萬代亀鏡録

三田問答詰難:3(日講上人)

一、
他書にいわく、問う、もし供養の名言は敬田の供養に似たりと云えども慈悲の二字を加えて敬田をえらべるが故に相似の謗法に非ずといわばただ法然所立に簡異して法華開顕の南無阿弥陀仏と唱うべしや、いかん。

答う、豈上にいわずや、我忝なくも仏母の実相を唱え奉る。
なんぞなお隔執を存して別に名号を唱えんや。
もしまた吾が祖の所判の中にこの覚立って後は行者小乗阿含経を読むとも法華経也等と判じ玉えるが如くんば、既にこれ智者の解行にして下愚の堪えざる所なり。
何ぞ智愚賢不肖を分かたざらんや。
実に瑣人の短懐小識の便口也。
已上他書

弾じていわく、前段に委曲弁明すといえども愚迷を憐れんで再び筆を馳す。
およそ開会の上にも称名念仏を許さざること古来多義ありといえども畢竟初心を将護してその名を忌むを以て本意とす。
これ則ち吾が祖宗旨建立の初めつかた立正安国論を作って鎌倉の執権平時ョへ捧げ玉いし時哀音の念仏亡国の濫觴たる旨をのべ玉えり。
その功空しからず執権の邪執を蕩し時機相応の難信の妙法を普天の下にあまねく流布す。
されども釈迦に提婆、太子に守屋と云うごとく念仏の邪法なお競い起こって謗実の邪義いまだやまず。
豈この時に当たって猥らしく開会の念仏を許さんや。
汝供養の語世間に亘る本拠に僻依して敬田供養の語に混乱すること全く台宗の迷徒に同じ。
汝聞かずや、先年大仏供養の時一宗巨難に臨んで岐路に倒惑し、或いは宗旨を改め、或いは新宗を立てわずかに宗門に列なるといえども謗法供養を受用して歴代の格式に背き、初めは一たび供養を受けて後必ず詫び言を遂げて再び受くべからずとののしりし輩名利にほだされ、我見熾にして或いは王土に居する身は辞するに処なき故に国主一人の供養をば受くべしとつのり、次第に転計して万民の供養をも此方より勧めて受くること却って功徳なりと云う邪義を立て人をすすめ書を顕して無窮の放逸を尽くせり。
その中に或いは開会の念仏は苦しからずと云い、或いは社参物詣を許せり。
その弊ついに盛んにして自宗他宗の撰びなく同坐の供養をうけ、吾が宗の牛王に愛宕の札をならべ置き、伊勢参宮は申すに及ばず学室諸生新談義興行の立願に鞍馬清水へ参詣する風俗となれり。
なかんづく日乾諸檀那に対して宗旨相続の為なれば公方より念仏申せとあらば念仏をも申すべしと荒言せり。
(佐藤了世と云う俗士●り聞いてたしかに語り伝えたる事なり)豈浅ましき作行に非ずや。
誠に隠れたるよりあらわることなし、微なるより顕なるはなしといえる聖人の誡め慎まざるべけんや。
汝等既に謗法の根を隠して却って混乱の洪基をひらく。
次第に非をかざり真を乱して宗旨の正轍を磨滅してついには念仏をも許す義にくみせん事掌をさすが如し。
吾が祖弘法の第三戯論より慈覚智証の理同事勝の咎深しと判じ玉いたるは、人の迷いやすきを誡め玉う意なり。
似て非なるものをにくむと云える古賢の語誠なるかな。
然れば則ちその罪を論ずる時も他宗よりは受不施重かるべし。
受不施より新受の咎莫大なるべし。

一、
他書にいわく、問う、また或人転計してただ供養の語敬田の供養に相似せるのみには非ず。
慈悲の名また甚だ卑野にして仁恩の語よりも劣れり。
乃至
実にこれ柱に膠して瑟を調べんとするの短智なり。

問う、またいわく、およそ悲田の施は遊民遊食の受くべき処なり。
乃至
敢えて悲田の施を受くるについて異目あるには非ず。
已上他書

今いわく、この二段の中初段には仁恩悲田の語の勝劣を議論し、悲田院の語について太子の四院の事を永々と沙汰せり。
次の段には悲田の施は遊民の受くべき処にして士農工商の中の士の摂属たる出家の人の受くべき処に非ずと論じて四民皆悲田の施を受くべき道理をのべたり。
これみな世間に唱うる処の悲田乞食の義を心に懸けて永々しき閑言語を設けたるものなれば誠におこがましき所論なり。
その上沙門は四姓出家皆名為釈の例の如く士農工商の四民の限域を離れたるものなるに、通局もなく士の摂属と云えるは国主を諂う義に逢著して釈氏の本意を失えるに非ずや。

