顧みればこの争論の起こりは法立が法中の代わりにお看経の導師を勤めることを一介の流僧が是としたことが発端であった。
しかし其れは不受不施制が想定しているものではなく、大方の見解で非とされ、作法の誤りを正すことで和解すると思われた。
しかし、宗順が『助七が導師を勤めていた』と証言した為、助七はちゃんとしていたのに宗順がこれを見誤ったとして、そこに咎があると騒ぎ出したのが日指方であった。
結果として日指方が、法立の導師を是としていたことが明るみになる。
つまり、宗順の証言は間違いではなかったのだ。
日相から破門され、日講の説得に抵抗し本流から離れていったというより既に分かれていたと言うべきか。
不受不施派が二派に分かれ以後も合流することなく明治の信教の自由発布を迎えることになる。
寺報第277号から転載