し。
日本国は一向大乗の国、大乗の中にも一乗の国なり。
華厳法相三論等の諸大乗なお相応せず。
何に況や小乗の三宗をや。
乃至
何に況や当世に開会を意得たる智者もすくなくこそおわすらめ、設いさる人ありとも弟子眷属所従なんどは如何が有るべかるらん。
愚者は智者の念仏を申し給うを見ては念仏者とこそ見候らん、法華経の行者とはよも見候わじ。
また南無妙法蓮華経と申す人をばいかなる愚者も法華経の行者とこそ申し候わんずらん。
当世に父母を殺す人よりも、謀叛を起こす人よりも天台真言の学者と云われて善公が礼賛をうたい、然公が念仏を囀る人々は恐ろしく候なり。
已上

この御文体また破権門理の日なるが故に事相に約して初心のおもわくを詮に誡め玉えり。
また祖師已来謗法供養を嫌うて受けざるも権実雑乱の咎を誡むるにあり。
されば今昔相対して破廃開会を論ずる時、教行人理の四、一に約して是を沙汰するは通途の格式なり。
経体既に権実を簡別するが故に教を受けてなす処の行体をも混同すべからず。
然るに謗法供養は六度の中の檀波羅密にして謗法の上の仏事作善なる故に堅く受くることを誡めたり。
これに依って供養の言また堅く出世敬田の一途に限って用い来たれり。
経論に証拠ありとて供養の語を世間へ亘せるためしなし。
されば祖師一代の妙判の中に供養の語を世間へ亘し玉えること一文としてこれなき事なり。
なかんづく日向記に官位所領を給うともそれには染せられず、謗法供養を受けざるを以て不染世間法と云うなりと記し玉える文を明証として古来より寺領供養各別の義を立てたること諸門流列祖の明判に出でたり。
されば供養の二字を敬田に属して謗者の施を制すること宗旨の骨目、吾が家の命脈なり。
然るに今紛らわしく悲田に通じて供養の語を亘すは大きなる僻事なり。
自余の香華灯明剃髪染衣等の相似の例と同日にして語すべからず。
是一

況や澆季の風俗魚目を明珠と混乱するは目前の事なるに猥らしく供養の語を悲田へ亘して遁辞を設けんや。
孔子は渇を盗泉の水に忍び、曾子は車を勝母の里に返せり。
世の君子なおその名をいむことかくの如し。
況や仏祖の掟を守る者豈譏嫌を慎まざらんや。
もし強いて供養の語を通用せんとならば開会の念仏を許す台宗の権実雑濫の義に混同すべし。
その故はもし只開顕の上には妙法五字に諸仏の功徳を具するが故に別に弥陀の名号を用ゆるに及ばずと概論せば弥陀には限るべからず。
諸仏諸尊諸天善~をも別には用ゆべからず。
また妙法の五字に縁因の万行を含ずるが故に別に香華灯明をも供するに及ばずと云わんや。
もししからば十界勧請の曼荼羅も徒然の義となり、
祖師の御曼荼羅に善徳仏等を勧請し玉えるも理不尽の義となり、香華等の助行も用いざるべしや。
故に知んぬ法然所立の弥陀念仏を堅く制し玉うに依って執権謗実の者にもし開会の念仏を許さば、巨火に薪をそえ長氷に水を添うる風情なるが故に台宗の開会の念仏をも強く誡め玉えり。
然れば事理の中には事相を以て肝要とし三業の中には身口を規則とすること吾が宗の通格なり。
然るに今紛らわしく供養の語を世間へ亘さば豈謗法混乱の大科を招くこと彼の台宗の徒念仏の名は同じけれども開未開の異あるが故に開会の念仏は苦しかるべからずと募る義と少しも替わらぬ誤りにあらずや。
是二

その上さきにもほぼのぶるが如く不受不施の制誡は宗旨に深く思い入り、夷齊が清操を挟んで楊震が四知を恥ずる程の至誠なきものは、ややもすれば堅制の敬田供養を濫りに受用すること尋常ままある事なり。
況や悲田に約して紛らわしく供養の義を許さば何をも悲田と名をつけて受用せん事必然の道理なれば宗義の制法永く滅却して自他宗の分かちもなく成り行き捨邪帰正の入路を塞ぐこと心あるもの誰かこれを悲歎せざらんや。
是三

これはしばらく供養の語敬田悲田混同の義に約してその弊を論ず。
敬田供養の財体不転の事及び一札の文言また支証とならざること前段にしばしば論ずるが如し。
(吾が宗相似の謗法を誡むること分明なる証文文殊問経に出たり。
 下の追加に引くが如し)