一、
他書にいわく、問う、或人またいわく、およそ息世譏嫌の戒法は菩薩に於いて最もこれ重しとす。
然るに今悲田の施なりといえども既に供養の名あるときはなお世間の譏嫌を招くに至れり。
菩薩の重戒を犯せるにあらずやと云云。
この義如何。

答う、それ忠言耳に逆らうと云えども諫めずんばあるべからず。
良薬は口に苦しと云えども服せしめずんばあるべからず。
乃至
今まさに一札を公場に捧げて悲田供養なることすでに天下の公論なり。
なんぞ衆愚の諤々たるを用いんや。
已上他書

この段に息世譏嫌の戒法に背ける義を問答して曲会私情の義を設けたることあり。
およそ不軽の而強毒之、吾が祖の折伏破権の弘通は時機に相応して逆化の弘通を設けたるものなれば如来現在猶多怨嫉況滅度後の未来記に符合せる上は誰人か嘴をその間にいれんや。
この逆化既に厳密なる上は息世譏嫌の戒法また従って厳重なるべし。
況や汝が問難を設けたるが如く菩薩に於いて譏嫌これ重しとは双林最後の遺誡に非ずや。
汝邪智百非を馳せてこの譏嫌を逃れんと欲すとも永代逃るる事はあるべからず。
況や並べて重を犯せる大罪あるをや。

一、
他書にいわく、問う、また或人のいわく、たとい悲田供養を受くることはその義あたれりと云うとも出塵の身を以て在家に対して一札を捧げ施物を受くること甚だ礼法にそむけり。
何ぞ固くこれを辞せざるやと云云。
この義如何。

答う、およそ出家はこれ尊徳高位を具して在家の凡俗を礼すべからずとは如来の遺誡にして経論の常制なり。
乃至
まさに今国主上意の旨に任せて一札を捧げ寺領を拝受することまたこれ小事を以て国風に従い宗制の大義を立てんとするの大猷なり。
豈却って瑕瑾なりとせんや。
況やまた大行は細瑾を顧みずと云えり。
なんぞいやしくも世間の小事に拘って仏法の大理を破らんや。
乃至
聊かも邪曲の険難に趣きて無間の火坑に陥ることなかれ。
已上他書

弾じていわく、この段に彼一札の瑕瑾を護惜して種々の侫言を吐く、少しも許すべからず。
およそこの一札の義上達の根性に約し宗旨の本意を探らば、公儀より一札の義興行の根源を考うるに、吾が宗伝来の不受不施の義を拒み手形の難題を以て宗義を陥墜せんと謀れるものなれば、この時に当たっては異体同心の道念に住し、強いて諫鼓を鳴らして刑罰を顧みず、少しも折伏の威勢を失わず、宗義の進退を仏意にまかせて一札の義を領掌せざるを以て正風体とすべし。
されども一等降して与えて論ずる時は公廷へ訴えて謗施の財体も転じ供養の語混淆する譏嫌をも離れ後代の支証と成って立義の碍りにならざる一札ならば国風に随い上意に応じて大義を相続する善巧とも云いつべし。
然るに宗義の綱格たる謗法供養を受け性重譏嫌ともに犯しわずかに火を水と思いなす分齊をゆるされて、もはや幸いのことにして一札を捧ぐるは宗義を破って国風に随い、祖意を忘れて上意におもねれる義なれば、誠に釈門の姦賊法中の夭?なり。
已に横作法制の未来記ある上は国主の政道必ず正路なりとも究めがたし。
ただ上意といわば随わんとて無理を以てかすめらるる事何ぞなからん。
もし念仏を申すべし、或いは肉食等の非道を行ずべしとありともまた随従せんや。

法苑珠林一百十二にいわく、問うていわく、酒はこれ和~の薬、肉はこれ充飢の膳、古今味を同じゅうす。
今独り何ぞ鄙め見て食せざる。
もし仏教の清禁をして居ながら礼制を喪わしめば即ち厳君に対って勅して俗食を賜うが如し。
豈僧過に関われりと云いて拒んで食せざらんや。
答えていわく、財を貪り色を喜ぶは貞夫の鄙む所、膳を好み美を嗜むは廉士のにくむ所、情を割いて道に従うは前賢の嘆ずる所、欲を抑えて徳を崇むるは往哲同じく嗟す。
況や肉は由命を殺し、酒は能く神を乱す。
食せざれどもこの理むしろ非と為すべけんや。
たとい上抑に逢うともついに須く厳断すべし。
君命に違すと雖も還って仏心に順ず。
君王の命たりと云えども堅く肉食を用うべからざるの旨分明なり。
君命に違すと云えども還って仏心に順ずの言誠に肝に銘ずべし。
肉食尚しかなり。
況や吾が祖の制法を破却せんとする興行に於いてをや。
然るに沙門王者を拝せざる等の小事を以てこの一大事の制戒に例して大行細瑾を顧みずと云いて世間の小事のように云いなし、あまつさえ随方毘尼などと云うは天を地と諍い、黒を白と論ずる程の事なるが故に彼の悪口の車匿に異ならざれば黙擯して治すべしといえども止むことを得ずして是を呵責す。
況や汝還って随方毘尼を犯せること前にほぼ示すが如く、本朝の風俗吾が宗の約束、供養の二字は出世敬田の義に用い来たるを今更かしこ顔に本拠を大唐の字書に考え、所依を梵国の経説に求めて国風を破り新義を企つるは彼の痴人が主君より給わる知行を御布施を拝領せりとののしる程の事なればこれまた論ずるに足らず。
輔行の十に玉鼠二璞の名同体異を釈する時俗書を引いていわく、璞とは玉なり鄭には玉璞を重んず。
もし得ること有る者にはそれに厚賜を与う。
周人これを聞いてその厚賜を規む。
周人の風俗死鼠を名付けて玉璞と為す。
すなわち将いて鄭に詣る、鄭人これを笑う。
その人悟りおわって鄭人に答えていわく、楚人鳳凰はそれ実に山鶏なり。
楚王鳳を重んずるを以て鳳を識らざるもの有り、路に行いて山鶏を担える者を見てこれに問うていわく、これ何ぞ。
担える者のその識らざるを知りてすなわち戯れていわく、鳳凰なりと。
その人実とおもいて便ち担える者に問う、販るや。
答う、販らんと。
問う、幾銭ぞと。
答う、万銭と。
値を用ってこれを買いて王に奉らんと擬欲す。
得おわって便ち死す。
楚王これを聞き愧じて召し問う、王また実とおもいてすなわち十万を以てこれを賜う。
故に知んぬ周鄭の体浄穢永く珠なり。
著無きは鄭の如く、見を起こすは周の如し。
名同体異とはこの謂い也。
この文分明なれば註するに及ばず。
新受の徒世間に通ずる供養の語を出世に混じて公廷へ訴うるは周人死鼠を捧げて玉璞として鄭人に笑われたるに似たり。
誠に名同体異を知らざる執見のほど手を拍って笑うべし。
公廷も鄭人の如く心にはおかしく思すべけれども無事を好み玉う故にいつわりおろかにしてさてやみ玉いぬるものか。

一、
他書にいわく、客なお疑っていわく、上来に呈示せる処文理はまことに親切なりといえども既に博聞の達者、思弁の英士なおまた慈悲を厭悪し供養を恐怖して或いはまのあたり辺鄙に放たれ、或いは自ら寺院を出でたり。
これあに徒にして是の如くすることをえんや。
けだしこれ祖師患難の跡を慕い先哲配流のあとをつげるものなりと謂いつべし。
和僧なに故にか濫りに罵詈することをいたせるや。
答えていわく、法然弘法等の祖師雄傑名は天下にはせて一宗の開基たり。
日遠日暹等の諸師博覧の誉れを都鄙にうけて一山の貫首たり。
然れども今皆取らざることは既に岐路に迷いて方隅を失えるが故なり。
何ぞ必ずしも法理に依らずして専ら人師を貴ばんや。
されば吾が宗の所制はただ他宗敬田の謗施を受けざるが故に不受の名を立てたるに、今度彼の徒新たに不受悲田の邪義を加えて四百年来の旧規を乱り、無味無方の邪制にしずめんとする。
これその破仏法罪の一なり。
また仁恩は即ち悲施なることを知らずして年来国主仁哀の恩光を被り、父母養育の慈沢を受けながら却って吾はこれ慈悲の施を受けずと云いて、世人を欺かんとするの梟悪これその不知恩罪の二なり。
また吾が祖師已に専ら悲田の供養を受け玉えることは書判の文理歴然にして古徳の的伝分明なるに、彼の徒また却って悲田の施を受くるは甚だこれ僻見にして無間の業因なりと毀謗するもの、これその師敵逆罪の三なり。
また往昔に奥師並びに六人の先聖既に左遷追逐の巨難に罹れることは厚し。
これ別時敬田の供養を固辞し玉えるが故にして最もこれ死身弘法の正理なり。
果たして悲田不受の粗義を立て、謫居擯出を得たるとは天と地と楚越万里の異目あり。
然るに彼等今不惜身命を誇耀し奥樹の跡を紹継すと云いて諸人の耳目を誑かす事あたか盗賊の死を比干にたぐらえ、小人の勇を曾子に等うせんとするが如し。
甚だこれ先祖の嘉名を穢し後人の嘲弄を招くものか、これその虚誑大罪の四なり。
また彼一日の名利を甘んじて無実の誑言を構え現世の非義を隠さんが為に私曲の臆談を囀り、法華信受の諸人を推して爾前謗法の偽宗に至らしめ、悉く三途の溝中に納れ無間の火坑に沈むること、これその与同謗法罪の五なり。
至如ならず彼すでに配流の刑罰に処すと云えども現にまた数口の慈施を受けて身を全うし命を安んじながら、しかも他人悲田の施を受くるをば大にののしり斥けて謗人の大罪堕獄の業因なりと云うこと、これその自讃毀他罪の六なり。
乃至
嗟夫一盲前に迷えば衆盲を導き、一犬ここに吠ゆれば万犬を驚かす。
まことにその悲しむべきの甚だしきなり。
已上他書

この段いよいよ非義を尽くせり。
祖師已来の制法を守り身軽法重死身弘法の行をたてて配流にあえる諸聖を或いは法然弘法等の雄傑に例し、或いは日遠日暹等の博覧に比して無義の誹謗を加え六箇の罪を数えたること皆これ破するに足らざる秀言なり。
されども例の迷者を諭さんが為に一々に彼が偽りを点示せん。
およそ新受を謗法と誡められたることは財体不変と、供養混乱と二箇條を以て呵責せられたるに、悲田を受けざるは破仏法罪なりと云える、これその偽りの一なり。
また仁恩即愍施にして、最も報ずべきことは日講の諫状等に分明なる故に諍うべからざる処に、今還って不知恩罪と云うはその偽りの二なり。

仁恩悲田相配のことは流聖一同の義にして古徳の的伝少しも相違なく、殊にその砌に巻物を作って処々へ送られたる中にも仁恩悲田同一の旨を記されたること分明なり。
流聖の内悲田にても受くべからずと云える筆跡あらば何ぞこれを出さざるや。
ただ推かけて虚言を云いかくるはこれ何事ぞや。
然れば則ち師敵逆罪とそしれる、還ってその偽りを顕すの三なり。

奥師並びに六人の先聖別時敬田の供養を固辞せるが如く今度の流聖も敬田の財体転ぜざるに此方にて私に御慈悲と思いなして書けるを謗法の根源とし、その上四百年来供養の語出世敬田に属したるを今俄に急に望んで轍をかえ、世間へ亘して遁辞を設けたる新義を咎めて謫戮の巨難を顧みず祖師の風儀を学び万代の亀鏡を残されたる義なれば、後人の嘲弄を招く虚誑の大罪と却って謗言を加うるは、その偽りの四なり。

また名利を貪って身命を捨つると云える無実の云いかけは、いかなる愚人も合点すべからざる処に瞋恚の余り途方もなき語を吐けるは還って天罰なるべし。
その上諸人信力をさまして他宗となれるは汝等が不受不施と名乗りながら非義を興すること宗家の謀叛人の如くなるを見限りはて、その上汝等公廷へ訴えて日本国の正統の流れを汲める寺院を断絶して無理に檀那を新受方にせんと巧みけれども、さす敵なればその手に入らず、さすが身命を捨つることあたわざれば泣く泣く改宗せり。
然ればこの改宗も咎は汝等に帰すべし。
然るを流聖勧めて他宗となせるように云いかすめ与同謗罪の名を立つる、その偽りの五なり。

正統の衆聖死を譲ってさきにおき諌言を尽くされけるに公廷配流の刑に仰せ付けらるる上はその身を公廷へ任せて心は随われざる事全く祖師の行儀の如し。
既に供養と仁恩と各別の道理を飽くまで公廷へ訴えてその上に受用せらるれば仁恩なること隠れなし。
さて彼の邪とは敬田のただ中を偽って悲田と名付けて受用し、世人を誑惑せる大罪これあるを指しつめて堕獄の業因と呵責せらるるは、祖師已来呵責謗法の格式に任せて少しも私意を差し挟まれたるに非ず。
しかるを自讃毀他と云う、その偽り六なり。

況や供養の語三田に亘れること初心始行の者すら知れることなるを、博覧の諸聖これを知らざることあらんや。
その上汝等最初より沙汰したることなれば世間にも普く流布せることなるを深密の奥義のように供養の語三田に亘るを知らざる不覚より起これりなどと云うこと余りにおろかなる筆跡なり。
今汝が六箇條に翻例して汝等が誤りを指摘すべし。
既に公儀より堅く三宝供養と仰せ渡され始終その格かわらず。
財体不変なればこれを受用するは根本謗罪のその一なり。

その謗罪を隠覆してひそかに悲田と名を立て世人を欺誑するは覆蔵重罪のその二なり。

およそ宗家尋常国主を諫暁するを以て本意とす。
則ちこの忠節を以て国土の謗法を遁るるが故なり。
されば今度御朱印の義につき難題仰せ懸けらるる時は、幸いの好時節なれば最も諫鼓を鳴らすべき時なり。
これ則ち国主の恩を報ずるの要術なり。
しかるを一言の諫めを入れず、却って公廷におもねって理を曲げ謀を廻らすは、しかしながら公廷を欺誑することは申すに及ばず大段不知国恩のその三なり。

その上供養の二字祖師已来堅く敬田に究めて少しも世間へ通ずる義なし。
然るを新義を構えて供養の二字混乱せしむるは祖師敵対のその四なり。

たまたま訴訟して慈悲の二字入ると云えども、ただ火と水と思いなす分際の許しにて公廷より轍をかえて慈悲供養なりと云う義には非ず。
しかるをこの一札を支証として世間の人に衒い、しかも不受不施と名乗るは名実乖角誑惑世間のその五なり。

流聖衆等祖師以来ついにこれなき一宗惣滅の先鋒に当たり強く鼻祖の蹤跡を踏んでしばしば諫鼓を鳴らし始終その節を全うして謫戮の巨難を顧みず身命を塵芥より軽んじて万代の亀鏡を残せり。
その功莫大にして列祖に劣らず。
然るを妄りに無実の謗言を加うるは毀謗正師のその六なり。

更に数條を添加してその重罪を点示せん。
およそ釈門の風儀正直を以て根底とし、篤実を以て肝要とす。
世間の浅事なお浮偽を以て事を成ぜんとする時は未遂げざるのみならず還って害を招く。
況や一大事の因縁自他得脱の進退に望んでたとえの謀を以て本意を遂ぐる事あらんや。
大段公儀より仰せ懸けらるる三宝供養の語を有り体に辞退することあたわず、その供養の語に則って遁辞を設くるは諺に云える、耳を取って鼻をかまんと云うほどの事なり。
これ則ち公儀仰せ出しの語を重んずるに似て還って公儀をかすめたるものなり。
公儀もし実に格を改めて悲田とせばまた仁恩をも許すべき事なり。
もし実に改めずして此方より公儀を重んずるふりをする外相に准じてそのかすめに与同せば公儀理不尽の裁許にして竜頭蛇尾の仕置きに似たり。
曲げて事を成さんと欲するが故にその心の不実を顕すのみならず、公儀へも理不尽の咎を謀るになりぬ。
しかのみならず節々作文を調えて府内へ廻し、或いは表には衆議一同の旨趣を立つる訴訟を上野へ披露すと称して内には私の悲田供養の義を興行す。
その外の甘談詐媚挙げて数うるにいとまあらず。
これその不忠不直のその一なり。

その上前にほぼ示すが如く慈悲の二字訴訟調わざる時は勝劣方の如く書物する筈に予め相談を究めながら、慈悲の二字入るれば日述並びに一派異義なしと虚説を構え和州へ訴訟する故に、和州もそれを実義と納得し慈悲の二字入る筈になりぬ。
然るに慈悲の二字訴訟叶わずんば書物をせず難に逢う筈なりと披露し、かつまた重ねて敬田供養の時は身命を捨て受くべからざるよし荒言せり。
一を以て一を察するに勝劣方の如く書物する義を押し隠して訴訟調わざれば難に逢う筈なりと虚談すること歴然なれば、心には敬田供養をも時に望まば受くべしと思いさだめながら愚俗の聞きを驚かしめて不惜身命を立てんと云うならん、これ身口相違のその二なり。

また寛文五年の冬日述等配流の後余類はその分にて召し置かるる筈なりしを彼徒節々三談所の義を嗷訴する故に同六年再び公儀の僉議あって日浣日講また遠流に処せらる。
(松崎日瑤は違変するに依って事なし)
これ陥墜法灯のその三なり。

また日講和州へ諫状持参のついでながら暇乞いせらるる時申さるるようは、一身の義はいかようの刑罰に仰せ付けられても覚悟の前なれば是非に及ばず、府内その外日本国中三箇寺(小湊誕生寺、碑文谷法華寺、谷中感応寺)支配に付かざる寺院これ多し。
願わくば余類御構いなきように御憐愍頼み入るのよし申されければその時和州挨拶に、もはや余類へは御構いもあるまじ。
その上この程小湊等へも最早この上には訴訟無用のよし云いきかせたれば別義もあるまじとの挨拶なり。
然れば公庭余類に御構いなきこと必然なり。
しかるに府内清法の六箇寺殊の外繁栄し新受の檀方も清法の寺へ趣かんとするもの過半なれば、小湊等二度訴え府内の六箇寺を滅亡するのみならずついに宗旨手形の義を訴訟し日本国の寺院を滅却し、清法を断絶する暴虐に至れり。
その時分日禅講席に於いて日本国の寺一宇も残らず日禅が首がけにすべしと罵りし事諸人の知る処なり。
公庭へも我等上意を重んじ一札を捧げ候処に彼の余類を御立置き候えば我等の寺院は自滅に及び候條きっと御裁許仰ぐの由稲葉濃州等へ訴えしかば和州の力にも及ばず惣滅に成り来たれり。
これ宗門の根をたつその四なり。

その後寛文九年の夏小湊等の三箇寺松平芸州の御簾中へ内縁を以て申し入るる趣きは我等公儀へ手形捧げ候事寺院相続の為なれば是非に及ばずその首尾を調え候。
流聖衆の法義いかにも宗旨の本意にて候。
向後時節を以て先年捧げ候一札を公儀より申しうくる訴訟を致すべし。
その上流聖衆御赦免の才覚随分肝煎り申すべきなどと紙面にしるし、その上龍土屋敷の仏前に於いて今までの罪障を改悔懺悔致すべき由丁寧に申し入れしかば御簾中女儀にて前後の顧みもなく改悔の上流聖の御赦免肝煎るべき義なればその懇望に任すべしとあってついに龍土の仏前に於いて小湊等改悔懺悔の作法を勤めおわんぬ。
その上に小湊等申すよう、この改悔並びに一札の義堅く御隠密頼み入り候もし面々の檀那聞き付け候わば忽ちに参詣を止め候べし。
その段御賢察仰ぐ所に候と挨拶して罷り帰り、その後四五日を経て小湊等また内縁を以て御簾中へ申し入るるようは、先日差し上げ候一札の儀どなたより洩れ聞こえ候やらん檀那聞き付け候て我等迷惑申し候間御返弁頼み入り候。
心底は替わる義もこれなきよし申せしかば是非に及ばずその一札返されたり。
数日の間にかくの如く手の裏をかえすように邪謀をめぐらすこと彼等が心行不正無慚無愧は申すに及ばず、覿面に三宝を忽諸するのその五なり。

また前にもほぼ示すが如く延宝八年厳有院殿御葬礼の時上野へ諷経を勤め一往の辞退にも及ばず御布施五十貫づつ三箇寺ともに拝領せり。
日ごろ諸檀那に対して別時供養の時は身命を捨てて受くべからずとののしり、先年諸国へ廻せる邪書並びにこの三田問答の中にも潔く敬田供養を堅く受けまじきよし懇ろにしるせしに忽ちに相違してその語を踏まず、何の面目あって諸人に対顔せんや。
但しこれも例の悲田供養と名付くれば妨碍なき義なりといわんや。
これ言行矛盾のその六なり。

また先年の邪書に日浣日講両人は仁恩と悲田と不同なりと見立てられたり。
日述の義は仁恩と悲田は同一なれどもただ供養の二字に深くなづみ、能施の人の心を強くあやぶまれしと見えたり。
已上

彼義ならば日浣日講ばかり悲田仁恩各別なれば悲田を受くべからずと云う義にはなるとも法灯の首頂日述にはかつてその義なり。
ただ敬田供養轍のかわらざる義を恐慮して受くべからずといえる義なり。
然るに今この書には日述等の流聖を推なべて悲田の供養受くべからざるの義に書きなせるはこれまた自語相違のみならず眼前の虚誕なり。
況や前にも示すが如く日講日浣も悲田と仁恩と法門の義味に付いて内談の時一往同異を論ぜられしかども、後には悲田仁恩同等の義なること隠れなし。
何ぞ無実の批判を加うるや。
その末流浅識の輩に至っては或いは新受謗法の相貌を知らずして只悲田を破すると意得たる者もあり、或いは京都悲田寺の乞食の義に例同して悲田と云うと思える者もあり、或いは新受を相似の謗法一辺なりと会得して破を加えたる者もあり、或いは仁恩と悲田と各別の義を募れる者もあり。
豈これらの枝離蔓延の無稽の談を以て開闢の導師に課せて悲理の難を加えんや。
その外彼等が自語相違前後矛盾の誑惑等一々に点見せば聞く人興をさまし身ぶるいすべし。
余りに浅ましき事どもなれば筆にあらわすに及ばず。
上来の謗法の根源を委細に了知してかりそめにも彼の悪知識に阿党することなかれ。
吾が祖秋元抄に永代の末弟弘法の格式を定めてのたまわく、たとい謗身はのがると云えども謗家謗国の失如何せん。
謗家の失をのがれんと思わば父母兄弟等にこの事をかたり申せ。
或いはにくまるるか或いは信ぜさせまいらするか。
謗国の失を思わば国主を諫暁し奉って死罪か流罪かに行わせらるべきなり。
我不愛身命但惜無上道と説かれ、身軽法重死身弘法と釈せられたるはこれなり。
過去遠々劫より今に仏に成らざりける事はかようの事に恐れて云い出さざりける故なり。
已上
されば諸門流の列祖必ず国主を諫暁して身命を顧みざるはこれ祖制を守って国土の謗法を遁れんと欲するが故なり。
然るに汝等たとい平生は少しも諫暁の志なくとも先年寺領即供養の公儀よりの難題幸いの時なる故に宗旨の立義をもしは紙面に顕し或いは道理を宣べて堅く辞退すべき処に天性臆病にしてその挙動をなすことあたわざるのみならず、結句理不尽なる慈悲の二字の訴訟をなすといえども敬田の義少しも改まらずただ名を付けたる分際ばかりなり。
もし敬田供養公儀実に改まらば厳有院殿御葬礼の時も汝等には御布施御免しあるべきことなり。
また汝等幾度も訴えて先年御裁許の通り敬田は受用申さざる筈に御座候間御許しあるべき由訴訟せば則ち相叶うべき事なり。
たとい時に当たって失念これあるとも前代既に台徳院殿以来の敬田供養の格を改めて悲田と落居ある義ならばその筆記分明にこれあるべきが故、即ち訴訟相調う筈なり。
およそ武家たるもの大名小名を簡ばず家々の日日の記書き伝うること当世別して押し並べての風俗なり。
況や天下の公論これ程の年来の格式、敬田の義を改めて悲田とせば尤も筆記これ有るべきことなり。
然るに汝等一往の詫び言に及ばず、作善供養の施物を受けたるを以て知んぬ、公儀も敬田の轍をかえず汝等も先年ただ思いなしの分際を許されたるばかりにて別に証拠もこれなき故に訴訟してもとても叶うべからずと思い定め、檀那に対して日ごろ荒言せし恥辱は内証の事なれば苦しからずと合点して受けたるものなるべし。
しかるに斯様の時身命を捨てずんばいかようの時節を待つべきや。
汝が如く急に望んで逃げ道をこしらえ、或いは公儀におもねって理をまげ事を寺院相続に寄せて計略を設けば末法万年の末までも法華の行者の難に遭うと云うことはあるべからず。

もししからば猶多怨嫉況滅度後の金言も泡沫に同じ、或いは師子尊者の絶えたる跡をつぎ、不軽の跡を紹継すと遊ばしたる御文言も徒事となり、或いは日蓮既に先がけしたり若党ども二陣三陣つづいて龍樹天親にも勝れ、天台伝教にも超えよかし等と遊ばしたる御遺誡も反故同前なるべし。
およそ寺院は鞘の如く法水は刀剣の如し。
刀剣を失して鞘ばかりを残し還って荘厳する愚人の如く法水を忘失して寺院に著するは大きなる誤りなり。
然るに日述日講等はしばしば公庭に出でて快く宗旨の法門を談じて烈日の折伏をなし、或いは諫状を捧げて祖師已来の軌則を相続し末代の規矩を残せり。
当今時運塞いで理非決断の義なく玉を抱いて土中に埋もると云うとも千載の下豈絶えたるを継ぎ廃れたるを起こする知己の人なからんや。
況や冥の照覧に於いてをや。
然るを還って怨嫉を構え種々の妄語を設けて誹謗するは誠に断善の闡提今の世に当たって汝等を置いて誰をかささん。

御妙判にいわく、露の命の消えがたさに依って或いは落ち、或いは兎角す。
またいわく、国主に背きぬれば既に法華経の行者にてはあるなりと云云。
ああ電光朝露の名利に著して永劫の苦趣を顧みざること情あらん人恐るべし、慎むべし。

この書殺伐の声あって大悲の訓なきに似たりと思う人あるべし。
されども可畏破悪可愛生善はともに大悲の示現にして摂受折伏また二羽両輪の如し。
末法既に逆化折伏の時なれば吾が祖一代の所判、またその枢機を忘れず。
然るにその流れを汲むもの正統を失いて多岐にさまよい、謗法供養を受用して宗旨の本意を忘却するのみならず、不受不施を名乗ってしかも宗義の命脈を失い正派の法灯を謗って多くの真俗をして悪趣に趣かしむ。
この法滅を見ていやしくも狂瀾を既倒に廻らさんと欲し始終殺伐を主り前後裁断を事とすることまことに所以あるかな。
ただ我が家のみならず儒門また勧善懲悪の賞罰これ正しきを善とす。
されば人の善を挙げ人の悪をかくすは聖人の志なれども春秋にはまた一字の褒貶を以て万代の乱臣賊子を誡め百世の仁人義士を励ませり。
もし法運再び開けて新受の徒また先非を悔い、正義に復することあらば、能破所破猶し昨夢の如く、粗言軟語悉く第一義に帰せん。

追加
問う、前御代は勿論三法崇敬の供養の義当御代も厳有院殿薨御の砌までは敬田供養の義なれども近年悲田供養の義上聞に達し、連々御聞き分け有って悲田の義は祖師の掟にも違わず、上意をも違背せず、尤もの立義に思し召す趣きなれば一旦謗罪に堕してもついに本意を達せば祖意にも背くべからずいかん。

答う、世間の風聞かくの如くなりといえども宗旨の立義有りのままに上聞に達するや否や、誠に上意はかり難し。
たとい上聞に達して只今その義を許容玉うと云うとも、前御代手形の謗罪上に略して示すが如く十箇條遁れがたき処あり。
況や厳有院殿薨御の時別時作善の供養を受けたること眼前なれば法水穢れ究まりたること分明なり。
もし正統の師に逢いて改悔懺悔を勤めずんば正法の命脈断絶の義は替わることあるべからず。
一たび濁っても法義相続の為ならば苦しからずとは許すべからず。
されば開目抄にいわく、大願を立てん日本国の位を譲らん、法華経を捨てて観経等に付いて後生を期せよ。
父母の頸をはねん念仏申さずばなんどの種々の大難出来すとも智者に我が義破られずば用いじとなり、その外の大難風の前の塵なるべし云云。

一たび誤っても後を能くするを本意とせばまず枉げても日本国の位を譲られて後に本意の如く法を弘めば善事ならざらんや。
またかりそめに一たび念仏を申しても父母の命を扶くる義あらげその謀もあるべきことなり。
されども用いじと究め玉うはかりそめにも理を枉げて法を弘むることをば許し玉わざる義なり。
ただ宗祖の妙判のみならず仏家の通規またしかなり。
犯戒の人一たび誤りぬる後はその者と同座同行せず深重の懺悔あって後これを許すこと定まれる式法なり。
ただ仏家のみならず儒道またしかなり。
されば孟子にいわく、かつそれ尺を枉げて尋を直くすることは利を以て言うなり。
もし利を以てせば則ち尋を枉げ尺を直くして利あらばまた為すべけんか。


これより以下はその称する所尺を枉げ尋を直くするの非を正す。
それ所謂枉ぐること小にして伸ぶる所のもの大なり。
則ちこれを為すことはその利を計るのみ。
一も利を計るの心有らば則ち枉ぐること多く伸ぶること少なしと雖もしかも利有らばまたまさにこれを為さんや、甚だその不可を言うなり。
已上
これは孟子の弟子陳代と云える者孟子を勧めて云うようは、己を局して諸侯にまみえば王覇の大業を致すべきことなれば一尺の少しなるを枉げて一尋の大いなることを調えば苦しかるまじとすすめし時、孟子齊景公狩りして虞人を招くにその礼に応ぜざれば死を守って往かざるの例を引いて陳代を誡むるようは、少を枉げて大を直くするは只これ利を量る義なり。
かりそめにも利をはかる心あらば大きなることをも枉ぐるは必定なるべしといえり。
今またかくの如し、一旦法義を枉げ宗義の堅制を破るは大きなることを枉げたる者なり。
その上に非を悔やまずんば何の取る処あらんや。
されどもしばらく彼が義に附准して次第を作っていわば、初より財体不変なれども悲田と名をつけて兎角会釈せんとしたるは尺を枉ぐるに似たり。
さて厳有院殿御葬礼の時一往の辞退に及ばず作善の敬田を受けたるは尋を枉ぐるに似たり。
孟子の誡めうべなるかな。
これはしばらく汝が陳報に准じて尺尋の不同を論ず。
それ実には初より悲田と思いなして名を付けたるばかりにて、財体不転なれば、はや尋を枉げたるものなり。
またいわく、比して禽獣を得ること丘陵の如しと雖も為ざるなり。
もし道を枉げて彼に従うことは何ぞや。
かつ子過てり矣。己を枉げたる者は未だ能く人を直くすること有らざる者なり。


比は阿党なり、丘陵のごとしと、言は多きなり。
或いはいわく、今の世に居て出処去就必ずしも一一節にあたらずその一一節にあたらんと欲せば則ち道行わるることを得ず矣。
揚氏いわく、何ぞそれ自ら重んぜざるや。
己を枉げてそれ能く人を直うせんや。
いにしえの人むしろ道の行われざれどもしかもその去就を軽んぜず。
ここを以て孔孟春秋戦国の時に在りと雖もしかも進むに必ず正を以てす。
以てついに行うことを得ずして死するに至るなり。
その去就をうれえずして以て道を行わしめば孔孟まさにこれを為すべし矣。
孔孟豈道の行わるることを欲せざらんや。
已上
これは註に委しければ細釈するに及ばず。
なかんづく己を枉げたる者は未だよく人を直うすることあらざるものなりといえる誠に名言なり。
新受の徒その身既に誤って大きに枉がり還って枉がれるをかくして直なる旨を陳報する迷者なれば一人を化しても正路に入れしむる事あたわざること必然なり。
然れば則ち前代の誤りを改悔せずんば現当の勝利を失うのみならず悪趣に堕在せんこと掌をさすが如し。
心ある人必ず彼に阿党する事なかれ。